Editor's note 2010/5

井上ひさし(スポーツ報知より)

 劇作家の井上ひさしさんが亡くなってそろそろひと月、その死を悼む文章や特集番組がひきも切らない。その一つひとつを丹念に読んだり、見たり聞いたりしているとアッという間に日が暮れる。そしてそれらに関連する戯曲や小説や随筆や評論や新聞などの切り抜き、更には「the座」という「こまつ座井上演劇専門の劇団」の季刊誌などを引っ張り出して読んでいると、アッという間に夜が明ける。恐らくこんな状態がここ当分、というか、おそらく死ぬまでつづくんじゃないかと思っている。

 氏の「遅筆」は自他共に認められるところだが、75年の生涯に遺した作品は膨大で、対談集や映画やヴィデオまで含めると、その全容をさかのぼるのは容易でない。だが、その本質を言いあてるのは意外と簡単で、次の一節を読めばよい。

<わたしは、通俗のようでいてその志は高く、おもしろい上に深いモーム(Summerset Maugham 1874-1965)の作品ことに後期の大衆向け喜劇の愛読者の一人・・・>。

これは「the(No.52-2003年刊)」−「頭痛肩こり樋口一葉」特集号−の「前口上」に著された氏ご自身の文章の一部だが、「愛読者の一人」と記しているからには、ここに自己の価値観をハッキリと示唆していると考えていいだろう。そしてその通り、氏の作品には「通俗のようでいてその志は高く、おもしろい上に深い」意味がこめられている。だから、「モーム」を「井上ひさし(1934年11月17日-2010年4月9日)」と読み替えれば、あらゆる井上ファンに共通する賛辞ともなるのである。

 氏の作品に興味をもったのは@2歳上という同時代性Aオープン間もない仙台の野球場で、一時同じ空気を吸っていたBカトリック教徒としての視座C恒久平和への強い希求D反権威主義Eものすごい国語知識とそれを駆使した表現力E他の作家にはない戯作者志向とその多様な展開Fなかでも宇野誠一郎氏と組んでの音楽劇ないしヴォードヴィルの楽しさG評伝劇に現れる、歴史上の人物の知られざる一面の描出力H「人間」への飽くなき興味I特にそのスケベ心、などなど数えあげればキリがない。が、とにかくそれ等をないまぜにし、産みの苦しみにのたうちまわりながら織り上げたであろう作品群が、たまらない魅力となっていたからなのである。

もうその新作を読みながら電車の中で笑いをこらえたり、「こまつ座」のかぶりつきで俳優さんたちの唾や汗しぶきを身に浴びたりすることもなくなってしまったかと思うとさびしい限りだ。後は再演を待つしかない。

氏は前掲の文でこうも記している。

<詩や歌と並んで人間最古の表現形式である演劇には、いくつもの、すばらしい美点があります。(中略)その美点を一つだけ書けば、どんな古い作品も、それがきちんと人間を描いているなら、上演される時点で、現代劇として蘇よみがえってくること、ギリシャ悲劇であろうとシェイクスピア劇であろうとモーム喜劇であろうと、それを上演するのが現在いまならば、最新作になってしまう。あたり前のように見えて、じつはこれが芝居のふしぎなところです>。

 間違いなく氏は「きちんと人間を描いて」きた。願わくは、その戯曲が時代を超え、国境を超えて上演されつづけられんことを。

ちなみに、氏の代表作の一つである「父と暮らせば(94年初演」は英語、仏語、ロシア語、ドイツ語、イタリア語、中国語、スペイン語、アラビア語の順で8カ国語に翻訳され、日本各地はもとより、今や世界全域で上演されるようになった。ヒロシマの悲劇に直面した父娘の二人芝居が、世界に感動の渦をまき起こしているのである。

そして折しも55日、国連で開催中の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、米ロ英仏中の核保有5カ国が、オバマ米大統領が唱える「核なき世界」の実現に向け、積極的にかかわる決意を示した共同声明を発表した(6日付朝日新聞夕刊による。井上ひさし氏の笑顔が、そこに見える・・・。(オザサ 56日)


