Editor's note 2012/10

さるすべりの花

 保育園の子たちが「♪あれ松虫が鳴いている チンチロ チンチロ チンチロリン♪」と昔懐かしい「虫のこえ」を歌っていた。ほんとうに可愛い!一生懸命だ。ほんとうは<秋の虫たちは、もっと静かに鳴く>と言いたいところだが、元気いっぱいのユニゾンもいい!ただただ1世紀近くも前の唱歌が今に歌い継がれていることが嬉しく、そのいたいけな顔にみとれ、無邪気で元気な声に聞き惚れてしまう。きっとかれ等もいつの日か、猛暑の日々の夕暮れに、フト涼しげにすだく虫の声に気づいて秋の到来を思い、幼い日に覚えたこの歌に、限りない郷愁を感じることだろう。

 その夕べ、いい気分で読書していたら急にカラスが鳴いた。いつの間にか窓外の木に飛来し、突如大音声を発したのだ。「カー・カー」なんてものじゃない。「グワァー・グワァー」とたて続けにわめきたてた。驚くまいことか。思わず椅子から飛び上がるほどだった。そこで、かねてため置いたドングリ数十個をつかんで投げつけたら逃げ去った、ザマーミロだ!でも、最近はこんなことがよくある。だから野口雨情(1882〜1945)がこんな憎たらしい鳥に「七つの子(作曲:本居長世)」という可愛い童謡を寄せた気持ちが分からない。


「金の船」1919年創刊号
(野口雨情作品を多数掲載)


七つの子
(90年:年賀はがき景品)

この歌が世に出た1921(大正10)年頃は、その鳴き声に<♪かわいい、かわいい♪>と子をいとおしむ風情があったのだろうか。それが時代と共に変化し、カラスに威嚇・攻撃的性質を植えつけてしまったのだろうか。80年代にはザ・ドリフターズが<カラス なぜ鳴くの カラスの勝手でしょー>という替え歌をはやらせ、その原曲の情緒はすっかりすたれ、もうめったに歌われることもなくなった。

 代わって今の子たちは、英語まじりの歌が得意である。東日本大震災以後、被災地の人々はもとより、一躍、全国で愛唱されるようになった“Believe(詞/曲:杉本竜一)”もその一つだ。これは92年に始まったNHKの「生きもの地球紀行」というテレビ番組のエンディング・テーマ曲の一つであったが、アッという間に人口に膾炙(かいしゃ)し、幼児まで口ずさむようになった。私も近所の視覚障害者たちのコーラス・グループでこの曲を採りあげ、皆で歌ってみたら、お年寄りもすぐこの曲に馴染み、今では欠かせないレパートリーの一つとなった。何しろ歌いやすいしメロディーだし、歌詞がいい(この曲に興味のある方は昨年10月のこの欄をご参照頂きたい。YouTubeのURLは今でも有効である)。

@ たとえば君が 傷ついて
くじけそうに なった時は
かならず僕が そばにいて
ささえてあげるよ その肩を
世界中の 希望のせて
この地球は まわってる
いま未来の 扉を開けるとき
悲しみや 苦しみが
いつの日か 喜びに変わるだろう
I believe in future 信じてる
A もしも誰かが 君のそばで
泣きだしそうに なった時は
だまって腕を とりながら
いっしょに歩いて くれるよね
世界中の やさしさで
この地球を つつみたい
いま素直な 気持ちになれるなら
憧れや 愛しさが
大空に はじけてひかるだろう
I believe in future 信じてる uh・・・

 他にも英語まじりの歌が今や全盛で、最近リリースされる曲の題名は横文字でないと流行らないらしい。先日も5歳の孫が大事そうにDVDを抱えてきて、我家に着くや否やそれをかけろとせがんだ。「嵐」という若い男声ヴォーカル・グループの、特に“Happiness(詞:Wonderland/曲:岡田実音)”がお気に入りらしい。上の“Believe”よりロック風の速いリズムと長い歌詞、それに振付までつくから大変だと思うのだが、前奏が始まるとすぐ器用に歌いだす。つられて3歳の弟も“Yeah yeah yeah”とか歌いながら踊りだす。あまり楽しそうなので、ついつい私まで調子に乗って「♪止めないで 止めないで・・・♪」なんて口パクしながら手を振り、腰をくねらせ・・・お陰でその日は、足腰の痛みにまんじりともせず一夜を明かしたのであります。それで、そんな歌は嫌いになったかというとそうでもない。反って、又の機会を楽しみに、一人ひそかにYouTubeで練習を始めた。爺バカというか根っからのアホというか、間もなく喜寿の身として恥入る他ない。だがそれが結構楽しい。理屈じゃない。身体を動かしながら歌う事がこんなに楽しいとは思わなかった。その延長で言うのは失礼かもしれないが、これで高校楽友会員たちが好んで演じ歌う「ア・カペラ(PA付きヴォーカル・アンサンブル)」の楽しみや、大学楽友会員たちが最近の定演メイン・ステージに据える「シアター・ピース」という、一種のミュージカルの存在理由に合点がいった。

