Editor's note 2011/7

東海村原発

 忘れもしないあれは前世紀末の‘99年9月末日。東海村の核燃料加工施設で臨界事故が起き、作業員2名が殉職した。その規模はレベル4で「事業所外への大きなリスクを伴わない事故」と発表されたものの、アッという間に新世紀への不吉な予兆として世界に伝わり、著名な海外演奏家たちは相次いで来日公演を中止した。
 

しかし国内の反応は意外に鈍く、私たちの「東京スコラ・カントールム(斎藤/5期、杉原/11期、故・海外/9期それに私、といった多くの楽友会仲間が中心となって創設した宗教音楽専門の合唱団)も、10月9日に予定していた創立20周年記念演奏会を中止する気にはなれなかった。


イングリットのプロフィール(CDライナー・ノートから)

また、その為にドイツから招いたソプラノの名歌手イングリット・シュミットヒューゼンも予定通り到着してくれたので、練習も順調に進み、本番前日は前夜祭を催して気炎をあげた。以下はその時の会話の一部:

私 「ほんとによく来てくれたね。海外の演奏家のドタキャンが多いから、実はヒヤヒヤしていたんだ」

イングリット  「そう。今回はNY経由で来たの。だから、ドイツでもアメリカでも、ずいぶん皆に止められたわ。友達のバーバラ・ボニーも『怖いから私は行くのを止めた』といっていた。やっぱりみんな心配よー。よく皆さんは平気ね。私だって、以前皆さんとご一緒してなきゃ、多分お断りしていたと思うわ」

私 「そんなもんかねぇー。ボニーさんの『ドイツ・リートの夕べ』は私も楽しみにしていたのに、中止になって残念だった。でも、彼女の場合はリサイタル会場が『水戸芸術館』で、事故のあった東海村に近いから気持ちは分かる。だけど今回は、報道で『施設外に影響はない』といっていたから、東京の私たちは心配しなかったんだ」

イングリット  「Ach so・・・aber・・・日本の報道ってそんなに信頼できるの?」


イングリットを囲んで(‘99年、東海村原発事故の翌月)

  このイングリットの反問を思い起こすと、今更ながらにハッとする。

確かにそうだ。若い頃よくやった「伝達ゲーム」にしたって、あれほど単純な遊びなのに、始めに囁やかれた短文が、そのまま最終者に伝わることはめったになかった。ましてや、競争激烈なメディア合戦の時代。事実は一つでも、末端の読者や視聴者に伝わる頃には、かなり歪んだものになる。

特に原発には大きな利権が絡むから「政・官・財」の3界どころではない、御用学者に事欠かない学界や、スポンサーに楯突けないマスコミ業界も巻きこんで、5界(誤解)まみれの混戦となる。「何が真実か」なんて、結局のところ、誰にも分からない。だから巷の情報や風説を信じて行動するのは愚の骨頂であり、公的機関の公表資料といえども当てにはできない、ということを肝に銘じておくべきだった。

そのことは「関東大震災」の際、「朝鮮人による暴動」のデマを故意に飛ばし「自警団を虐殺に狩りたてた」のは当時の警察官僚で、後に「原子力(発電)の父」、「テレビ放送の父」、「プロ野球の父」と崇められた、元読売新聞社主の正力松太郎氏であった(石井光次郎著「回想八十八年」カルチャー出版社/Wikipedia他)こと。あるいは日清、日露そして大東亜戦争へと戦火を拡大したのは直接的には軍部だが、その圧力に屈して世論を誘導したのは朝日、毎日、読売といった大新聞やNHK等のマス・メディアであったこと等を想起すれば自明の理だったのである。

要するに一般市井の人々は「狼の群れに囲まれた羊のようなもの」で、音楽愛好家など簡単に蹴散らされ、狼どもの餌食となってしまう。だから何ごとも日頃から「蛇のように賢く、鳩のように素直に」自分の頭で考え、自分の考えで行動する習慣を培っておくべきなのだ(この段落の「」内はマタイ10:16)。

今回の福島原発事故に際しても、海外の楽人の反応は素早かった。4月末から6月下旬にかけて約40回の公演を予定していた「ウィーン少年合唱団」の反応が一番早く、事故から程なく「公演中止」の広告が出た。半世紀以上も続いた初夏の年中行事であり、平和のシンボルともいうべき「天使の歌声」が途絶えたのは誠に残念ではあったが、憲法に「原発建設の禁止」を謳うオーストリア人としては当然の措置であったろう。

