Editor's note 2014/10


秋桜(コスモス)

 々Link先を訪ねて楽しんでいます。9月、藤岡幸夫氏のOfficial Fan SiteのHot Newsを読んでいたら「敬老のうた『きっとありがとう』」の記事があり、関西フィルハーモニー管弦楽団が兵庫県多可町で現地の合唱団(?)と協演した動画が載っていました。合唱団員はかつて子供だった人たちが大半でしたが、皆さん童心にかえっての明るい演奏を聞かせてくれました。その日はちょうど「敬老の日」だったせいか、何とはなしにウルウルしてしまいました

 

昔は古稀(70歳)や喜寿(77歳)の人と会うと「随分なご高齢!」と思ったものですが、いつの間にか自分もその仲間入りをしており、来し方や彼岸を思って、つい感傷的になってしまいます。

 いでお隣の「舘野 泉 風のしるし」のホームページを覗いてみました。するとその「お知らせ」欄に、9月26日(金)に「左手のピアニスト― 舘野 泉―再びつかんだ音楽」という番組がNHK BSプレミアムで再放送されるというニュースがありました。<4月に放映された2時間番組、大好評につき再放送>ということなので、もちろんその日は朝9時からTVにへばりついて舘野君の近況をつぶさに見学しました。

一番感心したのは彼の元気さです。私と塾高同期ですから78歳の高齢なのに、隠居して暇を持て余している私とは大違い!私は「小人閑居して不善をなす」の類ですが、彼は「老いてますます盛ん」で国内外を飛びまわり、現役のピアニストとして大活躍。ご立派!!!という他ありません。

 は12年前にフィンランドのステージで倒れました。突然の脳溢血で、それ以来今日まで懸命の努力でリハビリに取り組んできたものの、未だに右半身不随は快癒していません。それにもかかわらず、その逆境を不断の努力で克服しつつ、健常者も及ばぬタフなスケジュールをこなしているのです。そのコンサート情報やNews欄を見ると今月だけでも旭川、仙台、東京の各地で4回6日分のコンサートがあり、来月も4回そして来年も・・・とひきもきらぬ演奏会や放送スケジュールが載っています。しかもしかも、軸足はヘルシンキに置きつつ東京と行ったり来たりの二重生活。片道の飛行時間だけでも約10時間は覚悟しなければならないはずです。しかし、そんなことを彼が苦にしている様子は少しもありません。いったい何が彼をこのような行動に駆り立てているのでしょう。

 こには「音楽へのパッション」という一言だけでは割り切れない、彼ならではの独立自尊の精神が強く作用しているものと思われます。例えば彼の自著「ひまわりの海(求龍堂/2004年初版)」にこんな独白があります(以下引用文中の()内は編注です)。

― この頃(02年1月の発病直後。ヘルシンキの大学病院に入院加療中)は舌がもつれて、口をきくのもままならなかった。人に会うのも気が進まなかったが、それでも、心配してくれている友人、知人には少しずつ来てもらうようにした。いつまでも消極的にこもってはいられないと思ったのだが、こちらから会いに行くことは身体が許さない。だれもがしばらくは慰めの言葉も失って、困った顔をする。が、突然顔を輝かして、お前、あれを弾けばいいんだ、ほら、ラヴェルに「左手のためのピアノ協奏曲」があるじゃないか、あれだよと言う。皆の気持ちは分かるけれど、腹立たしくて情けなくて、ラヴェルなんて死んでも弾くものかと思った。左手の曲なんて糞食らえだ(「凍てついた身体p.191」)。 ―


求龍堂(’04年刊)

ここだけ読むと彼は左手用のピアノ曲、殊にラヴェルの曲を忌避していると思えます。が、現実にはその後N響とこの曲を協演していますし、来月は日フィルとの協演も予定されています。ではその間に、どんな心境変化があったのでしょう? 前掲書の中の他の一章「闇の中p.230」に次のような記述がありました。

― ヴァイオリン奏者としてシカゴに留学していたヤンネ(ご子息)が、四年にわたる外国生活を終えてフィンランドに帰ってきた(03年)のだが、お土産にブリッジ作曲「三つのインプロヴィゼーション」の譜面を持ってきてくれた。左手の作品である。ブリッジには興味を持っていて、ピアノ小品を演奏したことはあるが、左手のための曲があることは知らなかった。ダグラス・フォックスという人に捧げられている。

音にしてみると、大海原が目の前に現われた。氷河が溶けて動き出したような感じであった。左手だけの演奏であるが、そんなことは意識に上がらず、ただ生き返るようであった。手が伸びて楽器と触れ、世界と自分が一体となる。音が香り、咲き、漂い、爆(は)ぜ、大きく育って一つのまったき姿となって完成する。それまで、ピアニストとして戻れるのは右手が動くようになってからと思っていたが、音楽をするのに、手が一本も二本も関係はなかった。この発見は以後の私をゆっくりとではあるが、強く動かしていくようになる。―

 う!そうしてここに自ら堂々と「左手のピアニスト」と名乗り、新しい音楽の地平を切り開き、その無限の可能性にチャレンジする新生・舘野泉が姿を現したのです。

そうなると周囲がほうってはおきません。既にして世界的なヴィルトゥオーソですから、国内外の著名な作曲家からの新曲献呈や、彼にとっては未知だった隠れた名曲の発見が相次ぎ、彼のレパートリーはみるみる増大し、それ等の曲だけで自由にコンサート・シリーズを構成できる程になったのです。たくさんのCDや書籍やメディアも公刊・公開され、いつしか「左手のためのピアノ曲」という音楽ジャンルが確立し、全国各地に広がる舘野ファン・クラブを中心に、多くのクラシック音楽愛好家を魅了するようになっていました。