 それにつけても時代は変わった。もう自然の情景に寄せた美しい抒情歌の世界は時代遅れとなり、代わって言語の違いや年代差を感じさせない、いわゆるJ-POPが定着した。次のYouTubeを見られるがよい。

 

印半纏をまとった老若男女が、祭りで“Happiness”に興じている。この曲は盆踊りでも定番らしい。過日、下町の伝統ある神社の秋祭りを見に行ったら、同じような情景に出会った。縁日の屋台も出ての大賑わい。旦那衆や威勢のいい兄さんや姐さんや子どもたちがワイワイやっている情景は昔と変わらない。が、フト「お神楽」や「お神酒」が無いことに気づいた。今はこの「お××」と書く熟語を正しく読める人さえいないという。「酒」と「楽」と「お神輿」や太鼓はあっても、肝心の「神」は抜け落ちている。「神」は天岩戸にお隠れか?そう、だから<♪同じアホなら 踊らにゃソンソン♪>と浮かれ騒ぐしかない。


阿波踊り-「踊る民謡(えほんの杜刊:作画・久保修さん)から」

そして我々は、ここからどこに行くのだろうか?(オザサ:10月7日)


Sam Phillips(1923-2003)

 ロックンロールの誕生1950年代の半ば、1954年に乱暴な音楽がラジオから聞こえてきた。われわれがまだ普通部生だったころにビル・ヘイリーの”Rock Around The Clock”だった。その前にも黒人のリズム&ブルースにロックンロールの起源を見ることができるのだが、この時をロックンロールの幕開けと言ってよい
 

1956年になると、エルビス・プレスリーが”Heart Break Hotel”を歌って世界中をアッと言わせた。エルビスをメンフィスのSun Studioで育てたのがSam Phillipsという男である

 
Sun Studio, Menphis

Sun Studioからロックンロールのレコードが次々と生み出された。これらはSun Recordsというレーベルだった。プレスリーのバックを務めるバック・コーラスやバンドのミュージシャンは恐らく元はジャズ・ミュージシャンの連中だったのだろう。ブルースコードの単純な音楽なのだが、実に上手いし格好いい。それはプロデューサーのサム・フィリップスが偉かったのだと思う。口には出さなかったがタイシタモンダと思っていた。

サムは50年代のアメリカの若者が何を求めようとしているかを掴んでいたのだろう。
 


Million Dollar Quartet, 1956

 56年前のRock 'n' Roll Portrait先月は54年前のJazz Portraitをお目にかけたが、今月は更に2年古いロックンロールの歴史的写真をお目にかけよう。

1956年12月4日、サムがスタジオにに4人の歌手を呼んでその日限りのレコーディング・セッションを行った。そのレコードはMillion Dollar QuartetというタイトルのLPで海賊版も含めていくつかのレコード会社から発売された。そのセッションの終りにフィリップス自身が撮った1枚の写真が残っている。

左からJerry Lee Lewis、Carl Perkins、Elvis Presly、Johnny Cash 1950年代のロックンロールの4人のスターだ。

私は当時、プレスリーはよく知っていたが、あとの3人は知る由もない。Johnny Cashは80年代の後半にその名を知った。ジャズボーカルの師匠、Dolly Bakerが歌って聞かせてくれた”Sunday Mornin' Comin' Down”というカントリーの歌を歌ったシンガーだったからである。Jerry Lee Lewisなんてミュージカルの当日まで「底抜けコンビの片割れ」かと思っていたくらいだ。

