Editor's note 2011/5

 「こどもの日」が近づくと最近は何故か後顧の憂えに陥って落ち着かない。「鯉のぼり」はためく風景は昔に変わらぬ、というより近年各地でますます盛んになっているようではあるが「笛吹けど踊らず」で、騒いでいるのは大人ばかり。肝心の子どもたちは義理でつきあう程度らしい。公式行事に参加はしても、それが終われば彼らはさっさとどこかに散って、どうも「♪ちまき食べたべ 兄さんと・・・♪」といった家族的、季節的慣行と縁遠くなっているようだ。 

では、彼らはいったいどこで、何をしているのか?

最近は年がら年中子どもたちが2、3人で固まり、隠れるように公園やビルやマンションの片隅で地べたや床にベッタリと座りこみ、いわゆる「コンピュータゲーム」に長時間熱中している姿をよく目にする。時折「ワーッ」と歓声をあげたり「チクショウ!」などと叫ぶので、すぐそれと分かる。<これは多分、親たちに隠れてゲームにうつつをぬかしている場面だ。きっと塾とかに行くと嘘をいって出てきたに違いない。あるいは「鍵っ子」たちか?>。

親をたばかって遊びにふける話なら昔も今も変わらない。だが、遊ぶ種目が「コンピュータゲーム」となれば看過しているわけにはいかない。この種のゲームは、祖父母はもとより親や学校の教師たちもかつて自ら経験したことがない。全く新しいゲームだから、皆、手をこまねいて傍観するか<子や孫が喜ぶものなら>ということで、新しいマシーンやソフトを積極的に買い与えている。

だが、それは危険だ。止めたほうがいい。下に列挙した本によると、それは子どもの学力、思考力、表現力、創造力、協調性といった人間としての大切な特性を奪い、情緒不安定と引きこもり症を誘発し、キレやすくなり、社会的マナーやモラルを破壊し、ひいては経済力、国力ともに劣化し衰退させかねない・・・・・。「コンピュータゲーム」の隆盛は、まさに亡国の兆しなのだ。もう個人レベルの話ではない。国家の一大事として、全国民が取り組むべき課題になっているのだ。

 そうした問題を、私は主として以下のような書籍を読んで知った(発刊順)。

★松澤大樹「心と脳の革命」徳間書店・97年
★片岡直樹「テレビ・ビデオが子どもの心を破壊している!」メタモル出版・01年
★梅原猛「梅原猛の授業道徳」朝日新聞社・03年
★奥田碩、榊原英資、明石康、マハティール・モハマド、山折哲雄、川勝平太、金沢一郎、伊藤正裕「次世代リーダー養成塾(講義録)」詳伝社・04年
★草薙厚子「子どもが壊れる家」文春新書・05年
★計見一雄「脳と人間」講談社学術文庫・06年
★板倉徹「ラジオは脳にきく」東洋経済新報社・06年
★榊原英資「幼児化する日本社会」同上・07年
★久恒辰博「大人にもできる脳細胞の増やし方」角川出版・07年
★ウィリアム・W・アトキンソン/ハーパー保子訳「記憶力」サンマーク出版・07年
★森昭雄「『脳力』低下社会」PHP研究所・07年
★榊原英資「日本は没落する」朝日新聞社・09年
★筑紫哲也「若き友人たちへ―ラスト・メッセージ」集英社新書・09年

これらの書名の中に「コンピュータゲーム」と「脳」に密接な関連があることを直接的に示唆しているものがある。そう。そこにこそ現在の課題を解く鍵があるようだ。

その一つ。「『脳力』低下社会」を著した医学博士・森昭雄氏は、日本健康行動科学会理事長として脳神経科学分野で活躍しておられるが、その第1章で「私は、現代のIT社会の中で、テレビやコンピュータが子どもの成長過程でどのような影響を与えるのかを心配しています」と記し、冒頭に次のノンフィクション作家・柳田邦男氏の持論を配して同書刊行の意図を明らかにしている。

