Editor's note 2013/8

なでしこ

 「なでしこ」といえば、可憐でか弱い乙女の姿を想い浮べる。それは昔ながらの、万葉集のこんな歌にみる日本の伝統的イメージであった。<なでしこが 花見る毎に をとめらが ゑまひのにほひ 思ほゆるかも>。

だが、2年前のFIFAワールドカップで、日本代表の女子サッカーチームが優勝すると一変した。その愛称「なでしこジャパン」が一躍有名になり、寄ると触るとその話で持ちきりになり、「なでしこ」のイメージは真逆に近い変身を遂げた。

しかし私のような年寄りは、選手たちの戦う姿や面だましいと、伝統的なしとやかな女性イメージに違いがあり過ぎ、何か強い違和感というか、そのネーミングに対する抵抗感を拭い去ることができなかった。そこで一鉢の「なでしこ」をもとめて来て昨年秋から観察を始めた。すると、秋だけの花と思っていたのに春も夏も、他の花が枯れしぼんでも「なでしこ」だけは花が咲いた。季節の変わり目で一旦花は散るが、水や養分を与え続けているといつの間にか蕾がつき、写真のように花開くのだ。何と生命力の強い、しぶとくも可憐な花なのだろう。<これなら分かる!これぞ「なでしこジャパン」に最もふさわしいネーミングだ!>と合点がいった。
 いわゆる「ネット選挙」が今回の参院選から解禁となった。といってもホームページ・ブログ・Twitter・YouTube・ニコニコ動画・Face bookといったソーシャルメディアを活用した政治活動は今世紀に入ってから徐々に活発になり、昨年末の総選挙は実質的な「ネット選挙」となっていた。だから、何の事はない、最近は開票を待つまでもなく、事前のソーシャルメディアの反応を見れば、かなりの確度で党レベルや個人の当落が予想できるのである。今回もFace bookの「いいね!」数と「話題にしている人」数を見たら、党では自民が民主を圧倒し、共産党が大健闘している様子が時系列的に把握できたし、個人では吉良佳子(共産党30歳・ブラック企業根絶)、山本太郎(無所属新人38歳・俳優・脱原発)、三宅洋平(緑の党新人35歳・音楽家・脱原発)諸氏の活躍が目立っていた。結局、三宅氏は落選したが、全く無名の新人が約17万票を獲得したのは、ネット選挙ならではのある意味「事件」であった。
この得票数を自民党新人53歳で当選した渡辺美樹氏の得票数約10万票と比べれば、三宅氏17万票の価値がよく分かる。渡辺氏は居酒屋チェーンなどを束ねるワタミグループの総帥で知名度抜群。三宅氏は全く無名のストリート・ミュージシャン。当落を分けたのは自民党か緑の党かという所属政党の大小の差だけだった。それだけに三宅氏の健闘が光る。一方、渡辺氏は苦戦だった。というのは今回からネット上での落選運動も公認となり、氏は「ブラック企業」の代表として名指しで批判され、証拠を示して反論したもののTwitterのフォロワーは日を追って減り、自民党の比例当選者18人中の16位でやっと滑りこむことができたのだ。こうなると日本の選挙、ひいては政界の有様も変わらざるを得なくなるだろう。「ネット選挙」の最大の利点は双方向性だ。その利点を最大限いかし、旧態依然たる日本の政治に、新風を巻き起こしたいものだ。

 
 猛暑で「地球温暖化」の話になると反射的に西岡秀雄先生の温顔が目に浮かぶ。先生は大学教授の前に塾高で教鞭をとっておられ、そのご縁で岡田先生および音楽愛好会との交流が始まったそうだ。ある時私たちは田園調布のお宅に招待された。先生は座談の名人で「目から鱗」の話題が尽きず、糸子令夫人のご対応は気さくで明るく、とても高校生相手の応接とは思えぬご歓待を受けた。で、その集いはピクニックに発展し、千葉県のある牧場でご夫妻にフォークダンスを教えて頂いた。生まれて初めて女子高生と手をつなぎ、皆でダンスに興じた時の楽しかったこと!それこそ、私が高1で愛好会に入った1952年から今日まで続く、楽友会への愛の原点である。

