Editor's note 2011/8

今を盛りの「木槿(むくげ)」は炎暑の笑窪

 ある日私は思い立ってホームページ「楽友」作りを始めた。人生も終盤にいたり、改めて<楽友会とは何か、何であったのか>を明らかにしておきたい、と思ったからである。手始めに毎月のように岡田先生宅に伺い、お話しを聞き、大切に保管されていた貴重な資料をお借りして楽友会の「年代記」をまとめにかかった。だがその過程で、大きなショックを感じて筆が止まってしまった。それは、高校楽友会の存在を忘れたまま、現在にいたっていることを知ったからである。
 

私だけではなかった。現役時代に高校・大学一体型の楽友会創設に連なり、そのよさを体得してきたはずのシニアOBGたちでさえ、大学と高校が隔絶している事実に気づかず、その事態を長年にわたって放置し、結果として三田会も大学楽友会も、その故郷である高校楽友会の存在を無視してきたのだ。何たる怠慢、何という不幸!

 <このままではいけない!>という思いに駆られて他の状況を視ると:

塾内音楽団体の代名詞的存在の「ワグネル・ソサィエティー」は、現役に大学と高校(塾高+女子高合同)のオーケストラ、大学と志木高の男声合唱団、それに大学の女声合唱団の5団体があり、その上に三田会や出身者グループがあるが、全体としてはオケ・男声・女声の3パート別で、夫々が自主的な演奏活動を行っている。

また昨年創部100周年を祝った「マンドリン・クラブ」には、大学、高校(塾高+女子高合同)、志木高および中等部の現役4組織があり、これに三田会を加えて全塾的「All KMC」という本部機構を構成している。それによりワグネルとは対照的な中央集権型のヒエラルキーで全体のスケジュールを調整し、まとまった演奏活動を展開している。

これ等の先輩団体に比べ、戦後生まれの楽友会の歴史はまだ浅いが、人間でいえばとっくに還暦も過ぎた満63歳。それにしてはあまりにも進歩が無い。「現役」といえば「大学楽友会」しかなく、その母体である「高校(塾高+女子高)楽友会」は「竹島(独島)」化してしまった。

 <こんなことでいいのか>という思いに駆られて先輩に相談したり、ちょうど当番期にあたっていたので、新年会(10年度)に高校の現役を招待する提案もしてみたが、皆の反応は冷たかった。

<ムリもない。高校・大学が断絶して半世紀以上の時が過ぎている。あまりにも唐突だったかもしれない>と反省したものの、一方では<それにしては不思議だ。大学生のホームページに誇らしげに林光、小林亜星、若杉弘といった諸先輩の名を掲げているのだから、音楽愛好会や高校楽友会の存在を知らないはずはない。それなのになぜ一番身近な高校と連携していないのか。また楽友会全員の愛唱歌は亜星さんの「青春讃歌」ではないか。それなのになぜその曲の背景にある楽友会員共通の心の故郷、高校楽友会の現状に無関心でいられるのか>という、強い疑問を感じた。

そこで次に「オール楽友会ファミリー・コンサート(AGFC)」を提案した(この「ファミリー」には、当然のことながら「高校楽友会」もその一員、という意味がある)。この種の事は代表幹事会や総会での審議事項だが、とりあえず新年会担当者の会(x4期)で打診したところ、これには皆も賛同してくれた。しかも折よくこの時一緒に働いた深井剛良(24期・会長)、海野英俊(34期・事務局長)の両君が、共に10年度の総会で三田会新役員に選出されたので、その後の段取りはスムーズに運び、正式行事として公認され、7月2日(土)にこの画期的なコンサートが日吉で挙行されたのである。

当日はプロジェクト・チームの面々の周到な準備と何回もの熟議が実り、すばらしい演奏会となった。個人、グループ、団体の演奏は何れも見事で、老若男女が相集い、入れ替わりステージに立ち、またある時にはステージも客席も一体となって合唱するさまは、まさに「ファミリー」ならではの心あたたまる情景となって一同の胸をうった。