私はその趣旨に深い共鳴を覚えたので、次にその全文を孫引きさせていただき、問題の所在を多くの人々と共有したいと願うにいたった。

「・・・・・映像メディアの負の側面は、子どもや若者の心に重大な影響を与えている。幼いころからテレビやゲームに浸っている子は、自分の気持ちを言語化する力や感情の細やかな分化や相手の気持ちを汲み取る力の発達が遅れる傾向にあることが、専門家による調査や凶悪事件を起こした少年少女の人格特性分析によって明らかにされているのだ。・・・・・2005年版犯罪白書は、少年院の教官がとらえた少年像、両親像の初めての結果を明らかにしたが、それによると非行少年の特徴として『感覚、感情で物事を判断する』という少年が60%を占めている。これはまさに、親が子育てに関心を持たず、子育てをテレビやゲームに任せている結果と言える。

一方、親が子どもにテレビを選択的に見るルールを決め、代わりに絵本の読み聞かせを毎日しっかりと行ったり、自然環境の中で一緒に遊んでやるのを心がけたりしていると、子どもは早くから言語力(自分の気持ちをはっきり言ったり文脈を理解したりする力)を発達させ、情緒的に豊かな感情をもつようになる。・・・・・情報環境の再構築が緊急に必要だ。子どもたちがテレビ、ネット、ケイタイというバーチャル(生身でない仮想現実)な情報メディアに浸りきっている状況を突き崩し、親に子どもとの生身の接触を回復させるために、絵本の読み聞かせや子どもの読書活動を飛躍的に充実させる必要がある(『中国新聞』2005年11月20日)」

 一億総白痴化1957年2月「週刊東京」誌上で、評論家の故・大宅壮一氏は「(テレビの普及で)一億(国民が)白痴化(する)」と喝破(かっぱ)し、事実はそのとおりになった。そして07年。今度はエコノミストでマクロ経済学の権威・榊原英資氏が「幼児化する日本社会」と題する一書を著し、続いてその2年後に「日本は没落する」を刊行して、不吉な将来を予言した。

これは日本一国にとどまらず、欧米先進国を含む国際的問題なのだが、最先端を行く日本はもとより、どの国にも今のところ有効な対策は見られない。結局「お上任せ」ではダメなので、自覚した個人や家族がそれぞれに対策を講じていかなければならないのだが、これまた一向に進む気配がない。


大宅壮一(1900-1970)
既にその面白さを知った子どもたちが「そんなことは止めろ」といっても言うことを聴くはずはないし、親たちだって当世の親は極端なほどに甘いから、子どもに嫌われるようなことはしない。結局、親への教育、つまり「親学」から始めなければならない、というのが前掲書の著者・森氏の結論の一つなのだが、考えてみれば気の遠くなるような話だ。

今回の福島原発の問題にしても、事故が起きて始めて人々はその事の重大さに気づき慌てふためく。しかし時既に遅く、修復もままならぬ由々しき事態となっている。「コンピュータゲーム」もその弊害に皆が気づいたときにはもう取り返しのつかない事態になっていることだろう。

人命に直接的な災害をもたらすものではないが、「考える葦」から考える機能を喪失させる意味では、「コンピュータゲーム」はヒトを植物人間に追いこむ毒薬に等しい。そしてそれに気づいたときには処置なしなのだ。何とかそうなる前に何らかの対策を講じなければならない。

日本には昔から「孟母三遷の教え(孟子の母が、よりよい教育環境を与えるため3度転居したという故事)」、「雀百まで踊り忘れず(幼い時からの風習は年老いても抜けない)」あるいは「三つ子の魂百まで(幼い時の性質は百歳までも変わらない)」といった金言が親から子へと伝承され、幼少年への教育の大切さ、重要性を尊ぶシステムが出来あがっていたが、何とかその風習と価値観を継承し復活させたいものだ。

その伝統は少なくとも今の祖父母年代の人たちには脈々として伝わっていたはずだから、まだ土には埋もれてはいない。ここは一番皆で奮起し、本腰を入れて孫たちの教育に意を注ぎ、少なくともこれから生まれてくる子どもたちには、良書に親しむ習慣をつけてもらうよう努力しようではないか!(5月5日・オザサ)


Frank Sinatra(1915-1998)

 シナトラとボビーソクサー誰が何と言おうとポピュラー音楽の分野で20世紀の最高の歌手であることに間違いありません。この「ライフ」の表紙を覚えている人がいると思います。1971年にシナトラが突然引退声明を出した時の写真です。シナトラがスター街道を歩き出すのは、1939年にハリー・ジェイムス楽団の専属歌手となってからのことです。

