Editor's note 2011/10

 「きみは愛されるために生まれた」という、日本語としては何ともこなれない、直訳調の歌詞がある。だが、その詞を配した曲が多くの人の感動をよんでいるという。早速YouTubeで調べてみたらなるほどたくさん在るわアルワ!いろいろに歌われているがゴスペル風に歌うのが正調らしい。曲はニ長調4/4で音域は下がhで上がaの1オクーブ圏内だからムリなく歌え、単純なメロディーで反復も多いから覚えやすい。
 

 実は、この曲のことを知ったのは5年ほど前のことだ。英文学者で、讃美歌研究で著名な大塚野百合さんの「讃美歌・唱歌とゴスペル―『荒城の月』『オー・ハッピー・ディ』などをめぐって(創元社06年11月刊)」という本に載っていたから。それによると:

・・・・・この曲の原点はある牧師が若者に<人生の意味をわからせ、自殺を思いとどまらせよう>と思い立って自ら作詞・作曲し、ある伝道集会で歌ったことにある。その演奏が深い感動をよび、実際にそれを聴いて自殺を思いとどまり、再起した女性もいた。

また、韓国のイ・ミンソプという人は97年、その時の記憶を基に韓国語による詞・曲を書き起こし、元曲に新たな生命力を吹きこんだ。それがソウル市内の教会で青少年に歌われ、次第に韓国全域に普及してブームとなり、中国、台湾そして03年頃、日本に渡ってきた。

いわば日韓合作の曲だが、残念ながら、その基となった日本人牧師の名やオリジナル詞曲は不明である。だが、現在上掲の訳詞(神 明宏氏他2名の共訳)で知られるイ・ミンソプさんの作品を日本で広める拠点となった人と場所は明らかで、長崎バプテスト教会の友納靖史牧師がその人である。

師ご夫妻はある晩教会前の川原で騒いでいる若者たちに気づき、そこに家庭不和で家出して、泊る場所もない少年少女もいることを知って教会に招き、あたたかくもてなした。その仲間は数カ月の内に10数名に増え、中には親の暴力で家に帰れない長期間逗留者も3、4名いた。だが教会は門を閉ざさず、かえって友納牧師を中心とした教会全体が積極的に彼等と交わり、共に涙しつつ痛みを分ちあい、共に「きみは愛されるために生まれた」を歌って、真の愛への門戸を開いたのだった。

その歌声はやがて教会の壁を超えて市内の全小学校に広がり、やがて特製のCD(題して「希望のうたごえ」)ができるに及んで新たな展開をみた。そのCDを県下全域の学校や養護施設に配ろうという運動が起き、歌声の輪はさらに大きくなった。それはその頃長崎で相次いだ幼児虐待・殺害事件に心を痛め、人間不信に陥り、暗澹とした思いに沈みがちだった長崎じゅうの人々の心に呼応し、まさに字句通り「希望のうたごえ」となって普及し、皆の愛唱歌となったのだ・・・・・。

 <そのCDのその後は?>。フト気になって調べてみた。すると今は東北地方で活躍していることが分かり嬉しくなった。<それなら「楽友」にも何かできることがあるのではないか>と思えたからだ。

「楽友」には仙台で被災した仲間がいる。だがその人に限らない。東北地方で「泣き、嘆き、憂い、悲しみ(BWV.12)」に沈んでいる同胞が、他にも多くおられることは明らかだ。もちろん楽友たちは既にいろいろな形で被災者救援にカンパされているに違いない。だが、問題は長期化し、寒冷期を迎えて事態は深刻化している。さらに何かしてさしあげたいと思うのが人情であろう。

そこで一つ個人的な提案をしたいのだが、このCDを贈る運動に参加してはどうだろう。郵便局から一口2500円を送金すると、宮城県下被災地の小中学生に「希望のうたごえ」1〜2枚が届けられる仕組みになっている(詳細は下記URL参照)。

収録曲は「きみは愛されるために生まれた」と「ビリーブ」の2曲だけだが、それがソロや児童合唱や珍しいパイプ・オルガンの独奏といった多種類の演奏で楽しめるし、伴奏だけのカラオケ・バージョンもあるので何かと便利に使える。