それらの光景は当ホームページ上に特設した「AGFC」という新コーナーでお楽しみいただける。これは小西みはるさん(32期)とカッパこと若山技師長の協力で実現した、これも楽友会初の、ながーい実況録画(最終的には合計約3時間)である。

参加者の中で特筆すべきは第3部の冒頭を飾った「忠友会」の出演である。この団体は「高校楽友会」だけの出身者たちが結成した混声合唱グループで、「高校楽友会」現役とのつながりは「大学楽友会」や「楽友三田会」よりずっと濃い。昨年まではワグネルの「オムニバス・コンサート」に高校現役有志と共に参加していたが、今回は自発的に「楽友会ファミリーの一員」として鞍替え出演してくれたのである。

今回は高校が試験シーズンだったため、現役は出演できなかったものの、練習には塾高から個人ベースで6人も参加したということだ。岩崎慧一君(57期)からの「今年は塾高からの入団者が2名あった」という報告(大学楽友会コーナーの「現役便り」から)と併せて、真に心強いニュースではある。

昨年の定演で学生指揮者を務めた橋本亜依さん(56期・女子高卒)が、近年では唯一人の「高校(女子高)楽友会」出身者であったことを思えば、こうしたニュースは近来にない関係改善への予兆と思えて嬉しい。

なお、この忠友会ステージ写真を見ると、女声陣に黒のスカートとグレーのロング・スカートの人たちが交じっている(ビデオ・クリップ参照)ことに気づく。後者は三田会合唱団所属の女子高OGの人たちだが、ここにも心あたたまる美談があった。

というのは、そもそも塾には女子学生が少ない。いきおい混声合唱でも女声が少なく、声部バランスを調整するのに苦労する。その状況は楽友会創立の頃も今も、そして忠友会でも変わりはない。特に上述した試験スケジュールの関係で、女子高からの参加がムリとなったため、忠友会は他に女声の応援を求めざるを得ないことになった。

そこで筑紫秀子さん(4期)を中心とした三田会合唱団のOGたちが積極的に動き、自分たち本来のグループの練習や出番で多忙であったにもかかわらず、掛け持ちの友情出演で忠友会のコーラスに花を添え、指揮の岡田先生も大いに安堵された、ということだった。

 こうして初の「オール楽友会ファミリー・コンサート(AGFC)」はめでたく幕を閉じた。この催しが成功したことは、コンサートに引き続いて行われた交歓会の盛況や、会員間を飛び交い、編集部にも寄せられた数多くのメールなどによく現われていた。コメントも多く寄せられたが「AGFCを総会・新年会と同様、ぜひ楽友会の恒例行事とし、毎年継続して開催して欲しい」という意見が他を圧していた。

確かに千名を越す規模の楽友会にとって、年に一度の総会・新年会だけでは物足りない感がある。歌うにつけ、歓談するにつけ時間が短すぎるのだ。しかし、AGFCなら演奏に集中できるし、1年の成果を発表する機会にもなるし、意外な個性を発見する喜びもある。そして「仲間がそろったら」終演後の現役との「交歓会」で喉をうるおすという楽しみもある。

・・・・・ということで、編集部としても、AGFCが今後も続けて開催されることを強く期待する。実行委員の持ち回り制や予算措置など、これから検討すべき課題も多いだろうが、50周年記念Projectのことを思えば何ということはない。皆で知恵を出し、協力しあえば道は自ずから開ける。がんばっていこう!(8月7日・オザサ)


 大学の夏休み今昔:昔の大学生は7月の上旬か半ばには夏休みに入りました。2ヶ月はお休みでした。9月の半ば過ぎに長い夏休みが終り、2週間くらい学校に出ると、9月末から10月に掛けて前期テストがあったものです。