CD (AVCL-25746)

 もその一人でしたが、最も感銘を受けたのはバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調(BWV 1004)」の第5曲「シャコンヌ」を、ブラームスが編曲した同名(Chaconne)の作品でした。かつての舘野君のプログラムでは殆ど耳にした事のないバッハの調べが、ここに紛れもない彼の手で見事に紡ぎだされていたことに新鮮な喜びと感動を覚えました。

舘野君自身はこの曲について前掲書の「闇の中p.229」でこう記しています(長文ですが原本品切れにつき、勝手ながら引用させていただきます)。

― (2003年)初夏の頃フィンランドに帰ってから、私はこの作品の勉強を始めた。単音で延々と続くフレーズはひどく苦労するものであった。ピアノでこれらを歌っていくにはどうしたらよいのだろう。むき出しの、これ以上は切り詰められない音がそこにあった。音楽のエッセンスと言ってもよいであろう。リストのソナタやラフマニノフのピアノ協奏曲より、それは難しかった。しかし秋にかかる頃、音が生きてくるのを感じるようになった。弾いていると精神が研ぎ澄まされて、身体がそれにつれて動かされていき、音を生みだしていく。間宮芳生さんが言った「奇跡的な編曲」という言葉に、私も心底から共感するのだった。それから一年以上も過ぎ、ブラームスがこの作品について語った言葉を初めて知った。クララ・シューマンに述べた言葉である。

「単一の手法を用いながら、しかもヴァイオリンという小さな楽器で、バッハは最も深遠な思想と力に溢れた感情からなる一つの世界全体を作りあげたのだ。たった一つだけ、(編曲で)この作品から生のままの喜びを引き出す方法がある。こじんまりとして、おおざっぱなやり方だが、それは、この曲を左手だけで弾くのだ。コロンブスの卵のようなものだ。変わることのない難しさ、技法の性質、そしてアルペッジョ、それら全てが一緒になって、私はヴァイオリニストのような気分になる」。ブラームスが言ったことは、左手での演奏について、後に私が考え出したことと同じであった。―

 野君がこのジャンルのパイオニアとして、ますます活躍されることを期待しています。

(2014年10月7日/オザサ)


石井 一

 大臣・石井 一氏現るこの大政治家の顔にはみなさん見覚えがあると思います。今年、80歳になられたそうです。そんな歳に見えない若々しいいでたちで先週土曜日の晩に、赤坂のリトルマヌエラに連れて来られました。

六本木でライブハウスを経営する金城純一さんというオーナーに「どこかジャズの歌える店に連れて行け」で、金ちゃんは石井さんをマヌエラに連れて来たというわけです。
 

何の前触れも予約もなく突然2人で現れたので、私は目を丸くしてびっくりしていると、私の隣にお座りになり名刺を交換しました。でっかい名前が書いてあります。

「この店が気に入った」と、”All of Me”と”My Way”を朗々と歌われました。スタンフォードの大学院出身ですから英語もお得意です。

本年4月に旭日大綬章を受章されたのですが、11月に開かれる「受章記念感謝の集い」に招待されてしまいました。

古い話が出てきました。1953年にJATPが日本にやってきた話で、日劇でコンサートがありました。私は普通部1年生の頃です。もちろん、そんなことこれっぽちも知らない頃です。石井さんは18歳のときだったといいます。

 JATPとはJATPはレコード・プロデューサーで名高いNorman Granz(1918-2001)が1944年に初めてロサンゼルスのThe Philharmonic Auditoriumでジャズ・コンサートを開き、そのライブ録音を”Jazz at the Philharmonic”というタイトルをつけてレコードにしました。その後も、この頭文字をとってJATPというシリーズのレコードが売り出されました。

1953年に日本にやってきたのは、オスカー・ピーターソン・トリオ、ジーン・クルーパ・トリオ、エラフィッツ・ジェラルドらです。JATPを日本に招んだのは日本マーキュリーですが、前身は兵庫県のタイヘイレコードという会社です。その社長は石井廣治という人物ですが、石井 一さんはその長男ということです。

石井元大臣がJazz通だという話にはうなづけました。

 本音楽家協会同協会の会長をしていましたが2012年に資金流用事件があり、協会は破産宣告という目にあったということです。詳しい経緯は知る由もありませんが、それにも懲りず、ジャズミュージシャンの全国的な組織を再編し力になれればと話しておられる。


石井さん@Little MANUELA
 

Joe Sample(1939-2014)
 Joe Sample75歳で死去フュージョンのピアニスト、ジョー・サンプルが9月12日に亡くなった。7月にはニューオリンズで最高齢のLionel Ferbosが103歳で亡くなり、古いスタイルのトランペッターの死を悼んだ。9月8日にはGerald Wilson(96歳)の死を友人のJohn Millsが伝えてきた。10日に死亡記事を書いたばかりだ。彼らの歳に不足はない。

Joe Sampleは75歳だから、若過ぎるといわなければならない。日本にも何度も来てライブやコンサートを聴かせてくれた有名ジャズマンだった。

(2014/10/7・かっぱ)


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