それに、「ビリーブ(作詞・作曲:杉本竜一氏)」という曲が実にいい。私は知らなかったが最近は幼稚園・保育園児から高校生まで知らない者はない、といわれる程ポピュラーな曲で、特に卒園・卒業式で「蛍の光」に代えてよく歌われているらしい。NHK「生き物地球紀行」のエンディング・テーマだったそうなので、一度は耳にした方も多いと思うが、大人たちにも、もっと知られていい曲だと思った。歌いやすく、ジーンと胸に沁み入る歌詞は被災し、不幸な境遇に陥った方々をお慰めするにふさわしい調べである。「きみは愛されるために生まれた」と共に絶妙のカップリングといえよう。


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 参考記事(URL):

@ CD「希望のうたごえ」を被災地・宮城の子どもたちに贈る募金活動の応募要領

http://kibounoutagoe.web.fc2.com/

A この募金活動の主宰者

郵便局振替口座・加入者名: 「長崎から希望の歌声を」実行委員会

問合せ先:  kibonoutagoe@goo.jp  「希望の歌声」宮城実行委員会

後援団体: 仙台放送、仙台リビング新聞社

B YouTubeで試聴

A)ある保育園の卒園式での光景「ビリーブ」

 

B)ある老若男女グループによる「きみは愛されるために生まれた」

 

C)視聴者数1の「きみは愛されるために生まれた」(ソロ・ヴァージョン)


(10月5日・オザサ)


 ジャズを一緒に歌いませんか?:理工学の研究教育にはコンピュータは欠かせません。しかし、ハードもソフトも日進月歩でついてゆくのが大変です。便利になってありがたいのですが、古いものは誰も使ってくれません。

音楽には古典があります。ジャズにはスタンダードがあります。仕事で新しいことを追い続けなければならない者にとって、スタンダードはオアシスです。いつまでも古びないのですから。

・・・・中略・・・・月に一度くらい、バンド演奏をバックに歌って飲んで楽しむのはいかがでしょうか。興味のある方は若山まで・・・・
 

てな一文が、今月アップした「楽友三田会会報29号」に書いてありました。1995年11月のことです。自分で驚きました。これまで、楽友や三田会報に寄稿した記憶はまったく無く、自分は楽友会には何もコントリビュートしていない人種と思い込んでいたのですが、その反例が出てきました。調子に乗って、その年の5月に出た同28号を眺めると、トップに私が新年会の報告を書いています。

この新年会で、初めて寺田さん(5期)の率いるジャズコンボ「ファイブ・ブラザース」が4管フルメンバーのSeven Brothersで登場しました。この先輩バンドをバックに何か歌ったらしいです。やっぱり、最初にジャズバンドを楽友会の行事に呼び込んだのは私でした。寺田さんは「おい、大丈夫かよ」なんて心配そうにしていましたが、何のなんの、岡忠さんも大喜びしてくれました。

その上、マネージメントが優れていたせいで15万円も黒字を出してしまいました。

思い出してください。この年には淡路阪神大震災があったのです。そこで、余剰金をそっくり震災の被災者に義捐金として送らせていただきました。何と気の利いたことをしたもんだ、たいしたもんだと、自画自賛で感心しているところです。

ちなみに、書き出しの「ジャズを歌いませんか?」には、誰も問い合わせはありませんでした。ずっこけました。
 

 それが16年後になって:楽友三田会合唱団の広報係は瀬戸隆子さん(14期)です。彼女からのメールで同じ仕事場にニューヨークでもジャズを歌ってきた女性がいるので、私のジャズ・サイトを紹介したのだそうです。そうしたら、「知っている名前が出てきたりで面白い」といって喜んで読んでいます、とメールをくれました。

「そんな人がいるなら、マヌエラに連れていらっしゃい」となって、10月18日(火)にデートすることになりました。瀬戸さんのお友達の歌姫は、東京都庁のジャズフルバンドで歌う千恵子さんです。その演奏旅行でニューヨークに行って歌ってきたというのです。

