Editor's note 2011/9

 太宰治の「桜桃忌」は有名だが、向田邦子の「木槿むくげ忌」はほとんど知られていない。これは向田(1929-‘81年8月22日)さんの死を悼む山口瞳(1926-95)氏が、哀惜の念にかられて綴った「木槿の花(新潮文庫‘94年)」という著書で提唱された忌日だが、この書にすばらしい解説を寄せた、向田さんや山口氏を一番よく知る久世光彦(1935-2006)氏も既にこの世の人ではない・・・・・

先日こんな話をしていたら、ある若い知人が「山口さんて男?『瞳』なんてお名前だから、女性と思っていたわ」なんていった。こうなるとテレビ時代に圧倒的人気を誇った向田・山口・久世といった逸材の知名度やその作品の評価は、私の思ったほど一般的ではなかったのか、といささか不安になった。が、やがてそれは世代間ギャップと分かって少しホッとしたものの、やはり何がしか寂しさが残り、しばし憮然ぶぜんたる思いに沈んだのである。

 そうこうする内にNHKが向田さんの没後(台湾旅行中に飛行機事故で急逝)30年を記念して「胡桃くるみの部屋」という掌編小説を、新たにテレビ・ドラマ化して放映するとの予告が出た。<さすがNHK!>と思って楽しみにしていたが、結局は<見なきゃよかった>に終わった。

期待した私がバカだった。最近はNHK・民放の、どの新作ドラマを見てもガッカリするばかりではなかったか。ことに<若い脚本家の作品なんか、もう二度と見ない!>と心に誓ったはずだ。それにも拘らず見てしまったのは、やはり向田さんの名前に惹かれたことと、心の片隅に<最近の女流作家・脚本家の台頭は著しい。この中から、あるいは向田二世が育っているのかもしれない>という淡い期待が残っていたからだ。しかし現実は厳しく、期待はことごとく空振りに終わった。

―――このドラマ、時代設定は原作とほぼ同じ。日本が経済大国といわれるようになった70年代後半。東京・目黒の普通の民家。そこに暮らす6人家族(原作は5人)の中流家庭に異変が起きた。ある薬品会社が倒産し、そこの部長だった父親(蟹江敬三さん)が、それを契機に家出する。実は、鴬谷の小さなおでん屋のママとできていて、そのアパートにしけこんだまま一向に家に帰ろうとしないのだ。

その話の序盤で、いい年をした姉妹3人が座敷でけんかする。するとそこへうつ病状態で病床に臥(ふ)せっていた母親(竹下景子さん)が現れ、バケツで水をぶっかける!それが病人として、当時の54歳の女性として、ごく普通の専業主婦・4児を育てた母として、何とも不自然な情景で見るに耐えなかった。こんなことは原作にも書かれていない、珍現象である。

これは多分、向田・久世のコンビで制作した「寺内貫太郎一家」の真似ごとだろう。なるほどそこでは小林亜星さんと西城秀樹さん扮する親父おやじせがれが、茶の間で取っ組み合いの大げんかをする場面が、毎回のように演じられていた。でもそれは男同士、しかも下町の石材屋の頑固一徹な親父と反抗期真っ盛りの倅にありがちな日常茶飯の出来ごと。ごく自然な情景で笑いを誘った。だが、そんなこと「胡桃の部屋」には通用しない。

けんかの場面だけではない。金銭感覚にも嘘がある。20代で平社員の次女(松下奈緒さん)が、部長であった父親に代わり、家族4人の生計と一軒家を維持する家計全部を面倒みる設定で意気がっている。だが、そんなことできるはずがない。大学生の弟や、高校生の妹の学費負担だけでもムリがある。しかし、次女はそんなことにお構いなく、皆に鰻を振舞ったりして余裕を見せる。何とも非現実的な設定だが、脚色者も演出家もそれに気づかないのだろうか?見ていてアホらしくなった。

父親は最終回の第6話(8月30日放映)で脳溢血に倒れた。一命はとりとめたものの、意識は戻らない。そこでようやく住みなれた一軒家を処分し、父親の借金を返済し、母親は入院先に近いアパートに転居し、家族も銘々落ち着くべきところに落ち着いて大団円という段取り・・・・・。

これが全て原作にない作り話。そこで、大事なエンディングを脚色者の勝手で付加してもいいのかという大きな疑問が生じた。そればかりではない。原著者の向田さんが、こういう結論に導くはずだったという確証でもあるのか?原作と似て非なるこのドラマに原題を付すのは、一種の盗作もしくは剽窃ひょうせつではないのか?それは著作権の侵害ではないのか?当時の病院は、植物人間をいつまでも入院させていたのか?といった大小の疑問が次々にわいてきた。だから「向田ドラマ」を見終わった喜びなぞ毛ほども生じず、逆に<何が「没後30年記念」か!>という怒りに駆られた。

 
 そのほとぼりを冷ますため、私は近所の公園に向かった。そこの「木槿」は炎暑にも心をなごましてくれる一服の清涼剤である。だが先月の編集ノート冒頭に掲げた写真のように、鬱蒼うっそうとした木立の繁みに咲き誇っていたその花も、つくつく法師が鳴き出す今となってはほとんどが散り果て、代わりに「夾竹桃きょうちくとう)」が目もあやに浮かび上がっていた。

この花は広島市の市花に指定されている。その所以ゆえんは「原爆被災後70年間は草木も生えないといわれていたのに、いち早く咲き出で、市民に復興への希望と光を与えてくれた」からだそうである。

・・・年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず・・・
の想いを、一際ひときわ深く感じた今年の夏だった。
                       (オザサ・9月7日)


闇に鮮やか夾竹桃(茎は竹、花は桃に似る)

 向田邦子の愛聴盤:1977年に雑誌「クロワッサン」で向田邦子の愛聴盤として、ミリー・ヴァーノンMilli Vernon(1930− )のLP「イントロデューシング」が紹介されたことがある。録音されて発売されたのは1956年ということで、さらに古い話になる。

それで、ジャズなんて聴きもしない人たちまでが、このLPを買いあさった。なんとも日本人らしい!!