これは、学生にとって喜ばしくない学事日程でした。夏休みを遊びほけっていると、すぐにテストだったのですよ。誰もが夏休み前に聞いた授業なんて忘れ去っています。

いつ頃でしたか、前期テストを夏休み前に終わらせて夏休みに入るという大学が増えました。そのためには4月の始まりをぎりぎりまで早くしないと、前期と後期の授業日数にアンバランスができます。4月早々に入学式があり、新年度が始まるようになりましたが、学年始めの身体検査やガイダンス・オリエンテーションなどで1週間くらいは授業ができません。
 

われわれが学生の頃は、こんな時期はまだスキー場にいました。1965年はマスターの頃ですが蔵王で撮った写真に4月15日の日付が入っています。それから大学に戻れば丁度お勉強が始まる頃でした。

ごく最近になって、文部省はゆとり教育の弊害を大学に尻拭いさせるべく、いつの間にか授業日数が35週となってしまいました。大学はこれはとても苦しいのです。2月には入学試験をやらなくてはなりませんから、1月最終週、2月の第1週で後期の試験をやらなければなりません。後ろには伸ばせません。すると夏休みを削るしか方法はありません。こうして、夏休みだけでなく、冬休みと4月上旬まであった春休みが削られる事になりました。昔はクリスマスに大学生は大学にいません。皆、冬山に行っていました。今はクリスマスが終わってから冬休みとなります。

昔は大学生は1年のうち半分は休みでした。半分というと26週です。理工系の学部では実験や演習の科目が重要科目としてカリキュラムにあります。この年間計画を毎年立てるのですが、前後期正味12週ずつで予定を組んだものです。すると年間24週です。これに予備の週として2週、定期試験の期間には実験はできませんから、4週は試験期間です。合計すると30週になります。

結局、休みを5週間返上しないと35週は取れません。こうして現在の学事日程が組まれています。某国立大学の人は「ばか言ってるんじゃないよ。俺達は授業なんかしねえんだ」と言っていました。嘘か本当か知りませんが、私学はみんな文科省の言いなりです。

文科省は学生に「勉強しろ」というだけでなく、先生にも「教え方を勉強しろ」といい出しました。これをFaculty Developmentといいます。その成果を「授業のアンケート」で測ろうとしています。勉強をしない学生のアンケート結果は何を物語るのでしょうか。そんなつまらないものに年間うん千万円の費用がかかります。大学はバカバカしいと思いつつ無駄な時間と金を使っています。バカバカしいと分かっていながらやっていることが多すぎます。これは日本に限ったことではありません。

お役所は、効果が上がったかどうかより、何かを実施しているということが大切らしいです。企業人との大きな違いです。
 

 ズージャ」の言葉:ジャズ・ミュージシャン達は単語をひっくり返して喋る癖があります。「ジャズ」は「ズージャ」といいます。「ビックリ ギョウテン オドロイタ」は「クリビツ テンギョウ イタオドロ」です。逆さまに読むのとはちょっと違うのです。

昔の楽友会にはそういう言葉を使う先輩がいました。かつて男声合唱は「ドゥア・コール(Dur Chor)」に対し、女声合唱は「ルモ・コール」といいました。モール(Moll)をひっくり返して、女声を「ルモ」、女性を「ルモちゃん」なんて呼んでた時代があります。”Dur”、”Moll”はジャズ人間には通じません。ジャズ屋は”major”、”minor”ですからね。ジャズに詳しい人たちが楽友会にミュージシャン言葉を持ち込んだものと思われます。

いつ頃からか、楽友会でそんな言葉は死語になっていると思います。如何ですか?

