Editor's note 2009/4

 

 

 今年は祝いの年です。義塾創立150年。卒業50年。4月3日の大学入学式に、わが期(4期)は塾当局からフルコース(ウソ)付きの午餐会にも招待されました。その後は百年三田会懇親会学部別クラス会ゼミのリユニオンと続き、そぞろ懐旧談に花が咲き、夜桜見物にも最適の一日となりました。
 

 というわけで4月といえば花、花といえば桜です。とりわけ日本人と桜は縁が深い。これにまつわる昔話や歌のことを話しだすときりがありません。花見の席で興にのり「花咲爺」を歌ったら:

1) 裏の畑で ポチがなく 

  正直爺さん 掘ったれば  

  大判小判が ザクザクザクザク

5) 正直爺さん 灰まけば

  花は咲いた 枯れ枝に

  褒美はたくさん お蔵にいっぱい

すぐに家族が一緒に歌ってくれました。驚いたことに、孫子の代までこの歌は歌い継がれていたのです。これは明治時代にはやりだした唱歌です・・・

 実は私、行き詰っておりました。自分が在学中の「楽友会クロニクル」はすらすらと書けたのですが、そこから先に進まない。やはり「去る者日々に疎(うと)し」で、卒業した後の楽友会の活動が、ほとんど分からなくなっていたのです。機関紙「楽友」があれば、なんとか穴を埋めることができるでしょう。しかしそれはいつしか欠本となり、廃刊となり、誰かの記憶に頼るか、原稿を書いてもらうしかなくなっていたのです。

 で、いろいろと心当たりを尋ねても記憶はあいまい、原稿書きは尻ごみされるはで途方にくれました。諦めるしかない、と思っていたところへ待望の原稿が届きました。山内(9期)、伴、太田(共に11期)、日高(14期)等の諸君による貴重な資料の提供と、史実に基づく投稿がそれで、編者の大きな励みとなりました。

 これからも、そういう有志の出現を待つしかありません。どうか皆さん、どこかに眠っているはずの貴重な埋蔵資料を掘りだし、自発的・積極的に投稿してください。そうなれば楽友会史にも花が咲き、皆でその褒美を分かちあうことができるのです(オザサ・4月7日)。

卒業50年:主幹は大学卒業50年でお祝いがあったとの話。HP技師は少しだけ若く高校卒業50年ですが、同期会の話も出てこないようですし、お祝いの話などはどこからも伝わってきません。主幹と私の間の学年は、2年前に高校卒業50年記念の同期会を開催したそうです。この学年の人たちは、まとまりのよい学年で、5年前に初めて普通部卒業50年の同期会を開きました。この同期会開催を、次の学年に受け継いでもらおうと思ったところ、うまく事が運ばず、途切れることになりました。

私にはその理由が手に取るようにわかります。長い間この学年の普通部の世話人は皆に慕われた佐野(康夫)さんだったのです。佐野さんが亡くなってから、この学年はまとめていく人を失ったようです。

そこで、私のところに連絡があり「お前たちの学年で受け継いでくれ」という依頼でした。丁度、私たちの学年から普通部の同窓会長を出したこともあり、一致して同期会開催を実現しました。私の次の学年にも、バトンを渡しました。彼らも大勢の参加者を集めて、大成功だったようです。

日吉の丘の地下壕:日高君の随筆のページで、「進駐軍が使っていた天井の高い高校の校舎」が回想されています。終戦になって、米軍に接収されました。

太平洋戦争末期、旧海軍によって日吉の丘の地下には、秘密裏にトンネルが東西方向、南北方向に掘られました。全長2キロ半ほどあります。この地下壕は「本土決戦」を想定して作られ、連合艦隊司令部がこの地下に本拠を構えて、戦艦大和出撃命令はここから出されたという話を聞かされたものです。日吉の慶應義塾の校舎は、なんと米軍より以前に旧帝国海軍によって接収されていたのです。

このトンネルに入ることができる入り口がマムシ谷にありました。一度は入れないように土盛りをしたらしいのですが、誰かがトンネルの入り口を開けてしまいました。われわれは、普通部生時代に、このトンネル探検をよくやったものです。天気がいいのに長靴と懐中電灯を持って学校に来て、放課後にトンネル探検が始まります。

いろいろな怪談めいた伝説が語られたものです。米軍の接収時代に黒人兵士が、高校の前にあった入り口から入ったまま出てこなかった。夜な夜な消えた兵隊の声が・・・とかいう怖い話です。それで、入り口はコンクリートで塞いでしまったというのです。

実際、イタリア半島と呼ばれた高校グランドの先の台地の向こう側には、いくつもトンネルの口がありました。いくつかのトンネルは幅が広く、大型の車両が入れるような作りになっていたり、部屋らしい広い空間や井戸らしい穴もあり、あるいは地上への竪穴などもあり、少年たちの冒険心を掻き立てる日吉の丘のトンネルでした。今も、そのままあるのでしょうか。

昭和24年(1949)、日吉の校舎は慶応義塾に返還されました。秋の全塾運動会でもらった銀メダルに「日吉返還記念」と書いてあります。当時、建っていた米軍の「かまぼこ兵舎」は、われわれが大学生になっても教室として使われていたのです。
 

ハーモニー感覚:アメリカの黒人達がアレンジも譜面もなしでコーラスをするのをご存知だと思います。簡単なハーモニーですが、彼らはデュエットやトリオなら即興で歌います。

スリーグレイセスのお姉様方も、みっこがメロディを唄えば、ハンコが3度上をおねえちゃまが4度下をラインとして唄ってしまいます。やったことがない人は不思議に思うでしょうが、それがハーモニー感覚なのです。4人でも同じです。上記の3人にベースランを付けるだけで、カルテット4重唱が簡単にできます。

慣れてくると、音がぶつかり合う不協和音までハーモニー作りをすることができます。基本は音を3度長3度と短3度ずつ積み上げていくハーモニーをダイアトニックコードといいますが、何人か寄り集まったときには、音遊び、ハーモニー遊びをしてください。

先ずは、知っている歌を二人で試してみてください。「花咲爺」でも結構。譜面に書かずにやるのです。頭は使ってはいけません。耳で聞きながら操縦するのです。(わかやま・4/7)