一時、このLPが中古市場では2万円とか3万円の値段がついていた。その価値があるかどうかは??
 

1999年に徳間音工がCDとして復刻発売したのだが、間もなく徳間が洋楽から撤退することになって廃盤になってしまった。それで、ジャズボーカル・マニアの間では、この盤が「幻の名盤」と呼ばれるようになった。

それが、再復刻されて2007年だったかに発売された。驚きましたねぇ。30年後にNHKのテレビで向田邦子の愛聴盤の話が再び紹介され、大ブレークをしたという。地味なジャズボーカルのCDが品薄になるほどの売れ行きだとか。「このような超マニアックなアルバムが売れるとは、日本の音楽ファンも捨てたものじゃない」と、メールをよこしたのは1年後輩のおじさんなのだが、お世辞半分、皮肉半分だね。歌はなかなか渋いです。1曲聴いてみますか?

 

 帝国ホテルのジャズフェス8年前に始まった都心のジャズ・フェスティバルがある。Imperial Jazz Complexという。犬丸一郎さんがよくチケットを赤坂のマヌエラに持ってきて「来たい人にあげてくれ」というので、初めの頃はただの切符で覗きに行かせてもらった。

帝国ホテル(東京)の2階、3階の宴会場4〜5部屋くらいをこのイベントに使い、スポンサーの部屋ではケーキとコーヒーが振舞われる。ライブの部屋では午後2:30から7:30まで休憩時間をはさみながら出演バンドがライブを繰り広げる。もっとも広い孔雀の間はぎっしりと椅子が並べられて、座る場所はブロック指定される。


日比谷 帝国ホテル

前の方半分はS席15,000円、一番後ろのB席でも9,000円取る。うちはB席の一番後ろ、何も見えない。こんな値段だが1000人ばかりと思われる客でSold Outだという。来ている人に誰か知り合いはいないかいつも探してみるのだが、誰もいたことが無い。知っているのは出演するミュージシャンだけ、あ、1人いた。Jazz Worldというタブロイド紙の編集長の内田氏だった。

この大広間では大ステージが設えられ、奥田宗宏のビッグバンドがいろいろなゲストを迎えてガンガンやる。塾の大先輩、北村英治(cl)は82歳を迎えてますます元気だ。大とりは来日中のサリナ・ジョーンズ。この人が出るときは会いに行ってやらないと寂しがるし、行かないと怒る。日本に来るときはマネージャーのトニーがメールで知らせてくるから、知らなかったでは済まされない。ライブが終わってから控え室に行って顔を見てくる。旦那のキース(ロンドンの作編曲家)も来ていた。大阪の帝国ホテルでも大体同じ番組が2日後にあり、それが終わると、オーストラリアに回るのだと言っていた。

こういう大きなイベントには人が集っている。ジャズの専門店といえるライブハウスには人が集まらない。集まるのは、比較的若い歌手に集客を強いる店だけだ。若い歌手はきれいきれいして歌いたい。そこで「20人集めなさい、そうしたら歌わせる」と4人の歌手に言えば80人は集まる。伴奏をするバンドも下手な歌手の伴奏では面白くない。歌える歌手に「客集めをしろ」とは言えない。ジレンマがある。

昔はいいミュージシャン、いい歌手をブッキングすれば、客は勝手に聴きに来たもんだ。今はそうではない。何とも情けない。私の友人でデトロイト出身のR&B調のフィーリングで歌う上手な黒人歌手がいるのだが、六本木の古い店でライブがあったので行ってやったら、われわれ2名だけだったことがある。”Lady and gentleman”だ。可哀想だし、もったいない。

あまり酷いので、マヌエラに20人ばかりに声をかけて集め、彼の歌を聴くためのゲストデーを開いてやった。聴きに来た人は喜んでくれたし、本人も熱唱した。彼は私になついてしまった。


Ross Berbour(1928-2011)

 みんな死んだ:3ヶ月前に4Freshmenの創設メンバー、ボブ・フラニガンが亡くなったばかりだ。最後に残ったロス・バーバーもこの1年はガンと闘っていたのだが8月20日に亡くなって、オリジナル・メンバーは「みんな死んだ」。

私たちが高校生の頃に彼らのハーモニーを聴いて痺れた。バーバーショップのドミソ、ファラドの世界と違うのだ。よく真似をして歌ったものだ。1940年代から50年代に人気のあったスタン・ケントン楽団のようなモダンなサウンドをコーラスでやってしまった。この10年位はメンバーは変わらず、22代目がツアーをしている。

彼らのクロージング曲はロスの書いた”And so, it's over”である。これを歌うと、もうアンコールは無い。1964年に来日したときの”And so, it's over”のビデオがある。歌っているのはGroup #4である。U Tubeにアップしておく。本当にAnd so, it's overになった。(わかやま・9月7日)