翌年、名声を誇っていたトミー・ドーシー楽団に引き抜かれて専属歌手となったとどこにも書かれています。が、本当のところは自分からオーディションを受けに行ったのが真相だそうです。
 

やがて太平洋戦争が勃発するのですが、アメリカの人はこの稀に出現した男性歌手をアイドルにしてしまいました。当時のボビーソクサーに追いかけられたのです。当時の映画など見ている方はご存知かもしれませんが、女学生のはく白い足首までのソックスをBobby Socksといいます。


Bobby Socks

日本でアイドル歌手というと「可愛い女の子」が思い浮かびますが、アメリカではシナトラが「アイドル」と呼ばれたのです。実はシナトラは耳が悪かったので兵役には行っていません。軍の慰問を含めて芸能活動を続けていたのです。

これはシナトラが亡くなって3ヶ月後に湯河原で開催されたジャズ・フェスティバルの帰りの車の中でドリー・ベーカーから直接聞いた話です。 1943年(昭和18年)、ニューヨークのコパカバーナにシナトラが出演していました。バーのカウンターの向こうにシナトラが誰ともしゃべらず一人でお酒を飲んでいたそうです。20歳そこそこのドリーには近寄りがたく、顔見知りのバーテンにそっと飲み物を注文しました。

「あれと同じのを」 するとフランクが 「彼女にはKid's Drinkをあげとくれ」

ドリーはボビーソクサーだと思われたのでしょうか。

 シナトラとコーラスシナトラは18歳の頃にビング・クロスビーの歌を聴いて歌手になることを決心します。ハリー・ジェイムス楽団からデビューする前は、何とアマチュアのコーラス・グループにいたのです。1935年にThree Flashesという3人のグループから誘いを受けて、その年の9月にタレント発掘番組”Major Bowes' Amateur Hour”に”Frank Sinatra and The Three Flashes”として応募し、見事優勝してしまいました。

Major Bowesはその番組の司会者です。ボーズは彼らのグループ名を勝手に”Hoboken Four”と変えて出演させました。この番組は1934年から始まった有名番組です。ホボケン4はMajor Bowesのボードビル・ツアーに加わることになりました。


The Hoboken Four and Major Boews, 1935

というわけで、皆さんの知っているシナトラはボーカル・カルテットが出発点なのです。Hobokenはシナトラが生まれたニュージャージーの町の名前です。

 ホボケン・フォーの音源これはシナトラが80歳の時に娘のナンシー・シナトラが出版したシナトラ一代記です。珍しい写真や記事が満載です。ダラスに住むビッグバンド歌手Craig Thompsonが私を喜ばせようとお土産に持ってきた分厚くて重い本です。

この本に一枚のCDが付録になっていました。私にとってシナトラの歌など珍しくありません。殆んど聴いて知っています。暫らく、見もしなかったのですが「何が入っているのか」と調べてみてたまげました。

何と、何と、何と、第1曲目に例の番組のホボケン4の歌の録音が入っていたのです。それを楽友の古い物好きにお聞かせしたくてここまで書いてきました。

The Hoboken Four - SHINE

どうです?初期のミルスのスタイルだと気がつくでしょう。まさにバーバーショップ・スウィングです。

クリックして開かない場合には、右クリックをして、一旦保存してから開いてみてください。これなら確実に聴けるはずです。

人はシナトラは天才だといいますがそうではないのです。シナトラは努力家だったのです。シナトラの歌を一番よく聴いたのはシナトラ自身です。それは、ナンシーが書いています。楽友の皆さん、自分の歌を聴いていますか?聴かない人は上手くなりません。断言します。

多くの人は自分の録音した声を聴くのが嫌いです。下手に聞こえるからです。そのくせ、でっかい口を開けて歌ってはいませんか。自分が聴くのがいやな歌を人に聞かせる、それは公害というものです。「録音して聞く」というアクションは、われわれの言葉では「フィードバック」といいます。フィードバックの概念は自動制御理論の柱です。フィードバックは最も効果のある練習法です。シナトラは肌で自動制御の原理をわかっていたのです。(わかやま/5月5日)