Editor's note 2012/3

にあんちゃん

 最近は昔の映画が次々と再上映されるので嬉しい。「にあんちゃん」という1959年に封切りされた映画もその一つ。―「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本(家族編)」―というNHKプレミアムのシリーズ番組中の1本で、案内書には「九州の炭鉱で、生きるためにたたかう四人兄妹の固い絆」とあった。

1959年といえば学校を卒業した年で、慶應義塾創立百年という節目の年に、私は幸いにも意気揚々と社会人としての一歩を踏み出すことができた。だがその一方で、陽のあたらぬ場所で世の不条理に抗しつつ、日々を塗炭の苦しみで過ごしている人々が多数おられたのだ。

この頃の日本は岩戸景気に沸きかえり、いわゆる高度成長の時代に突入していた。が、都会では安保闘争が活発化して保革の勢力争いが激化し、地方では石炭産業が斜陽化して各地の鉱山が閉鎖され、三井三池では戦後最大の労働争議が起き、労使間の対立抗争が全国に拡大していった。
 

そうした激しい対立の時代に、社会の底辺で生きる人々の支えは何だったのか。私はその実情を知りたかった。

そしてこの映画を見るうちに、私はぐいぐいとその中に引きこまれ、登場人物の一人になったような気分で泣き、笑い、時にはハッと我に返って自分の現実と対比し、思いを深め、新たな涙に暮れたのであった。

 粗筋を書く前に「にあんちゃん」とは原作を書いた安本末子(すえこ)ちゃんの「2()人目のあんちゃん」、つまり次兄の高一(たかいち)君である事。また、この原作は創作ではなく、当時満10歳だった末子ちゃんの日記であり、それを映画用に脚色したのは日活の池田一朗と今村昌平(監督)の両氏だったことを明らかにしておく。

・・・・・1953年の春。佐賀県の旧杵島炭鉱で働いていた安本(在日韓国人)が亡くなった。妻は既に7年前に他界しているので、家族は亡父と同じ鉱山で、臨時雇いとして働く喜一(東石・20歳)と主婦役の良子(16)、それに小学生の高一(にあんちゃん・12)と末子(10)の4人だけとなってしまった。


末子ちゃん

亡父の同僚たちが色々と気遣ってくれるが臨時雇いの喜一の賃金は安く、残業代もボーナスもない。「在日」のため本雇いにもしてくれない。兄妹たちの生活はたちまちどん底の状態に陥り、教科書や米さえ満足に買えない状態となっていく。しかも、石炭不況のあおりを受けて解雇され、社宅からも出なければならない。

やむなく喜一と良子は長崎に働きに出ることになり、高一と末子は父の同僚だった辺見家に預けられた。転校はせずに済んだものの、極貧にあえぐ他人宅での居候生活は辛かった。

それにもかかわらず高一は持ち前の負けん気でがんばり、成績もよく、妹にも優しかった。末子も明るい頑張り屋さんでクラスの人気者だったが、つましい食事のため栄養失調や赤痢など、病気に苦しむこと一再ではなかった。

相次ぐストによる抵抗も空しく、遂にヤマは閉山となり、鉱夫たちは家族と共に山を離れる。高一と末子も炭住を出なければならず、喜一の努力で山奥の炭焼き家族の家に転居したが、そこはあまりにひどい環境で、2人は手を取りあって夜逃げした。

そして高一は、ちょうど夏休み中だったので漁港に行き、住みこみのアルバイトで急場をしのぎ、更に東京まで職探しに行く。こうして4人の子供たちも離散してしまった。しかし幸か不幸か、高一は未だ中学生なので就職はできず、逆に警察に保護され、佐賀に戻されてしまう。

この間末子は、小学校の先生などの親切に恵まれつつ、<いつかはきっとまた兄妹4人が一緒になって暮らすのだ>という期待を胸に、たった一人の孤独に耐えて健気に生きた!

予想外に早くにあんちゃんが戻ってきたことで末子は大喜びして手をつなぎ、2人して元気にボタ山を駆け登っていくのだった・・・・・。

 今でもそのラストシーンを思い出すと目頭が熱くなる。何と強い、何と明るいコーダであることか。そこには単に仲のよい兄妹が遊び戯れる以上の光景が映しこまれていた。なかなか言葉ではうまく表現できないが、切っても切れない真の兄弟愛の現れとでも言えようか。

「アンナ・カレーニナ」の冒頭に「幸福な家庭はすべてにおいて似通ったものだが、不幸な家庭はどこもそのおもむきを異にする」という有名な一節があるが、安本兄妹を襲った不幸の実相は、トルストイのいうように類型化し得ぬ複雑さがある。それ故、最悪の不幸と逆境にもめげず、どうしてこの兄妹がそれに耐え、打ち勝ち、正道を歩み続ける事ができたのかという疑問に、誰も答えることはできない。永遠の謎といえよう。

原作を読んでもその謎は解けなかった。むしろなぜ3歳で母親を亡くした10歳の炭鉱の女の子が、これほど思いやりある礼儀正しい子に育ち、確りした作文を書き続ける事ができたのか等々、謎は深まるばかりであった。ただ一つ言えるのは、この子等がどんな時にも「希望」を捨てなかったということ、それだけが確かな事実だ、と思うのである。

