Editor's note 2011/12

浦島太郎像(香川県三豊市)

  いつもの散歩道をのんびり歩いていたら前方に亀がいた。近寄ったら直ぐに首や手足をひっこめて丸まった。<どうしてこんなところに?多分近所の家で飼われていたのだろう。逃げ出した?あるいは捨てられた?何れにしても、こんなところでノソノソしていたら大変だ。水場もないし餌もない。猫や腕白どものなぶりものになってしまう。可哀そうだ・・・>

どうしようかと考えながらその界隈を一巡した。その間約20?30分。人通りの少ない小道であるが全く人が通らなかったはずはない。でも誰も気づかなかったか、気づかないふりをして通り過ぎたのか、亀はまだそこにいた。私もそうしようと思った。だが、なぜかサッサと立ち去るには忍びない情にかられた。行きつ戻りつしているうちにつるべ落としの秋の陽は沈み、あたりに闇が迫った。亀は心細げに長い首を突き出し、じっとこちらを見つめている。
 

ためらいながらも、ついに私は亀を拾って家に帰った。<きっとカミサンが嫌がるだろうな>と思っていたら案に相違し、直ぐにプラスティック製の衣装ケース1段を取り出して<ここに入れて飼ったら?>と言ってくれた。私に「飼う」つもりはなく、せいぜい七五三を迎える孫たちに見せるまで保護し、後は直ぐ近所の池に放すつもりであったが、その箱は飼うにも十分な大きさであった。
 

結局、孫たちはなかなか遊びに来ず、約2か月たって亀はすっかりわが家に定着してしまった。わが「家」といってもマンション8階の一隅。亀の適地ではない。しかしカミサンはその甲羅を洗ってやったり、餌の心配をしたりしてかいがいしく世話をしている。餌を食べるようになれば徐々に情もわき、可愛く感じるのだろう。今まではかたくなにペットを飼う事に反対していたのに、今度ばかりは全くその気配がない。「だって全然手がかからないし、私たちより先に死ぬこともないでしょ」といってニコニコしている。

確かに亀は犬や猫、あるいは小鳥に比べて全く手がかからない。ネットでいろいろ調べたら、この亀は昔からどこにでもいるクサガメのメスでまだ若いらしい。餌は少ししか食べないから水もあまり汚れない。散歩に連れ出す必要もなければ、病を気にすることもないらしい。ペットというよりベランダ・ガーデニングの一添景といった感じで日々おとなしく過ごしている。

それでいて動物には違いなく、植物や鉱物とは違った生体反応があるから面白い。昼間、溜め池風にしつらえた箱から出すと嬉しそうにベランダをあちこち歩き回る。

水が恋しくなれば水気のある植木鉢に身を寄せ、日差しが強いと物陰に潜む。人恋しくなれば(?)ベランダと居間の境のガラス戸をコツン、コツンと甲羅で叩く。そこで戸を開けてやるとどんどん奥の部屋まで進入し、机の下でのんびり昼寝だ。

臆病もんで、チョットでも動いたり音をたてたりするとすぐ縮こまり固まってしまうが、静かだと全身を甲羅の外に伸ばしきる。首が意外に太く長くて鎌首のよう。それを見ると<なるほどこいつは爬虫類!>と思わせるものがある。ならば一匹だけにしておくのは可哀そう。<オス・メス番(つがい)にしてやらねばなるまい。すると自然に子供も生まれるのか?そうなるとこのベランダでは狭いだろうなぁ>などと取り留めもないことを考え<こんなはずじゃーなかった。孫たちの生体観察が終わったら、一駅先にある池のほとりに連れて行って放すつもりだったはず・・・そうだ、そうしよう>と思い直したりする。

 それにしても、なぜこんなに亀のことが気になるのか。多分、若い頃の想い出に繋がるからだろう・・・昔は東京にも「水辺」がたくさんあった。池があり、そこから小川が流れ出て、多くの自然の恵みをもたらしてくれた・・・家の近くに「九品仏池」というかなり大きな池があり、子供たちは弁天島を廻ってのボート・レースや釣りや金魚鉢用の藻草を採ったりする遊びに興じた・・・藻草や、たまに釣れた「雷魚」などの珍魚は、自由が丘商店街のおもちゃ屋に持って行くと、相応のメンコやベーゴマと交換して貰えた・・・一方、小川のほとりは独り遊びの宝庫だった。川幅と高低、その深浅と四季の移ろいにより川はさまざまに変化し、詩情をもたらす・・・春先、水ぬるめばたくさんの魚が群れ泳ぐ。「めだかの学校」そっくりの情景が現出し、ごく自然にその歌が口をついてでた・・・水スマシ、オタマジャクシ、蛙、水蛇、ダボハゼ、カジカと続き、これにゲンゴロウやヤゴが交じってくると季節は秋。「夕焼け小焼け」、「赤とんぼ」、「今はもう秋」、「雪やこんこん」・・・想い出は尽きない。
 