まだ生きているYAMAHA MD‐8

 新型ミキサーの発売:10年前、2000年の夏に早稲田ハイソ出身の友人が「ヤマハで面白いミキサーMD-8を売り出した」と私に教えてくれました。ミキサーなどちっとも珍しい機械ではありませんが、この新型機は録音用のMDがついた8トラックのミキシング・レコーダーでした。

何が面白いのかといいますと、トラック毎に録音をができます。別のトラックをヘッドホンで聞きながら「多重録音」が可能であるということです。

従来、多重録音などということは、録音スタジオにこもってやらなければ不可能だったのです。これには飛びつきました。早速、銀座のヤマハに出かけていきました。15万円位だったと思います。

ヤマハの店員は「どちらにお届けでしょうか?」

愚かな質問でした。私は「持って帰ります!」

 自宅で多重録音:タクシーでMD-8を持って帰ってきました。電源を繋いですぐにテストを始めました。何がやりたいのか、私のことをご存知の方は聞かずともわかる話です。はい、1人コーラスをやるのです。昔は結構音域が広かったのです。夜は高い音が出ます。翌朝は低いベースを歌います。これで2オクターブと何音かの男声4パートが歌えます。

昔からこれがやってみたいことだったのです。自分でアレンジをしてピアノで弾いてみます。一応はそれらしきハーモニーは出るのですが、人間の声で重唱したときの響きとなんか違います。特に、音が1音や半音でぶつかっている響きにおいて大きな違いがあります。

まず、伴奏を2〜3トラック使って録音しました。そして、メロディー・パートから4声のすべてのパートを1つずつ歌って重ねていきます。同時には4声で歌うことはできません。重ねて歌ってタイミングに寸分の狂いもない、こいつは面白かったですねぇ。10年前の録音が残っています。

トミードーシー楽団のアレンジャーをやっていたPaul Westonが作曲し、Sammy Cahnが作詞した”Day By Day”をクリックしてください。面白いですか?では、もう1つだけ4ビートの歌です。”Oh! Look At Me Now”

 その昔:高校生の頃、同じ1人コーラスをやろうと考えました。不思議な家で、テープレコーダーが台ありました。1台はおふくろの長唄練習用、もう1台は私の音楽用です。2台のテープレコーダーで交互にパートを重ねていきました。テープに録音した再生音と生声をもう1台のレコーダーで録音するのです。経験のある方はお分かりのことだと思いますが、音の劣化の激しさは想像を絶するほどです。とても聞けたものではありません。

それで、馬鹿な試みは諦めざるを得ませんでした。何と50年以上前に多重録音の実験をしていたのです。その40年後にMD-8のお蔭で思いが叶いました。傑作な想い出です。

 優れものなのに:こんなに楽しい機械に出会ったのは珍しいことです。録音にはMDを使うといいましたが、通常のMDより高密度な「Data MD(140MB)」という特別のMDを使います。約2倍の容量です。録音されたMDを通常のMDプレーヤーで再生ができません。このData MDSonyが製造していましたが、最近は製造中止、在庫にあるだけで終わりとのことです。通常のMDMD-8では2トラック分しか録音できず、役に立ちません。

さらに、私の知らない間にヤマハはMD-8の製造を取りやめてしまいました。特殊なMDを使うので一般のMD機器との互換性がないという問題、また1枚1050円という価格の問題もあり、MD-8のユーザー以外はこんな高いMDを買う人はいません。それでSonyも厭になり、ヤマハも厭になり、製造を止めてしまったのでしょう。

というわけで、機械本体も媒体であるData MDも共に製造中止となりました。置いてけ堀を食らったのは哀れなユーザーです。でも、売り出した当時はアメリカでベストセラー商品になったのです。私と同じおっちょこちょいが沢山いたということです。ああ、愉快、愉快!(わかやま/5月6日