 とまれ、この原作は、後に長兄の喜一さんが肋膜炎で病床に伏した折り、退屈まぎれにフトこれを手にして読み進み、強い感銘を受けたことが世に出るキッカケとなった。そして廻りめぐってNHKのラジオ・ドラマやカッパ・ブックスに採りあげられ、ベストセラー本となって多くの人の感動を呼び、遂にこの映画も誕生した。そしてさらに評判が高まり、一時は「にあんちゃん」ブームさえ起きたという。日本版「クオレ」あるいは「アンネの日記」と称揚された時代もあったらしい。

しかし、熱しやすく冷めやすいのは日本人の常。「クオレ」や「アンネの日記」は古典として今も劇場やアニメで活躍しているが「にあんちゃん」のその後はすっかり鳴りをひそめてしまった。

それだけにこの再放送は、真に時宜を得た企画だった。折も折、3.11から約1年。苦境に立ち向かう被災者に、この映画のDVDを送ろうと思ったが、残念ながら絶版で再発行の見込みもないらしい。が、原作は現在も角川文庫から出ているので購読可能である。

ちなみに著者の末子さんは、その後印税等で学費を得、早稲田大学をご卒業。結婚されて二児の母となり、現姓は三村さんといわれる。また、にあんちゃんは苦学の末、慶應義塾大学に進まれ、我々の同窓となるご縁を得た。

このテーマに関連するWebは数多くあるが、筆者が最も参考にしたのは、安本兄妹が学んだ入野小学校のホームページであり、さし絵等も同Webのものを転用させていただきました。
http://www2.saga-ed.jp/school/irino-es/nian/nian-jr.html#top
(オザサ・3月7日)


Emile Allais(1912- ) 98 ans

 百歳の名スキーヤー:筆者かっぱ以上の年寄りで、若い頃、スキーにうつつを抜かした爺様はエミール・アレの名前を覚えているかもしれない。

ほんの何日か前のこと、友人の島崎爽助が「若山さん、エミール・アレ知ってるでしょ?」と言ってきた。クルッケンハウザー教授の「オーストリア・スキー教程」(福岡孝行訳、法政大学出版局、1957)の2年前に、「エミール・アレのフランス・スキー術」(片桐 匡監修、新潮社、1955)が出版された。これらは私が初めて手にしたスキーの教科書である。

50年以上前に買ったエミール・アレの本が出てきた。
 

この話題のきっかけになった島ちゃんは昭和22年生まれだから、楽友会でいえば15期くらいか。1950年代後半には日本のスキー界はオーストリア・スキーの嵐が吹き荒れていた。五輪3冠王のトニー・ザイラーの来日、アーベルク・スキー学校校長、ルディ・マットの講習会などがあり、61-62年のシーズンを通してNHK・朝日新聞の招聘によるフランツ・デルブルの八方・志賀・蔵王での講習会とNHKテレビでの放送などがあり、われわれはオーストリア・スキーを全面的に受け入れていた。

猪谷千春のお父さん、猪谷六合雄はオーストリア・スキーの「シュテム技術」に異を唱え「パラレル・スキー」を提唱した。島ちゃんは、猪谷スキーの信奉者であり、志賀高原の石の湯ロッジで名を馳せたスキーヤーだった。

スキーなんて板切れの上に乗って雪の斜面を滑り降りる単純なスポーツなのだが、2mもある長いスキーはまっすぐ滑るのは重力の趣くままに滑れるのだが、これを回転させ方向転換させたり停止させたりするのは物理的に難しいことである。この長い得物を如何にして自由に操るかは1930年代からスキーが国家的産業ともなっているフランスとオーストリアでは、その教授法の確立に力が注がれてきた。

スキーのアルペン競技は1936年のドイツ、ガルミッシュでの五輪で初めて正式競技となり、滑降・回転・複合(滑降+回転)の3種目があった。エミール・アレは複合で銅メダリストとなった。その翌年、フランスのシャモニーで開催された世界選手権では、何とフランス人初の3冠王となったのである。オリンピックや世界選手権でどちらの国の選手が勝つかでスキー板の売れ行きが決まってしまうのだ。今でも表彰台にスキー板を持って上がりそのメーカー名をこれ見よがしにカメラに向けるのである。このバカバカしいコマーシャリズムに毒されたスキー界はろくなものじゃない。

何十年も忘れ去っていたエミール・アレの話がよみがえった。エミール・アレは2月25日に100歳の誕生日を迎えていたのである。何とも不思議な気がする。

 エミール・アレの滑り:そんなことから50年も開いていなかった「フランス・スキー術」を隅から隅まで眺めた。改めて偉大なスキーヤーの素晴らしい滑りに頭の中が空っぽになった。10代の終わりから日本のスキー界と同様、オーストリア・スキー一辺倒になっていた自分だが、この滑りはフランスもオーストリアもない。

言葉は必要ない。だまって見てほしい。

おそらく、この本は古本屋にも売っていないと思う。そう思って本書の紹介を自分のWeb Siteに書き終わったばかりである。(2012/3/7・わかやま)

興味ある人は、⇒ http://ozsons.jp/FranceSki/