もっとも原発大国のフランス「国立リヨン管弦楽団」でさえキャンセルしたし、ドイツの「ドレスデン・フィル」、「ベルリン・フィル8重奏団」、ヴァイオリンの「アンネ・ゾフィー・ムター」などもこれに続いた。

 アメリカの「メトロポリタン・オペラ」は予定通り総勢380名の陣容で来日し、6月に14ステージの引越し公演を敢行した。が、マエストロ:ジェイムズ・レヴァインを始め、ソプラノのアンナ・ネトレプコ他の「スター歌手」は、「未曽有の出来事で、想定以上の数のキャストの変更を強いられた」のが実情であった(演奏会プログラム別冊)。


ディアナ・ダムラウの演じるルチア「狂乱の場」から

とはいえ最終日(19日)を飾る「ランメルモールのルチア」を観に行った家内はニコニコ顔で帰宅した。理由の第一は、もちろん「ルチア」を歌ったディアナ・ダムラウが素晴らしかったこと。かの有名な「狂乱の場」での長丁場も、真に迫る、息もつかせぬ絶唱だったらしい。それに何よりも、彼女の音楽にかける情熱にうたれたという。


ディアナ・ダムラウのプロフィール(プログラムから)

ディアナは、アンナ・ネトレプコの出産時に代役としてこの役を獲得した。だからアンナの後塵を拝していたことは事実である。だが、その後の躍進は著しく、今や両人共にメトの花形プリマとして、押しも押されもせぬ存在となっていた。だが今回、アンナは契約をキャンセルしたが、ディアナは頑として予定を変えなかった。そして、乳飲み子を抱えて来日を果たした!練習中はその男児を傍らに寝かせ、合間をみては自分で授乳していたというから半端じゃない。
 

この気骨ある行動は称賛に値する。母親のとるべき態度を批判されたり、本人自身も愛児の身を気遣ってさぞ心配したことだろう。ドイツ人だから、故国が脱原発に踏み切った事情も知らないはずはない。けれども「スターは、危うきに近寄らず」といった風潮が一般化する中で、敢然として自己のBeruf(ドイツ語で職業、召命、信念etc.)に徹し、最善の努力でファンの期待にこたえた姿勢は感動をよぶ。家内もそれに魅せられたものと思う。

ニコニコして帰ってきたもう一つの理由は、「いつもは3千円以上もするプログラムが、今回は『キャスト変更のお詫び』のしるしということでタダだったのよ。今日は全然『配役変更』はなかったのにネ」ということだった。招聘元も大変だネ。(オザサ 7/7)


藤原洋記念ホール

 AGFC:7月2日、日吉協生館藤原洋記念ホールにおいて「オール楽友会ファミリー・コンサート」が挙行されました。土曜日の午後、約3時間、楽友会ファミリーの各グループの合唱、独唱、独奏、4重唱などバラエティに富んだプログラムが展開されました。

しかし、身内の歌を聴いているのはくたびれるものです。どうも、さらりと聞き流すわけに行かないらしいです。一生懸命に聴いてしまうからです。
 

演奏された楽曲のジャンルも幅広く、クラシックではミサ曲・合唱曲・オペラのアリア、ポピュラーではカンツォーネ・ジャズ・ジャズコーラスまでありました。人間は分類が好きですから、音楽もいろいろなジャンルに分けます。昔、ある映画の中でクラシックにしか興味のない爺様が「ジャズは雑音」と吐き捨てました。もともと音楽の種類に貴賎の区別はありません。しかし、その歴史的背景や技術的難易度の違いは歴然としています。したがってこういう偏見も生まれてきます。

NYから9年半ぶりに帰国した塾の後輩が会いたいというので、この日の夜に赤坂のマヌエラで待ち合わせました。日付が変わる頃帰宅して「速報」を書いてアップしました。夜が明けていました。せっかちな老人は今日のことは今日のうちに片付けてしまわないと気が済みませんし、安心して眠れません。それぞれの行事を担当してくれる実行委員会ではオフィシャルなレポートを編集してくれることになっています。ですから「速報」は号外のようなものと思ってください。

編集主幹から「ヒット・カウンターがえらい事になっている。記録的だ!」とメールが来ました。本サイトのトップページにヒット・カウンターがつけてあります。この1カ月の推移のグラフです。確かにえらい事になっています


ヒットカウンター

異常なくらいのピークは7月4日にできました。独立記念日だからか、それにしても、これは大津波です。そこで、詳細をサーバーの統計値を見てみると、下表のようになっていました。


