Editor's note 2010/10

巾着田曼珠沙華
 また読書の秋が巡ってきた。老書生の身にもIT化の大波が次から次へと押し寄せ、最近は季節感もなく「読書」より「読Web」にはまっている。お陰で乱読の幅が広がったというか、忙しくなったというのか・・・。
 

 最近の傑作はソフトバンク社長の孫正義氏による「新30年ヴィジョン」であった。

これは6月の株主総会の後に催された同社30周年の記念行事だが、そこに孫氏ならではの、未来に向けた壮大なヴィジョンが語られている。株主総会の実録もさることながら、2時間近いこのPresentationが一片のUstream(動画共有サービスの一)で視聴できる時代になったのだからすごい。


2時間ほどの長編です
(IE8以降をお使いください。flashも必要です)

うまく見られない場合は ⇒ http://www.ustream.tv/flash/video/7882795?v3=1 でお試しを

同氏の著した書籍は無いと思うが、こうして氏の実像にじかに接することができるのはまさにIT進化の賜物で、戦後の視聴覚教育の導入が、それ以前の読本一本槍の教育体系を根本から変えてしまったように、Cloud Computing時代の到来は、従来の情報伝達手段に革命的な変化をもたらしている。

その恩恵にあやかり、初めて知った氏の人となりとその事業の全貌、その過去と現在と未来への発展はすばらしいもので、私は一挙に孫氏とソフトバンクへの期待度を高めた。そのソフトな語り口にも似合わぬ強烈な個性と、近未来を拓く確固とした自信と激しい情熱は、必ずや多くの人の共感を得ることだろう。
 

 山口絵理子著「裸でも生きる」全2巻(講談社)は圧巻であった。この人のことは全く知らなかったが、今年のSEOY(Social Entrepreneur=社会起業家 Of the Year)で見事Winnerに選出されたことを知り、この本の存在を知った。

☆SEOY http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100917-00000306-alterna-bus_all

早速近所の図書館情報を検索したら出てきたのが上記の2冊。「貸し出し中」の図書館が多く、入手に手間どったが、一読してその人気の程が理解できた。

現代日本で最も注目すべき実業人は50歳台では前述の孫氏、40歳代に楽天の三木谷浩史氏がいる、と思っていたがここに型破りの20歳代のホープ・山口絵理子氏が登場した。本書第2巻の奥付に掲げられた著者の略歴はこうだ。

<株式会社マザーハウス代表取締役兼デザイナー。1981年埼玉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程修了。小学校時代イジメにあい、その反動で中学時代非行に走る。その後、強くなりたいと高校の「男子柔道部」に自ら飛び込み、全日本ジュニアオリンピック第7位。偏差値40から受験勉強3カ月で慶應大学に合格。大学のインターン時代、ワシントン国際機関で途上国援助の矛盾を感じ、アジア最貧国「バングラデシュ」に渡り日本人初の大学院生になる。必要なのは施しではなく、先進国との対等な経済活動という理念で23歳のとき起業を決意し「株式会社マザーハウス」を設立。現在バングラデシュでジュート(麻)を、ネパールではダッカ織りを使った高品質バッグを現地でデザイン・生産。現在都内に6店舗、大阪、福岡に直営店を設け販売。あらゆる苦難を乗り越えビジネスを軌道に乗せた彼女の生き方やビジネス理念は、多くの学生や若い社会人に感動を与えており、現在は一年の大半を途上国で過ごしながらデザイン・商品開発に主に従事している。「フジサンケイ女性起業化支援プロジェクト2006」最優秀賞。“Young Global Leaders 2008”選出(以下略)>。

マザーハウス http://www.mother-house.jp/

SEOY受賞の経緯と授賞式の写真は、このサイトにある著者自身のブログに掲載されているからここでは省略する。が、それらと併せて上記2冊の「(副題)25歳 女性起業家の号泣戦記」を読めば誰しも一驚し、嬉しくなることだろう。

