Editor's note 2013/9


彼岸花(曼珠沙華)

 

 先日、映画「少年H 」を見た。同名の原著が出版されたのはかなり前(’97年)だが、たちまち洛陽の紙価を高めて300万部を超えるベストセラーになった。その余波がこの作品にも及んで見ごたえのある映画となった。前評判が高く、夏休みということもあり、館は、平日なのに、たくさんの子どもたちやボクのような高齢者で満員だった。

老若男女が一堂に会し、2時間以上もスクリーンに見入っている状況は印象的で、きっとこの映画は「ひめゆり」、「火垂るの墓」、「人間の条件」等と並んで、戦争を伝える名作の一つとして、今後も長く人々に語り伝えられていくに違いない、と感じ入った。(映画の概要は⇒こちら

著者の妹尾河童氏は’30年生まれの神戸っ子で、「はじめ」の名は肇(Hajime)といった(ちなみに「河童」はその後の実名)。だからこの題名は著者の少年時代の自伝であり、決して「Hな少年」を意味するものではない(も一つちなみに、これ以前に出版されたユーモラスな随筆集、というか小自伝集「河童の手のうち幕の内」に「女性に惚れっぽいのは、自分でどうすることもできないビョーキだった」と書いてある・・・)。


映画のチラシ

 Hは洋服店を営む実直な父、人一倍熱心なクリスチャンの母、それに2歳下の妹がいる4人家族の長男坊。世界恐慌が波及し、国際的にも国内も物情騒然となるなか、一家は地味ながらも比較的安泰な日々を過ごしていた。Hの物怖じしない、のびのびとした自由な気風は、その家庭環境や国際港・神戸の風土、さらには父親に連れられて当時としては珍しい多くの外人顧客に接する機会に恵まれたことによって育まれたものであろう。Hは毎日、母親が編んでくれた朱色のセーターを着て、元気いっぱいに少年時代を謳歌していた。そのセーターの胸の真ん中には大きな白字のHというイニシャルが浮き立っていた。皆がそれをからかっても、本人は一向気にしない。むしろそれを誇りにしていた風があった。

何しろ少年たちに人気の野球の英語用語は禁止され、ストライクを正球、ボールを悪球と呼び換え、ユニフォームのロゴが全て漢字化させられた時代のことである。これはごく珍しい、勇気ある行動だったといえよう。

 ボクは’36年の生まれだから妹尾さんより6歳下。しかも場所は東京だから事情はかなり違う。物心ついた時、周囲はカーキ色の軍隊色一色で染められており、軍事国家はあらゆる面で国民に不自由を強いていた。

野球は既に影を潜め、小学生(当時は「国民学校」に学ぶ「少国民」と言われた)は「馬跳び」や「水雷艦長」という一種の鬼ごっこ、あるいは「徒競争(駆けっこ)」や「缶蹴り」に熱中するしかなかった。それとて集中できたわけではない。必ずと言っていい位、途中で警戒警報のサイレンが鳴り、皆はチリジリになって退避所に逃げこまなければならなかったからだ。

ある時、チョットもたついていたら、突然急降下してきた敵機の機銃掃射を浴び、すんでのところで射殺されるところだった。敵機が去った後に脇を見たら、自分が伏せた地面の横30p位の処に連続した銃弾痕があり、子供心にゾッとして震えが止まらなかった覚えがある。

 父は都市銀行の行員で、台湾に新しい支店を開設すべく単身赴任していた。家族を呼び寄せる段になり、先行して家から家財一式を送ったら、途中で輸送船が撃沈され、一切が海の藻屑となってしまった。それで母とボクたち3人の小学生姉弟はそのまま自由が丘で暮らし続けた。戦局は日を追って敗色濃厚となり、国民は耐乏生活のどん底に追いこまれていった。

こんな時勢に、女手一つで育ち盛りの小学生3人を育てるのはどんなに大変だったことか。食糧事情は最悪で、母はいつもモンペ姿でリュックを背負い、片手に大きな風呂敷包を抱えて頻繁に近県の農家に通った。配給の食料だけでは生きていけなかったからだ。近県に行くのも容易ではない。列車の本数は少なく、乗客は車内にあふれ、か弱い女は入りこめない。寒風吹きすさぶ中、上野⇔水戸間を連結部のブリッジに立ちづめで往復したこともあったという。

激しいインフレで生活費はすぐ底をつき、農家の好意にすがって物々交換に応じて貰っていたらしい。交換価値は日を追って下落し、財産は目減りする一方だった。目の前から大事にしていた玩具や本、あるいは雛祭りの人形や端午の節句の兜や剣までもがドンドン消えていくのが悲しかった。

でも母はもっと辛かったろう。家事ばかりではなく、隣組の仕事も大変そうだった。蒲柳の質の母にとって、防空・防災訓練や防空壕掘りの重労働に駆り出されるのはどんなに辛いことだったろう。就寝前にホッとした口調で「寝るほど楽は無かりけり」と唱えるのが、母の口癖だった。

