Editor's note 2013/7


天鏡閣の紫陽花と山百合

 いよいよ本格的な夏――合宿の夏になりました。♪夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空・・・♪という名曲(作詩:江間章子/作曲:中田喜直)が、あちらこちらから聞こえてきます。曲はこの後<・・・水のほとりに 夢見て咲いている水芭蕉>と続きますが、皆さんは何を思い出しますか? 私は猪苗代湖とその湖畔の旧高松宮翁島別邸(現国指定重要文化財・福島県迎賓館〜天鏡閣)とその周辺の光景です。このサイトでも、追悼文コーナー中の「アコとカクテル」や「渡邉先生の思い出」、先月の「編集ノート」や記念文集コーナー中の「合宿のスナップ」等々に度々登場しています。

 そこにある写真は何れも50年代前半のものですからモノクロです。しかし、瀟洒な白い洋館とその周囲の芝生や木々の緑が織りなす美しいコントラスト、そして、そこかしこに咲く可憐な花々の彩りは今も記憶の内に鮮やかです。過日、その天鏡閣のホームページを拝見していたら、12年7月28日付「スタッフブログ」にこんなにきれい写真が載っていました。以下のブログ本文と共に転載させていただきます(Sales promotionの一助としてお許しください)。http://tenkyoukaku.blog111.fc2.com/page-31.html

こんにちはー!今日の猪苗代は良い天気です。
暑い日が続いていますね。
天鏡閣周辺では、セミが元気に鳴いております。
というわけで、少し涼しげな天鏡閣庭園情報〜♪
天鏡閣庭園の紫陽花をご覧下さい。
ちょうど、山百合も咲き始めました。
どうでしょうか、少し涼しさを感じていただけましたか?
 天鏡閣外売店では、冷たい飲み物からアイス、カキ氷と
 ご用意しております。是非お越し下さいませ。
天鏡閣 かざま(>ー0)b
 下の写真は53年8月初旬に、私たちが合宿させて頂いた当時の天鏡閣を西側から撮影したものですが、その手前、庭の一隅にアジサイの花が咲いています。そう、アジサイの木の寿命は長いので、今でもその木に写真のような見事な花が咲き誇っているのではないかと思いました。ああ、懐かしの天鏡閣!そこで私たち約70名の楽友会員一同が、2年連続で充実した1週間の夏合宿の日々を送ることができたのです。
歌に明け暮れる毎日でしたが、自由時間には当所ならではの楽しみがたくさんありました。猪苗代湖畔を散策する者、ボートに乗る者、泳ぐ者、あるいはテニスする者、レクリエーション・ルームで卓球に興ずる者等々、何でもありの毎日でした。まさに青春時代の想い出のエッセンスが詰まっています。全館貸し切りだったので、夜もかなり遅くまで自然にグループ化した同好の士たちが、随所で語らいつつ交わりを深めていました。女性に最も人気のあったのが「天文グループ」で、3階の6角形の「展望室」に集い、満天に広がる夜空を眺めながら夏の星座のロマンに浸っていました。コバト(小林利雄君/4期)が星座に詳しく、甘い声で「天の川伝説」などを語っていたようです。そうかと思えば2階のバルコニーではキリスト教熱心党の一団が、昼間とは打って変わった涼しい夜空の下で聖書を朗読し、讃美歌を歌ったり祈ったりしていました。皆恥ずかしい程ウブな学生たちでした。

もちろん麻雀等の遊戯も盛んでしたが、学校当局が心配したような不純異性交遊?は全くの杞憂に過ぎなかったのです。

 歌い過ぎで喉を痛めたり、風邪や腹痛で身体の不調を訴える団員もいましたが、会津若松市医師会長の穴沢養一という頼もしいお医者さんが、すぐに適切な治療をしてくださるのでいつも安心でした。実はこの方のお陰で天鏡閣を拝借することができたのです。ご子息が塾高生で、ご当人自ら会津音楽協会長も務める熱心なアマチュア音楽家ということで、会津若松市の名士のお立場から天鏡閣の管理者である福島県知事等と折衝し、大変なご尽力で私たちの希望を実現してくださったのです。そればかりではない。合宿最終日を飾る市内演奏会の会場手配から満員の聴衆動員まで、全てを仕切り、整えてくださったのも穴沢先生でした(前列中央の紳士。会津若松市公会堂で、53年の演奏会後)。岡田先生は「楽友会にとって忘れることのできない恩人」の一人に氏のお名前を挙げておられます(参照:記念文集「楽友会命名の由来と歴代会長」)。

 氏のお陰で翌54年の夏もこの翁島で第3回夏合宿を行い、最終日には会津で演奏会に臨むことができました。この年は6期生が高校に入学し、楽友会の陣容もかなり整ってきましたが女声は大学2年生、男声は大学3年生が上限で、まだ高校1年生から大学4年生までの7年間にわたるフル・メンバーが揃っていたわけではありません。また混声合唱団としての歴史も浅く、発声法その他の技術面も未熟でしたが、穴沢先生は次のような一文を草して私たちを力強く支えてくださっていたのです。

私が中学生の頃―30年前(1924年/大正13年)、会津に演奏旅行に参った事のある既に円熟老成の観があった慶應のワグネルの合唱団に比べて、同じ慶應でも楽友会合唱団は見ても、聴いても誠に若々しい、新興国家のような感じがする。合唱の指導に於いて極めて真面目に峻厳な態度で臨まれる岡田先生を指導者として、高校3年、大学4年合計7年間の有利な永い訓練期間のあるこの合唱団の将来こそは、現在の荒削りの合唱から立派な珠玉の合唱が近く生まれるであろうと信じ、その将来の多幸を祈る次第である(「楽友」第3号「慶應義塾楽友会混声合唱団を会津に迎えて」から抜粋)。