ジャズでは、Jelly Roll Mortonという男が和音を表すコード記号を発案しました。コード記号は伴奏用の言葉であります。ハ長調のトニカ(TドミソC-E-G)は”C”、サブドミナント(WファラドF-A-C)は”F”、ドミナント(XソシレG-H-D)は”G”、ドミナントの属7和音(ソシレファG-H-D-F)は”G7”などと書くことを提案しました。コーラス人間でなくても「和音の進行が美しい」と気持ちがよくなって感動します。

発声練習で、T-W-T-X7-Tなんてやったことがあると思います。これはドイツ式の和音記号ですが、ズージャの世界ではC-F-C-G7-Cと書くわけです。ドイツ式では相対的和音記号で、ズージャでは絶対的和音記号を使っていると解釈できます。クラシックではキーを変えることはありませんが、ジャズではキーは自由に変えます。したがって、ミュージシャンの中には、C-Am-Dm7-G7という循環するコードを、1625などという人がいます。これは相対的なコード進行の表現をしているのです。キーがFに変われば、F-Dm-Gm7-C7となるだけです。要するにどうにでもなるということです。

これを昔のミュージシャンはどういうわけか英語読みをせず、「ツェー」「ゲーセブン」などと呼んでいました。ただし、ドイツ語読みはシンボルの部分だけです。Am7は「アーマイナーセブン」です。今の人たちはほとんど英語読みです。われわれは、お金の勘定もコード記号で話していました。「タクシー代がC千G百」なんていうわけです。「シー千ジー百」では野暮ったく「ツェー千ゲー百」といいます。岡忠さんの授業ではC,D,E,F,G,A,Hと習いました。ズージャでは、C,D,E,F,G,A,Bです。「ハー」はありません。「ビー」です。

授業中にパッと当てられます。「A durのトニカは?」と聞かれ、反射的に「A, Cis, E(アー、ツィス、エー)」と答えるわけです。岡忠さんは、にっこりと微笑みます。

「1001」という海賊版の歌本が50年代ごろでしたか売りに出されました。といっても海賊版ですから本屋にも楽器屋にも並びません。口コミで人づてに内緒で買うのです。去2010年の夏頃、TBSが制作した倉本聰脚本、鴨下信一演出の「歸国」というドラマで使う音楽を「1001」から選びたい。何処にいったら売っているかとメールが来ました。そんなもの売っていないよといって貸してやりました。ネットで「1001」で検索したのだそうです。その1001の1曲目は忘れもしない”Again”です。紙の色は変色しています。50年以上前の譜面です。

5線の上にコード記号が書いてあります。ジャズのピアニストはこれだけで弾きます。うちの娘が学生時代は譜面さえあれば何でもバリバリと弾いていました。ショパンでも何でもいいのですが、この譜面では弾けません。なんとも情けなく可哀相なもんです。こういうことを私に教わらなかったのです。

コード記号を見て伴奏ができるようになると、幅が広がります。こんな譜面だけあれば好きなように演奏できます。ボサノバでも4ビートでも自由自在です。ピアノを少しでも弾ける人はジャズのコードあるいはコード理論を勉強してみることをお勧めします。

 ジャズコーラスの故郷:さて、カッパが17歳、高校3年生のころミルス・ブラザースが好きで聴いていました。1944年のシングル版でA面が”Till Then”、B面が”You Always Hurt The One You Love”というのがありました。実にHeart Warmな歌で、大人になったら歌いたいと温めていました。ミルスが60年代に初来日したとき、11PMで司会をしていたブルーコーツの小島正雄さんがこの歌が大好きで、小島さんの番組にミルス兄弟が出たのですが、ノーマン・ブラウンのギター1本の伴奏で歌いました。


Mills Brothers

さて、半世紀にわたりジャズコーラスを書いたり歌ったりして遊んできたのですが、つい先日のこと、”Till Then”の3声の譜面を書き試しに歌ってみました。やはり、難しい歌であることがひしひしと分かります。以前にも2曲くらいお聞かせした時がありました。何時でしたっけね。久しぶりにかっぱが手を焼く難しい歌って何じゃらほいですよね。苦労して歌っているのがわかると思います。5年位したらもう一度やってみます。(わかやま・8/7)

⇒ Till Then by Kinichans