18日には、千恵子さんの都庁バンドのピアニストの村上さんも参加されます。当日のマヌエラのベース奏者は藤田わたるですが、千恵子さんは藤田君の大ファンなのだそうです。


藤田わたる(bs)

楽友の皆さんで興味のある方は、当日、私もマヌエラにいますのでどうぞ遊びに来てください。予約など要りません。

お店のことは ⇒ こちらに(このサイトも私の制作管理です)

学生時代、慶應のKMPでピアノを弾いていた中田光雄という男がいました。卒業してゼロックスに勤めたのですが30年ほど前、転勤の辞令が出たのですが「俺は行かない」と、会社を辞め赤坂一ツ木通りにジャズピアノ・バー「リトル・マヌエラ」を開きました。20世紀はジャズの生まれた世紀です。この時代に生まれ育った年寄りの音楽はクラシックとジャズに決まっていました。もちろん、演歌や歌謡曲もありましたがインテリはそういうものを好みませんでした。

開店以来15年〜20年は、毎夜、ジャズ好きのおじさんやおばさんが集まって大騒ぎしたものですが、その当時の年長者はたくさんあちら側に行ってしまいましたが、生きている方々はOver Eightyです。若かった人も還暦を過ぎています。後に続く若者が育たなかったのです。今は毎日閑散としています。潰れると困るので、毎週足を運んでいるのです。

楽友会は歌好きの集まりのはずですが、1人で歌うのは苦手な人が多いのです。合唱団上がりはほとんどの人がソロで歌いたがりません。歌っても大体は面白くありません。ソロで自己主張する訓練ができていないからです。己を殺して歌うことしか知りません。それに、合唱団の発声法はジャズを歌うのに適していません。発声法を一朝一夕に変えることができればいいのですが、何年もかかります。それで、大体の人は諦めます。楽友会の同期のK君が、開店前の時間にこの店に来てスタンダードジャズを歌う練習をしに来ました。本人は内緒のつもりだったのですが、店主が私に話してしまいました。「若山さん、Kさんをご存知ですよね。毎週水曜日の早い時間に来てますよ」

K君は「ライブができるようになりたい」と通ってきていました。しかし、発声が楽友会で合唱をやっていた頃の発声です。自分ではそれしかできません。店主の中田はピアノ伴奏はできますが、発声の指導はできません。K君は結局あきらめて来なくなりました。私が「何時でも師匠を紹介するからな」といったのですが、もう一歩踏み出すことができませんでした。
 


峰 純子(vo)

  あるジャズ歌手の一言:2004年、58歳という若さでこの世を去った峰純子というジャズ歌手がいました。当代の歌手が勢ぞろいして1曲ずつ歌うようなジャズコンが年に一度か二度あります。NHKの紅白みたいな感じです。八城一夫の追悼コンサートで、ぞろぞろ歌手が出てきて歌いましたが、印象に残ったのが峰さんともうひとりだけでした。

亡くなる2週間前に一緒に歌いましたが、それが最後となりました。いい歌手でした。

岡崎から出てきたというピアノの弾き語りの若い歌手が西麻布のINDIGOという店に出入りしていたのですが、ある日、私に「クルーナー唱法って何ですか?」と尋ねました。音楽事典には「クルーニング唱法」という項目があります。

1920年代にマイクロホンができて、ささやくような歌声でもホールの後ろまで声が届くようになり、ポピュラー音楽にクルーニング唱法が生まれたとあります。それまでは、ジャズ歌手やブルース歌手もオペラ歌手と同様、生声で歌わなければなりませんでした。その当時の歌手にAl JolsonやBessie Smithなどがいますが、後のクロスビーやシナトラのようなソフトな歌声とはまったく違います。

あるライブの日、峰さんと話しているときクルーナーの話になりました。彼女は一言、こういいました。

「クルーナーはねぇ、どこにも声を当てないで発声するの」

こんなこと音楽事典にも書いてありません。彼女は歌もうまいが、知識も半端ではありません。私の目には狂いが無かったことが証明されたというエピソードです。音大の声楽科出身ですが、峰さんはクルーナーです。どのくらいささやくか聴いてみますか?

 
峰 純子 1991

(わかやま・10月5日