第3回慶應義塾楽友会合宿(1954年)風景
天鏡閣1階ホール(クリックで拡大)

第3回慶應義塾楽友会合宿(1954年)風景
会津若松市公会堂での「フォーレのレクィエム」
オケ:会津交響楽団/独唱:若杉弘・村瀬和子(共に3期)/指揮:岡田忠彦

 こうして古い思い出にひたりながらセピア色になってしまった写真を眺め、穴沢先生の一文を読み返すと内心忸怩たるものがあります。我々は我々自身の初心、穴沢・有馬・岡田諸先生の期待を忘れ去ってしまいました。きっと天鏡閣のアジサイは今年も見事な花をつけ、咲き誇っていることでしょう。だが、高校+大学楽友会の連係、4年に一度のモツレク演奏といった楽友会の伝統は時代とともに風化するばかりです。楽友三田会や理事会は一体何をしているのでしょう。(オザサ/13年7月7日)


油井正一(1918-1998)

 井正一アーカイヴ:日本のジャズ評論の草分けである油井正一氏は、私が生まれた1941年に塾の法学部を卒業された塾員である。15年前に亡くなっているが、軽妙洒脱なジャズ評論はジャズを知らない人にも飽きさせない。

2011年、三田の慶應義塾アート・センターに「油井正一アーカイヴ」が開設された。2003年に保存されていたおびただしいジャズ関連の遺品がご遺族から慶應義塾に寄贈された。この資料の整理とお守りをして8年後にアーカイヴを構築し、学生だけでなく一般にも公開しようと大変な骨折りをしてきたのは、ジャズ・ポピュラー音楽のジャーナリストで、幼稚舎からの後輩、中川ヨウである。

 
アート・センターではアーカイヴの公開だけでなく、中川ヨウがジャズの公開講座を毎月開催している。彼女は湘南藤沢校の大学院政策メディア研究科の特任准教授、洗足学園音楽大学ジャズ・コース客員教授をつとめているジャズの先生である。

だいぶ前の話になるが、中川ヨウが東京FM放送で「ジャズ紳士録」というインタビュー番組を担当していた頃、私のグループ、オージーサンズに出演の打診があった。4人が出るのは大変なので、グループを代表して小島 恂(S41年文学部卒、小島正雄氏長男)がインタビューを受けたことがある。


         中川ヨウ

ヨウちゃんは平凡新書から「ジャズに生きた女たち」(2008年)を出版した。その本が刊行されたとき、神楽坂の「もりのいえ」でオージーサンズが集まっているところに届けに来てくれた。いち早く渡したかったのだろう。サッチモの奥さんだった賢いリル・ハーディン、ブルースの女帝ベッシー・スミス、ビリー・ホリデー、エラ・フィッツジェラルド、それにチャーリー・パーカーやセロニアス・モンクのパトロンだった男爵夫人ニカらの話が書かれている。

 しぶりの教壇:私は42年間大学の教壇で音楽ではなく理工学系専門科目の講義をしてきたが、2011年3月に引退した。それがアート・センターのジャズの講義を1コマ持たされることになった。ヨウちゃんに頼まれて出来ないとは言えない。

7月のテーマは「アメリカン・ソングブックを生んだ作曲家たち」ということで、7月12日に私、16日にジャズ評論家の悠 雅彦が話をすることになっている。悠さんがGeorge Gershwin、Cole Poter、Victor Young、Harold Arlenの話をするそうで、私にはそれ以外のコンポーザーから、Irving Berlin、Hoagy Carmichael、Richard Rodgers、Jerome Kern、Johnny Mercerの5人の話をせよという注文だ。

講義の時間は夜学の時間19:00〜20:30である。塾生は無料だが外部の人は有料となっている。興味のある方は冷やかしに来てください。

詳細は ⇒ チラシ 参加申し込み

三田キャンパスでの講義は情報科学研究所の設置科目を80年代の初めの頃、週1コマを持たされていたが、それ以来のことで一昔どころか三昔ぶりだ。

 じさんコーラスのコンサート:OZ SONSという素人ジャズコーラスが最初にして最後のコンサートを開催した。プロの演奏家には昔から知り合いが多いオジサンたちで、大きな舞台によく引っ張り出されて歌ってきたが、自主コンサートというものを一度はやっておかないといけないと思い、1年がかりで企画して6月15日に草月ホールで500人のお客様を迎えて大盛況のうちに終わった。

楽友会の仲間もこの話を聞きつけて、爺様ばあ様から現役の3人まで10数人が聴きに来てくれた。アンコールに歌った”SH-BOOM”という歌は楽友会の仲間で高校生時代に歌ったDoo Wopのコーラス曲だ。7期の遠藤琢ちゃんも赤松っちゃんも忘れずに憶えていてくれた。「懐かしさの極み」だと。日本ではダークの兄さんたちが歌ってヒットさせた。そうだ、亡くなったパクさんの奥さんも聴きに来てくれた。


アンコール SH-BOOM

沢山の人が裏方で手伝ってくれた。元水球部だった小島(バリトン)がお手伝いを「峰岸という後輩に頼んだから」とわたしに言ってきた。当日、顔を合わせてびっくり仰天。何と峰岸篤ちゃん(8期)の長男、克行君だった。受付で霞のメンバーのオジサンたちを一手に迎えてくれた。

コンサートの様子は ⇒ こちら

    

 Slim Whitman 90歳で死去:昭和27年(1952年)に”Indian Love Call”を歌って大ヒットを飛ばしたウェスタン歌手Slim Whitman(1923年1月生)が6月19日に90歳の天寿を全うして亡くなりました。

昔の人には聞き覚えのある懐かしい歌だと思います。(7月7日・わか)


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