学部に進学すると直ぐ、必修科目は二の次で先生の「人文地理」に熱中した。だから今でもかなり克明にその授業内容を覚えている。

世界各地で古木の年輪巾を測りながらトイレ事情まで調べて遍歴された話、日本では沖縄から北海道までくまなく縄文杉を尋ね歩いてその年輪を調べまくった話、桜の開花時期の定点観測、オーロラの世紀別出現頻度、民族大移動の痕跡と気候変動、民謡やわらべ歌の気候と音程の関係(北国は音程が低く、南国ほど高い)、気候と鼻腔(頭蓋骨発掘・寒冷地ほど副鼻腔が狭)、話し言葉の語彙調査(母音発音の明瞭度の地域差)等々、実に多面的・学際的な研究成果が引きも切らずに話題に上った。

そして最後の授業で先生は「歴史を古代に遡り、フィールドワークで得た諸種のデータを総合すると、地球は約700年の周期で寒冷(氷河)期と温暖期を繰り返す」と結論づけ、「この仮説が正しければ、全地球規模の温暖化が進み、20世紀末頃にアフリカ各地で大旱魃・大飢饉が起きるだろう。君たちは今からそのことを心しておくように」と訓示された。

そして、今や私たちはその危機に直面している。急に不安になった。この先どうなるのだろう。いつまでこの猛暑は続くのだろう。しきりに先生のご高説を承りたくなったのだが、今となってはもう遅い。先生は2011年8月1日に97歳の天寿を全うされた・・・。そこで私は先生の祥月命日にその遺影に見入りつつ、次のような問いを発してみた。<先生!この暑さは孫子(まごこ)の代にも及ぶのでしょうか?>すると先生はあの温顔で<大丈夫!これから地球は再び、ゆっくり寒冷期に向かうだろう・・・>とお答えくださった(もちろんこれは筆者の希望的思いこみです)。その晩から、心なしか猛暑もゆるんだのである。(参照:「寒暖の歴史 気候700年周期説」―好学社1949年)。(2013年8月7日オザサ)


Quincy Jones(1933- )

 インシー・ジョーンズ来日80歳になったクインシー・ジョンーズが来日した。32年ぶりだという。ついこの間だと思っていたが、1985年にアフリカの飢餓を救おうとアメリカのポップス歌手たちを一堂に集めて、”We Are The World”をプロデュースした。その時、若いと思っていたクインシーも大御所になったのだと思った。

その収録の模様がテレビで朝まで放映され、リハーサルから本番まで、延々とテレビに釘付けだった。すべての出演者はクインシーの一声で集められたものだ。一番若いのはマイケル・ジャクソン、一番年配者はハリー・ベラフォンテだった。ここにはジャズ関係の人は呼ばれていない。ポピュラー音楽の世界でもジャズはちょっと違うのかもしれない。

クインシーのライブがブルーノート東京で行われると聞いて「おそらく最後だろうから」とチケットを買おうとしたら、「遅かりし由良の助」、25,000円のチケットが売り出した途端に完売だという。あとは国際フォーラムAで2日公演があるという。もう1回は広島だそうだ。

東京ドームとか武道館とか、ここ6000人のホールは大きすぎてあまり好きじゃない。出演者の顔も見えやしない。会場に設えた大スクリーンを皆が見ている。変な光景だ。でも、話の種、仕方がないので行ってきました。

 丁場のコンサート:休憩を挟んで4時間超のコンサート、前半はわれわれは名前も知らない日本人の亀田何とかいうベース弾きの若者が組んだ日本人によるトリビュートだという。出てくる歌手も一人だけ名前(絢香)を見たことがあるだけで、後は見たことも聞いたこともない人ばかり。クインシーのコンサートには似ても似つかわしくない人ばかりでした。お子様ランチがヘレン・メリルやマイケル・ジャクソンを歌ってましたよ。ああ、ゴスペラーズというグループも出てきました。クインシーのトリビュートにどういう脈絡があるのだか理解に苦しみます。