 最近の日本人は「縮み志向」で、ともすれば現状否定的な自虐に陥るか、その反動として明治維新期の英雄讃仰でお茶を濁すが、この人はそうではない。女・坂本竜馬の誕生である。それが若い女性であることが何とも21世紀的だ。

現役を引退した年代の者でも、孫氏の言動は理解できる範囲にある。先のPresentationを視聴しても、その論理は明確で、世代を超えた普遍的な価値観を共有できる。また三木谷氏の経営姿勢と行動も相当程度は理解可能である。最近、全社員に英会話によるCommunicationを必須化したことで国粋派の非難を浴びたが、国際派にとっては当然のことと思えた。

だが山口氏になると、その思考といい無茶な行動力といい、殆ど理解を超えた存在である。もし自分の娘がこうだったら、私は間違いなく「そんなことやめろ!」というだろう。だが絵理子さんはそんな事ではへこたれない。全く無防備で、文字通り「裸一貫」で未知のスラムに飛び込み、そこに一縷の希望の明かりを灯していく・・・
 

 シュヴァイツアー博士はそれを医者として行った。マザー・テレサは生涯を神に捧げる身としてそれを行った。しかし山口氏はあくまでもそれをビジネスとして成功させることを考えた。「マザー・テレサを尊敬し、その名を社名に戴いた。しかし、必要なのは施しではなく、先進国との対等な経済活動である」と言いきって献身し、若い身そらで全ての情熱を事業に注いでいる。

こんなことは今までの組織、ことに男中心の企業社会では考えられなかったことである。慈善は慈善、ビジネスはビジネスと割り切っていた。しかしここにその両者を統合した全く新しいビジネス・モデルが登場した。それが大成するか否かは未知である。とはいえ「マザーハウス」という事業には夢がある。

今ですらODAのあり方、貧困にともなう各種の社会問題、乱開発による環境破壊問題等々に大きな波紋を投げかけている。山口氏と「マザーハウス」の大いなる発展を願い、心からの拍手を送りたい。

 最後にもう一つ大前研一氏の近刊をご紹介しておきたい。「民の見えざる手―デフレ不況時代の新・国富論(小学館/\1.500+税)」。この他にもご紹介したい書籍やサイトは山ほどある。例えばYouTube上の石原慎太郎氏による竹中平蔵氏や田原総一郎氏との対談シリーズ等々、挙げ出せばきりがない。しかしそんなことをしていたら誌面が尽きないからこれで止めておこう。
 

それにしてもありがたい世の中になったものだ。昔は「公平な判断をしたければ新聞を7紙、雑誌で5誌、単行本を少なくとも3冊は読め」と言われ、情報収集に多大な金と時間を要したものだ。しかし今は殆ど金をかけずに、居ながらにして数限りない情報を得ることができる。かかるのは時間だけだ。

かくて読書の秋の夜は深まる。(10月7日/オザサ)


蔵王の樹氷

 昔の蔵王というと遠いところでした。新幹線など無かった昭和30年代の楽友たちは遠い蔵王に出かけました。当時、楽友会のスキーの名手といえば、中濱信生さん(5期)を思い出します。半世紀も前の話です。

コースの形は今とはまったく違っています。ドッコ沼から上の台に下る高鳥コースの最後には「高鳥の壁」と呼ばれる細くて急勾配の斜面がありました。そこを、中濱さんはジャンプ・ウェーデルンで滑り降りたのです。ウェーデルンをマスターしているスキーヤーが珍しい頃です。
 

 ヴェーデルン(Wedeln)という言葉は現在のスキー教程から省かれてしまいました。90年代後半からスキー用具も技術も昔とはがらりと変わりました。今のスキーはカービング・スキーと呼ばれます。カービングとは「曲がる(CURVE)」と思っている人が多いようですが、本当は「削る、えぐる(CARVE)」の意です。