 いつもは気丈に振舞っていたが、ある晩フト目に涙を一杯に溜めていた。指輪類を磨いていたので、手を痛めたのかと思ったがそうではなく、翌日それ等を供出することが悲しかったらしい。

「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません!勝つまでは」というスローガンの下、政府は強権を発動して国民の私物まで召し上げるようになった。少しでも金目のものがあれば「隣組」を通じ、「供出」させた。「隣組」とは江戸時代の「5人組」に等しい住民同士の相互監視組織であり、「供出」とは本来は「神仏に捧げ物をする」事だが、戦時中その対象はあいまいな「国体」であった。

その時の銅・鉄・貴金属類がどう処分されたのか?後年、私はその疑問を解きたくて、大蔵省まで行って調べてみた。鉄や銅はすぐに武器・弾薬に転用されたらしい。だが貴金属類をどうしたのかは、全く不明で闇に包まれていた。

できる事なら母の供出した宝石類を取り戻し、墓前に供えたかったがダメだった。役所はどこも「知らぬ存ぜぬ」の一点張り。責任の所在すら明らかにできず、結局、誰かが中間搾取して猫ババを決めこんだものと推理するしかなかった。これが平時だったら、国家的犯罪として大変な騒ぎになっただろう。

余談だが、わが家の墓は小金井の多磨霊園にあるが、戦時中、何者かによって鉄製の門扉や花立て等、すべての金属製品は強奪されていた。これまた犯人の特定は難しいが、周辺の墓地全部が同様の被害にあっていたので、個人の仕業とは思えない。近隣の軍需工場か国が勝手に、組織的に略奪したものと推測した。この頃は、墓地さえ悪鬼が跳梁する修羅場であったのだ・・・。

種々卑近な例を挙げたが、戦争とはこんなものだ。泣いたり、傷ついたり、損したり、苦しんだり、死んでいくのは無力な民間人だけで、一部の権力者とその家族・親族や、税金で飯を食っている連中は、どさくさに紛れて身を保全し、私腹を肥やす。現在のシリア内戦は、その醜い典型の一つといえよう。


シリアの難民

 「少年H」の話から大分それてしまったが、要はその映画を見ながら改めて戦争の恐ろしさや不条理を再認識し、その時代の再来を促す連中の勢いを止めたいと思ったのである。そこに折よく、大前研一さんの「世界から尊敬されるドイツ、警戒される日本」と題する論考(PRESIDENT Online 8月23日)が出た。これを絶好の教材として紹介させて頂き、皆さんと問題意識を共有できればと願っている。(‘13/9/7:オザサ)


 ロードウェイ・ミュージカル19世紀終わりから20世紀になって、アメリカでは手軽な寸劇、歌、踊り、手品、色物をまじえたボードビル・ショーとかミンストレル・ショーが流行りだし、ミシシッピを上り下りして町々で公演を行うショーボートが庶民から親しまれました。これがアメリカのミュージカルの原点だといえます。

さらに遡って、ミュージカルの源をたどれば、ヨーロッパのバレエやオペラに行き着きます。

ガーシュイン兄弟、コール・ポーターがボードビルのために数々の歌曲を作り、さらにシアター・ミュージカルを手がけるようになりました。この頃、ウィーンで生まれていたミュージカルがナチス台頭のために下火になり、取って代ってニューヨーク・ブロードウェイがミュージカルのメッカとなったのです。

しかし、広いアメリカのこと、誰もがブロードウェイに見に来ることが出来ません。そこでMGMなどのハリウッド映画会社はミュージカルを映画の題材として世界中に売りまくったわけです。

9月といえば、9.11同時多発テロのいまわしい事件がありました。一時はブロードウェイの劇場街も閑古鳥がなく状態でしたが、2年後には回復しタイムズスクエア一帯は賑わっています。

ミュージカルの作品も大規模なものから数人のキャストの小規模なものまでいろいろです。よく「オン・ブロードウェイ」とか「オフ・ブロードウェイ」にかかるなどと言います。大きな劇場にかかるミュージカルは「オン・ブロードウェイ」と言います。

オフ・ブロードウェイ」は通常、100〜300席未満の小劇場で上演される作品のことさすのであって、ブロードウェイで上演されないという意味ではありません。もっと小さい小屋で上演されるものは「オフオフ」と言います。

「ミュージカル → 映画」という流れは金がかかるので段々手を出さなくなりました。エリザベス・テーラーの「クレオパトラ」が大損した話は有名です。

逆に、ターザン映画やメリー・ポピンズなどのように、「映画 → ミュージカル」という流れが出ています。

Marilyn King(1931-2013)