もともとロックンロールなんて馬鹿にしていた少年だった。エド・サリバンやミッチ・ミラーと同じだ。しかし、エルビスは凄い声と歌唱力を持っている。そのポテンシャルは嫌でも認めなくてはならなかった。当時、シングル版を何枚か買ったし、先程、CDの棚を覗いてみたら買った記憶のない数枚のCDが「E」のところにあった。

 ミュージカルMillion Dollar Quartet今世紀になって、Floyd MutruxとColin Escottがこの歴史的一夜のセンッションを脚色してミュージカルに仕立てた。2006年にFlorida's Seaside Music Theatreで初演され、続いて2007年から2008年にかけてワシントン州イサカのVillage TheatreとEverett Cityで演じられた。同じく2008年にシカゴで、2010年から2011年にかけてブロードウェイにかかっている。ついにBroadway Musicalとなり、2010年にトニー賞をもらってしまった。


ミュージカルの終了前のクライマックスシーン

このミュージカルが日本に上陸し、2012年9月に渋谷の東急シアター・オーブで上演されることになった。我が家では4月に発売になったチケットが買われていたらしい。

出演のミュージカル俳優は歌もギターもピアノもしっかりしているし、姿形も本物にそっくりさんだ。4人はアカペラ4重唱も歌ったがなかなかのもので感心した。音楽的基礎が叩き込まれているのだろう。上のシーンでは年寄りのお客さんも総立ちだった。

こんなミュージカルは楽友の皆さんには何の興味もないと思っていたら、井上雅雄君(15期)が「明日、わたしも行ってきます」とFacebookに書いてきた。かっぱ爺さんは驚き桃の木だった。
 

Dorothy McGuire
(1928-2012)
 Dorothy McGuire没McGuire Sistersのドロシーがアリゾナのパラダイス・バレーの自宅で9月7日に84歳で亡くなった。ニュースにはパーキンソン病で苦しんでいたと書いてある。歳は2番目、いつも向かって一番右で歌っていた。クリスティーン(86歳)とフィリス(81歳)は元気にしている。

1949年に結成し、1952年にArthur Godfrey Talent Scouts Showで表舞台に出るようになった。1968年に引退したが、17年後にラスベガスで再デビュー、1999年カーター元大統領の75歳の誕生日に歌ったのが最後といわれたが、2004年に50年代のポップ・コーラスが大集合したPBSテレビ番組に出演した。70代半ばだった3人は若い頃の100倍よかった。

⇒ http://youtu.be/jQ8tK9CkeJ8

Andy Williams
(1927-2012)
Andy Williams没ミスター・ムーンリバーが9月25日にミズーリ州ブランソンの自宅で死去した。自ら膀胱がんであることを公表していた。84歳だった。何と言ってもアンディ・ウィリアムス・ショーは日本国中の人が見た日曜の昼のテレビの目玉番組だった。60代以上の人には懐かしい話だろう。

アンディは日本には数回来て歌っているが、NHK紅白歌合戦に生で出演したのは1991年のことだった。最初は兄弟カルテットでデビューしたのだが、ゲストとして彼の番組で時々歌ったものだった。

⇒ http://youtu.be/C3zk1aNTQ3c

アンディは12月生まれ、ドロシーは早生まれだから、日本流にいえば同級生だ。(かっぱ・10/7)

(編集部注) 今月のEditor's Noteを掲載しながら、小笹主幹がお孫ちゃんと「嵐」のDVDを見ているとは…いい光景ではありませんか。去年の11月か12月、赤坂のお気に入りの和歌山ラーメンの店での話、TBSのスタッフが「嵐」の桜井君と二宮君を連れてきて、「ひみつの嵐ちゃん」という番組があるそうですが、その番組で店の紹介をしたのだそうです。そうしたら、若い嵐ファンからいい年をしたおばさんまでが来ててんてこ舞いとなりました。

ファンは「桜井君はどの椅子に座ったの?何を食べたの?」と同じ椅子に座って同じものを注文して泣き出す始末。さすがの店の主人もたまげたそうです。その騒ぎが収まりかけた頃、そんなこと知らずに、和歌山の梅干しがたくさん入った「しお梅ラーメン」を食べに行くと、珍しく奥さんが手伝いに来ています。その理由が嵐だったのです。ちなみに、桜井君は幼稚舎からのKOボーイです。

主人の名前、竹林伴七から「ばんちゃんラーメン」といいます。ネット検索すれば「食べログ」で出てきます。ラーメン好きの人、一度覗いてみませんか?あと、餃子も。(かっぱ)