アクセス件数と人数

当日のAGFC来場者は150-160人位だったでしょうか。詳細は実行委員会から報告されると思いますが、会場にはかなりの空席がありました。しかし、この数字を見る限り、7月3日から5日までのビジター数は570人ですから、楽友の半数くらいが見ているということです。もちろん、楽友三田会会員ではない忠友会の皆さんも見に来てくれたのではないかと思います。
 

 現役との交歓会:AGFCに引き続いて打ち上げも兼ねて、2011年度の「現役・OBG交歓会」が開催されました。一年生は「60期」の名札をつけています。還暦ということです。例年は80名から100名くらいの楽友が一堂に会するのですが、今年は特別な年となりました。OBGの人数がAGFCのお蔭で倍増しました。毎年、集合写真を撮ってくれる橋本英樹君(52期)が今日の人数を予想して、魚眼レンズの写真機を持ってきてくれました。


何人いるでしょうか?クイズです (いつものように↑クリックで拡大)

拡大でご覧になってもあまりの人数の多さで誰だかよく分かりません。そこで、BAOAB方式でグルーピングすることにしました。誰が考えたのでしょう。BAOABって解りますか?どっちから読んでもBAOABです。ワタシマケマシタワと同じです。血液型で分けました。

これで勘定できます。AB型は18人でした。あとはやっぱり沢山です。どうも勘定するたびに違います。老眼には難しいです。どの写真が何型だかクイズです。岡田先生ご夫妻は早めに中座されました。この集合写真には入っていません。明るいうちに撮った写真があります。岡田先生は85歳だそうです。


交歓会場での岡田先生ご夫妻(舟山幸夫(8期)提供)

 Improvization:Improvization(即興)はジャズの特許のようにいわれますが、協奏曲のカデンツァは即興演奏そのものです。ジャズの世界でも素晴らしい即興演奏がレコードになったり、ジャズ談義にネタになったりします。90年代から日本ツアーによく来ていたオーストラリアのピアノ弾き語りJanet Seidelという歌手がいます。シドニーではかなり有名です。94年のCDに”There I Go Again”という歌が入っています。じつに可愛らしく見事に歌います。

”I'm In The Mood For Love”という1935年のジャズ・スタンダードがありますが、James Moodyというテナー・サックス吹きが、1940年代に北欧に行ったときにレコーディングした”I'm In The Mood For Love”は即興の名演奏として有名になり、”Moody's Mood For Love”と呼ばれます。Moodyのソロのアドリブに歌詞をつけた酔狂な男がいます。Eddie Jeffersonという作詞家です。それをKing Pleasureが1952年にレコーディングしました。これも有名になりました。

器楽のソロのフレーズに歌詞をつけて歌にしてしまうのの始まりです。大体、ジャズのソロのフレーズは、譜面に書くと装飾音が一杯の16分音符、32分音符が並んでいるものとなります。これに歌詞をつけて歌うとなると、舌が回らずめちゃくちゃになります。普通の歌と成り立ちが違います。Vocaleseといいます。

この難解なJames Moodyの”I'm In The Mood For Love”をジャネットは”There I Go Again”というタイトルで歌っているのですが、なぜこんな古い歌を引きずり出してきたのか不思議に思っていました。King Pleasureのレコードを聴くと分かるのですが、後半に入ってから女声との掛け合いで歌うところが出てきます。これが格好いいのですが、実は可愛らしい声のピアノ弾き語り歌手だったBlossom Dearieが歌っていることがわかりました。

これで謎が解けました。ブロッサムはジャネットの先生です。それでジャネットがこの歌を歌ったわけが分かりました。やっとつながったというわけです。ジャネットはKing Pleasureの歌うメインの部分を歌い、彼女のパートナーのTom Bakerにブロッサムの部分をと、男女のパートをひっくり返してレコーディングしました。よく考えたものです。

このようにある人がある歌を歌うには何かの必然性があるものなのです。ただランダムに歌うなんて考えられません。誰かか、何かに触発されて歌う気になるのです。
 


Blossom Dearie & Janet Seidel

90年代によく来日して全国をツアーしていました。その頃はよく会いに行きました。地震の時も見舞いメールが来ました。当時の呼び屋が死んでしまったので、なかなか呼んでくれるプロモーターがいません。

大体、日本のジャズ歌手といわれる連中は歌をひねくり回して歌うのが多いです。下手にひねくり回して歌ってはいけません。素直に歌うジャネットはそのお手本です。

”There I Go Again” by Janet Seidel

この可愛らしい発声法はブロッサム譲りです。ブロッサムの晩年にジャネットはニューヨークに会いに行きました。その時の写真です。(わかやま・7/7)

譜面を見てみますか?
”Moody's Mood For Love(There I Go Again)” (pdf)