 Marilyn King 82歳で死去:最後のKing Sistersのメンバー、マリリン・キングが8月7日に82歳で死去しました。

ジャズコーラスとしては古い姉妹コーラスで、Boswell Sistersに刺激されて1931年に結成されました。このトリオがキングシスターズの始まりです。


Luise, Alyce and Maxine, 1931

姉妹が6人もいましたので、グループは入れ替わりながらカルテットの編成で歌うようになりました。長姉のMaxineは97歳まで長生きし、ついこの間、2009年に亡くなったばかりです。


Last photo of the Six King Sisters, circa 1995 - First Row, L to R: Alyce, Maxine, Luise
Second Row: Donna, Yvonne - Top: Marilyn

私がはじめてKing Sistersを知ったのは1960年代だが、丁度ビートルズ旋風が吹きまくっていたころでした。この人たちもビートルズの歌なんか歌っています。そのビデオをYou Tubeで見つけました。

 
The King Sisters (Yvonne, Alyce, Luise & Marilyn), 1966

Eydie Goeme(1928-2013)

Eydie Gorme 84歳で死去:今月は訃報が続きます。イーディ・ゴーメが8月10日にラスベガスの病院で亡くなりました。84歳でした。あと6日で85歳になるところだったのに。

トルコ系とイタリア系の両親のもとに生まれ、スペイン語が通訳できるくらい得意だったので、ラテン系の歌を沢山レコーディングして、スペイン語圏のファンが多い。トリオロスパンチョスとのレコードも秀逸です。

Edith Gormezanoが本名だが、はじめEdieとした。しかし、Eddieと間違って書かれるのでEydieと変えたのだという。

それよりも何よりもおしどり夫婦の伴侶、Steve Lawrenceとのラスベガスでの華やかなショー、2人のテレビ番組の話は語り草となってしまいました。

ここではパンチョスとの懐かしい音源からYou Tubeにアップされているものを聞いてください。


Sabor A Mi By Eydie Gorme & Trio Los Panchos

 Marian McPartland 95歳で死去彼女の名前を知っている人は古いジャズピアノファンだけしかいないでしょう。今年の3月に95歳になってますます健在で、この歳でFACEBOOKに珍しいジャズフォトを上げてくれて沢山ダウンロードさせてくれたのです。今年1月の編集ノートその中の珍しい一枚の写真を紹介しました。

FACEBOOK上でのつながりがあり、このおばあちゃんの訃報がいち早くお孫さんから通知されてきました。8月20日老衰にて死去、95歳でした。

Marian McPartland(1918-2013)
March 2013
Dear friends,

We are sorry to inform you that Marian peacefully passed away at the age of 95 in her home in Port Washington, NY. She died in her sleep at 11:58pm on Tuesday, August 20th (The Night of the Blue Moon), smiling, knowing that she was surrounded by family and friends.

Private funeral arrangements are being arranged and we will notify everyone when plans for a NYC public memorial service/concert are finalized, probably taking place after the 1st of the year.

With love,

Doug & Donna

マリアンはロンドン生まれのジャズピアニストでした。ノルマンディ作戦に参加したシカゴジャズ時代のトランペット奏者、Jimmy McPartlandとベルギーで出会い、ドイツで結婚しました。女流のジャズピアノで有名になった人は数少ないがマリアンはその一人です。


Marian McPartland

亡くなる前の日、19日に若いジャズ歌手に「95歳のおばあちゃんが元気でFacebookなんかやっている」のだと話をしていたばかり。日本人にはあまり知られた名前でないので、私が色んなところで機会あるごとに宣伝していたのに・・・(かっぱ・2013/9/7)


注) Blue Moon : 2013年の夏至から秋分までの1シーズンに満月が4回あります。これは何年かに一度の珍しい現象です。その3回目の満月をBlue Moonと呼びます。日本では8月21日、アメリカでは8月20日です。1年は365日ですから13回の満月がある年が出てきます。それで、2分2至の4季節のどこかで4回の満月が現れることがあるのです。

ちなみに今年は、【春分〜夏至の満月】3/27、4/26、5/25(3回)、【夏至〜秋分の満月】6/23、7/23、8/21、9/19(4回)、【秋分〜冬至の満月】10/19、11/18、12/17(3回)、【冬至〜春分の満月】2014年1/16、2/15、3/17(3回)という具合です。

次回は2016年5月21日だそうです。ところが、アメリカの天文雑誌”Sky & Telescope”が1946年にブルームーンの話をどう誤解したのか、同じ月の間に起こる2度目の満月を”Blue Moon”と書いてしまい、この話が一人歩きして”Blue Moon”の別定義となってしまったのだそうです。

もうひとつ、バカバカしいのですが「青い月」のことをいいます。月が青いのじゃない、青く見える月のことです。火山の噴煙や隕石の燃えたガスの影響で青く見えることがあるのです。


FEST