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楽友会名簿物語シリーズ その2

1977年

慶應義塾楽友会

名 簿


 
 楽友編集部 若山 邦紘 
資料提供:亀井 淳一(高校16期・29期)


古い名簿とは、いろいろなことを物語ってくれる貴重な史料である。昭和27年(1952年)6月に「慶応義塾楽友会」の発会式で、初代「楽友会名簿」が配布された。これには高校・女子高1年生から大学1年生までの楽友会員の名前が載っている。手書きのガリ版印刷です。

この貴重な名簿をオザサはPDFファイルにして送ってくれました。 ⇒ 初代「楽友会名簿」

名簿シリーズ第2編は1977年の名簿です。2014年の新年会で亀井君が高校生のときの楽友会名簿を2冊持って来てくれました。「コピーを取るから預かっていくぞ」と持ち帰り、眺めて「あぁ、あの時の名簿だ」と直感しました。

37年前の名簿です。何を語ってくれるのでしょう?これ以降の名簿はA4版になりました。

1ページから4ページまでは役員のページとなっている。大学の役員に続き高校・女子高の役員が書かれている。

次のページからOB・OGの名簿が始まっている。

慶應高校に「音楽愛好会」を開いたのは、現在の楽友三田会の「会友」と呼ばれる最長老の方々である。新設の新制高校が三の橋の仮住まい校舎に開設された年に「音楽愛好会」を作ろうと提案し、新任の岡田忠彦先生に部長を依頼に行ったのは峰岸さんと林さんだったと聞かされている。その時、高校には2年生と1年生と2学年の生徒が在学していて、音楽愛好会に2年生がいたようにも聞いている。

この名簿では大学昭和30年卒から書かれている。昭和30年卒とは普通にいうと創立時に高校1年生である。この世代の方々が高校卒業時に会紙「楽友」を創刊されている。そこに編集委員の氏名が書かれている。この方々は創立時に2年生が居られると高校第2期生となる。 ⇒ クロニクルPrologue4

創立時に高校2年生だった第1期生の方はどこに行ったのだろう。どなたも居られなかったのか。もし、居られたら大学は昭和29年卒になる。今度、長老にお会いしたとき聞くのを忘れないようにしよう。

慶應高校に生まれた音楽愛好会に続き、女子高が2年後の1950年に開設され、同じく音楽愛好会ができ、提携して混声合唱が始まった。

この名簿で2期生(現在1期生)の人たちが高校から大学に進むとき、大学にまでその活動を広げ岡田先生の下で高校・大学をつなげた部活動を開始した。別の言い方をすれば、大学に進んでもこれまでの活動をそのまま続けることを決定した。その時、岡田先生により「慶應義塾楽友会」と命名された。確かに現1期生は大学生楽友会員の初代メンバーである。

こうして高校から大学までの7年制クラブが生まれたのである。これは一貫教育を看板とする慶應義塾においても珍しい部活動となった。しかし、後々まで高校では音楽愛好家の名札が部室にかかっていた。

ワグネルソサイエティのオーケストラは、大学にも高校にも存在していたが、一緒に演奏活動することは無かった。楽友会は毎週一緒に練習をし、夏の合宿も一緒に行っていたのである。

したがって、慶應義塾楽友会の1期生は、この名簿の第2期生の人たちなのである。本名簿の第1期生は大学に進むと同時に、全員が音楽愛好会から卒業したのである。この名簿の前に出された名簿を見ないとわからないことだが、おそらくこの名簿が初めて昭和26年高校卒(大学30年卒)の名前を掲載したのではないでしょうか。

これをきっかけにして楽友会名簿の論争?が起こるのである。

実はこの名簿の前に出された名簿では「0期」「1期」となっていたものを、「1期」「2期」に変えたのだそうです。すでに、これ以前から「0期」問題が起こっていたのです。

まず、ここで2期生とされた世代からクレームがついた。「楽友会」をいう高校・大学と続く部を作ったのは我々である」という自負がある。確かにその通りである。この話は1979年の名簿の紹介でも続くことになる。お楽しみに・・

第15期生の欄には(高校第1期)と書かれている。非常に分かりにくい。この欄の人たち全員が高校第1期という意味ではない。高校がそれまで大学と一緒に定期演奏会のステージに乗っていたのだが、この年から大学と分離し、高校独自の第1回定期演奏会を開催した年である。この年の高校楽友会卒業を「高校1期」と呼ぶのだ。

日高好男君(高校1期)がその年の高校の指揮者だった。大変な年だったと自ら書いている。⇒ 2009年3月の原稿

この続きを追っていくと・・・

やがて、(高校楽友会のみ)と出てくる。大学では楽友会に進まなかったということなのだ。そんな人は大昔から沢山いたのだ。ワグネルの合唱団やオーケストラで活動した人、芸大など音大に進んだ人、ライト・ミュージックやKBRといったジャズや軽音楽のジャンルに進んだ人など音楽関係だけでもさまざまである。

一方、塾の高校出身者と書かれている人でも高校楽友会活動はしていないが、大学に来て楽友会に入った人も大勢いる。ややこしい限りだ。

「楽友会」は@慶應義塾高等学校音楽愛好会(1948)、A慶應義塾女子高等学校音楽愛好会(1950)、B慶應義塾楽友会(1952)、C慶應義塾大学混声合唱団楽友会(1965)、D慶應義塾高等学校楽友会(1965に大学と分離)、E慶應義塾女子高等学校楽友会(1965に大学と分離)という歴史をたどってきた。

1952年に「楽友会」という名前ができた。高校・女子高では音楽愛好会の名前と楽友会の名前が両方とも使われていた時代がある。われわれが高校生の頃、1950年代、部室の名札は音楽愛好会ではなかったかと思う。でも、日吉祭で毎年音楽室での「音楽喫茶」は「楽友」だったような気もする。記憶は薄らいでいい加減です。1962年に始まった3校合唱サークルでははっきりと「楽友会」と書かれている。

このいずれかの卒業生は「楽友三田会」の会員になれる資格がある。というわけで、楽友三田会にはいろいろな経歴を持つ人がその構成員となっている。多感な若き時代に慶應義塾の一員として合唱音楽を愛したことは全員に共通することである。

さらに読み進むと、

第24期生とは高校楽友会卒業の人のみが書かれている。つまり、この名簿での第24期生がこの年の大学4年生ということになる。

24期生から27期生の大学卒業生は、この時点ではまだ現役の大学生として楽友生活を送っている。彼らはまだ卒業していないので、大学楽友会現役のページに掲載されているのだ。高校で楽友会を卒業してしまった人が掲載されているのです。やがて、現役の人たちも大学を卒業した後の名簿では、この期の中に掲載されることになるのですよ。説明するのが大変だ!!

一般人には不可解な名簿としか言いようがないことがわかるでしょ?

ここまでで高校楽友会をあるいは大学楽友会を卒業した人たちです。以下が現役学生のページになります。

大学生が7ページ続き、次に高校生が出てきます。

テナーにこの名簿を大事に保管しておいて、私に資料提供してくれた亀井淳一君の名前が出ています。彼は高校1年生だったのです。おー、ベースに近藤君の名前も出ています。あれ、この近藤君はいつも会う敏康君とは違う近藤君かな?

昔はテノール・バスと書きました。いつから英語になったのでしょう。(2014/5/13)

1952年初代名簿  1979年名簿  1998年名簿  2011年名簿


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