スキーのエッジを立てて、板をずらすことなく雪面に食い込ませるように押し付けます。スキーは撓んで雪面に切れ込むように回転し前に滑ります。つまり、板をずらすという制動動作が入らないので、スピードが落ちないまま回転するという高等技術です。このような滑りはアルペン競技の超一流選手が編み出した技術でした。

 スキー用具メーカーはお抱えオリンピック選手の用具を開発し、それで選手がメダルを取ると、それを看板にして選手と同じデザインのモデルを世界中に販売してきました。メダリストはスキーをわざわざ持って表彰台に上ります。どのメーカーのどういうモデルの板で勝ったのかを見せびらかすのです。メダリストでなくてもゴールインをすると、大急ぎでスキーを片足だけ脱いでテレビカメラに向かって「これだ!」ってかざします。コマーシャルをやるように選手はいわれているのです。何ともあさましい姿です。スキーほど商業主義に毒された競技は珍しいです。

その昔、オーストリーのケスレー(Kästle)やクナイスル(Kneissl)がもてはやされた時代があります。一度だけ浮気をしてフランスのロシニョール(Rossignol)のメタルスキーを履いたことがありますが、80年以降はフィッシャー(Fischer)になりました。

カービング技術を一般のスキーヤーでもやれるように開発されたのが、現在の丈は短く、サイドカーブが深い「カービング・スキー」です。短いので先ずは扱いやすく、回転内側に内傾してエッジを立てて体重を掛ければ、スキーが勝手に切れ上がって回転するという理論です。かつて2mのスキーを履いていたのが、160cmか170cmのスキーになりました。

このスキーではフェルゼンシュープ(踵の押し出し)はできません。無理すればできますが、頭と尻の幅が広くてエッジが引っかかります。常にエッジを立てて雪を切りながら滑るのです。スキーをフラットな状態にしないで滑る道具なのです。爺には結構大変です。筋肉を緩めている時間がうんと少ないのです。

カービングに移行しようとする時期にオーストリーのFischer社が限定生産した金のかかった贅沢な板がありました。昔のノーマルと現在のカービングの中間を行くような私向きの板なのです。この板を持っているのは、蔵王では私の師匠である岸英三会長と私の2人だけでした。10年以上前の板ですが何とも滑りやすいのです。その後、98年にはカービング・スキーの時代となりました。

 蔵王の山と人に魅せられて50年。わたしの田舎は山形県蔵王となりました。山頂から目をつぶってでも一番下まで滑って降りれるくらいに足の裏が蔵王の全コースの地形を覚えています。実際、パラダイスロッジから上の台まで、大平コースの夜間滑走をよくしたものです。遠くは雪明りで見えますが、足元は真っ暗で何も見えません。雪量が少ない12月などは、コースに岩がうっすらと出ていることもあります。そんな時は火花が飛び散ったものです。それで滑走面を痛めたこともあります。アホなことをやったものです。

今どきはそんなことは致しません。第一そんなことをしたら叱られます。最後の最後まで蔵王にはナイター設備などありませんでした。夜は寒すぎたからです。それが暖冬のお蔭でしょうか、80年代になってから一番下の上の台ゲレンデでは夜でも電気をつけてリフトを動かすようになりました。夜間滑走は、学生時代の乱暴な暴走族の話です。
 

 ドッコ沼から北の方向に宝沢という沢があり、1キロと少々下ると不動滝という滝があります。夏にはハイキングに行ったものです。この道と並行するように、子供達が好きな緩斜面のダイヤモンドバレーというゲレンデがあります。

今年の9月の若山ゼミ合宿で、午前中の勉強が終わり昼食も終わったので、久し振りに滝見物に出かけました。そこで新発見をしました。丸印のところです。ここには何度も来ているのですが、何十年の間、気づかぬままでいました。

よく見ると、石に彫った不動明王でした。これが本当のカービングです。(わかG・10/7)


山形蔵王宝沢 不動滝