第1部のMCを兼ねた亀田某は紹介する歌手を「次のアーティストは・・」と耳障りな言葉を発します。以前にも書いたことですが、亡くなった昭和4年生まれの芦田ヤスシさんは「俺たちはアーティストなんてもんじゃねぇ」と。骨のあるジャズメンは「アーティスト」なんて呼ばれると気持ち悪がります。アーティストって日本語で何ていうのだろう。訳すのも憚る。

昔の外国人のコンサートでは日本人の前座が第1部を務めたものです。無いほうがいい付録です。お目当ては第2部に出てくるわけです。今時は流行らないスタイルでした。

クインシーが出てくるのは第2部で、出演するバンドも向こうから連れてきたリズムセクションを交えた日本人若手のフルバンドだが実力派の人たちでした。名の知れた歌手としては、クインシーの秘蔵っ子パティ・オースティン、ジェームス・イングラムといったところです。他にも目の青い人がいましたが、私が知るような人ではありません。そうそう、聖子ちゃんが出てきたのにも驚きました。上手に歌っていました。器用な人ですねぇ。

お客さんはすぐ立ち上がります。クラシックのコンサートではあり得ませんが、ポップスのコンサートでは「スタンディング何とか」といいます。これも特別な時ならいざ知らず、日本人の客も何処で覚えたのか何でもかんでも立ち上がります。邪魔でしょうがありません。かといって「済みません、見えないから座ってください」なんて言ったら、つばでも吐かれそうで大人しくしているほかなしです。今夜のお客さんはクインシーを神様のように思っているファンが大勢来ているのです。日本人とは不思議な人種です。以前にも同じような経験があります。Joao Girbertoというボサノバの教祖様でした。かっぱは途中で退席しました。

 リでのクインシー:古いお話をします。クインシーの名前を知ったのは、ヘレン・メリル(vo)とクリフォード・ブラウン(tp)の定番、”You'd Be So Nice To Come Home To”の編曲(1955)でだった。後にあのイントロでないと歌えないと言う人が沢山いたくらい有名なイントロとなった。イントロの定番というのも面白い。ヘレン初来日でこの歌を歌ったのを聴いたのが最初だった。「紐育の溜息」を聴かされてきた。41年後にブルーノート東京の楽屋でヘレンに会ったとき、「41年前に聴きに行きましたよ」というと「Oh! it's yesterday」ときた。

クインシーは1957年からパリに音楽理論・作曲の勉強・修行に出かけているが、ミミ・ペランという女性歌手と一緒にLes Double Sixというアルバムをプロデュースし、このLPで何曲か作曲している。Double Six of Parisというグループは後のSwingle Singersという8人編成のコーラスのの前身となるグループである。Swingle Singersはバッハのコラールを”ダバダバ、ダバダバ”とやってしまったグループだが、ダブルシックスはフランス語とスキャットを織り交ぜたものすごいVocaleseだった。ミミ・ペランはLambert Hendricks & Rossを聴いて一旦解散したグループを再編成し、4枚くらいアルバムを出している。


The Double Six of Paris, 1960

上の写真はミミ・ペランの率いるDouble Six of Parisです。ピアノを弾いているのが20代のクインシーです。左端はウォード・スウィングル、隣がミシェル・ルグランの姉、クリスチャンヌです。6年前にルグランンと一緒に来日しました。右側の生きのいいマドモアゼルがミミです。

ミシェル・ルグランの歌にはいい英語歌詞がついた新しいスタンダードがありますが、作詞をしたAlan & Marilyn Bergmanはクインシーがつないだものです。”How Do You Keep The Music Playing?”など玄人好みの洒落た歌があります。(8月7日・かっぱ)


FEST