こうした中で一番よく歌われたのはやはり「もしもし亀よ」と「昔々浦島は 助けた亀に連れられて」だったと思う。今でもその歌詞はソラで歌える。何しろ亀は1年中、そこかしこにいた。阿佐ヶ谷で生まれ育った6歳年下のカミサンも同様だったらしい。だからこの歌は、今でも一緒に和して歌える。「軍歌」はダメ(年齢差)だが「亀」なら大丈夫。これぞまさしく「年の功」ならぬ「亀の甲」。平和な気持ちになれる。

何でも「浦島」や「龍宮」伝説は「日本書紀」や「万葉集」にも出てくるという。しかも古来「鶴は千年、亀は万年」と言い慣わされて縁起よく、元号では奈良時代の霊亀(れいき)や神亀(じんき)、下って室町時代の文亀(ぶんき)や元亀(げんき)など、動物名としては異例の多出である。もちろん人の姓名や店の屋号にも重用され、その例は枚挙にいとまがない。

 従って亀との出会いは吉兆(よい事の起こるしるし)の最たるものといえるのだそうだ。してみれば私の来年の初夢は「めでたく乙姫様から玉手箱を戴く」という事になるのであろう、か?いやいやそれならもう結構。とっくに白髪になっております・・・。

今年も一年、大層お世話になりました。楽友会の記念すべき「第60回定期演奏会」もめでたく打ち上げとなることでしょう。皆様お揃いで、よい年をお迎えください!(12月7日・オザサ)


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 譜面を持っていきました:先日、楽友三田サロンの忘年会に出ました。昔々の例会には何回か出たことがありますが、この15年くらいはご無沙汰続きでした。今年は珍しくも「楽友」の編集部主幹、オザサと一緒に参加しました。

今年話題になった”BELIEVE”という歌の話を小笹主幹が先月の編集ノートで書いています。その混声3部合唱の伴奏をCDに作成したいということで、譜面を送ってもらいました。G長調で編曲されています。見てみると素人のコーラス隊が歌うには1音高そうです。主幹に

「高すぎないか?」

その返事は、

「その通りだ」
 

そこで、コーラスと伴奏の譜面をF長調に書き直したものをこの忘年会に持っていって渡しました。それで譜面書きが話題になりました。この譜面は、一昨年の11月の「編集ノート」でお話した楽譜編集ソフト「finale」を使って書かれています。上の画像は伴奏譜の第1ページです。

「本当はねぇ、手で書いた譜面が一番よみやすいのです」

手で書くと自分が歌いたいように譜面が書けます。見やすいのです。譜面ソフトで書いた譜面は一見するとおたまじゃくしも揃っていますし、美しいのですが、なんか機械的になってしまいます。

一言でいって、味が無いのです。

私がこのソフトを使い出したのは2002年頃でした。それまでは写譜ペンを使っての手書きでした。楽器店で写譜ペンを買ってきました。昔はそれで譜面書きをしていたのですが、90年代にこんなペンを見つけました。

 手書きの譜面:ドイツのRotring製図用具メーカーが出しているArtPenというペンです。ペン先の幅の寸法がぴったりなのです。このペンは譜面書きのために作られたものではないのですが、とても書きやすく気に入って長年使い続けたものです。


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このペンで書いた譜面のサンプルです。どなたも知っている「枯葉」です。このアレンジの間奏のピアノがミソなのですが、なかなかサッと弾いてもらえません。

手書きの譜面は見ているだけでも温かいです。しかし、一音でも書き間違えると、書き直しです。わたしの場合、そそっかしいのと、書いた後で直したくなったりするので、何度も書き直したものです。

原紙をなくすと大変です。大きな箱にしまってあります。

そのうち、アレンジが気に入った人が「譜面ちょうだい」となりますが、キーが会わないと移調して書き直さなければなりません。

その点、譜面編集ソフトは修正も簡単ですし、銀杏、いや移調も一発でやってくれます。そのファイルはPCにしまわれていますから、いつでも取り出すことも簡単ですし、pdfファイルにしてメールに添付して送ってあげることも容易です。

10年ほど前、この伴奏でレコーディングしたファイルが残っていました。

 

このYou Tubeをクリックしてスタートしてから譜面をクリックしてください。譜面を見ながらどうぞ。

一ヶ所歌詞の単語が抜けているところがありました。分かりますか?クイズを最後に、いろいろあった年も幕を閉じようとしています。(12月7日・わかやま)