Editor's note 2015/5


藤棚(「季節の花 300」より)


亀戸天神境内(歌川広重)

 この季節には少し頑張って散歩の足を伸ばし、亀戸天満宮に行く。菅原道真が祀られているのでシーズンには受験生で賑わうが、今は藤の花見物の人でいっぱいである。

ここは江戸時代から梅と藤の名所で、特に藤は歌川広重の「名所江戸百景」に描かれているので人気が高い。境内は広くはない。昼間のいい時間帯に行くと人波にもまれておちおち花見もできない。だから朝早くか暮れなじむ頃に行くのが上策である。

藤の花を見上げてばかりで首が疲れたら、心字池に目を転じる。そこかしこに亀がウロチョロしている。そこで「そうか、ここは亀戸かめいど だ!」ときづいて愉快になる。ちなみに、浮世絵の下部にある心字池、その中央にかかった太鼓橋は、ルオーやピカソの絵画に影響を与えたものだそうである。

 次に想い出すのは、もう20年も前に他界したオフクロのことである。「下がるほど 人の見上げる 藤の花」という格言が母の常套句じょうとうく で、私は小さい時から何回も、それこそ<耳にたこができる>程これを聞かされたものである。例えば姉たちや近所の悪ガキどもといさか いが起きると、母は私を叱る代わりにこの言葉を口にした。それは実に有効な決め言葉であった。ある時は微笑ほほえ みながら、またある時は目に涙をためながら・・・。要するに「謙虚でありなさい」という戒めなのだが、その真意が説明されたのは小学校の校庭だった。母はそこにあった見事な藤棚(今はもうない)の下に私を連れて行き、満開の花の下で私をさと した。その時の、着物のたもと を押さえながら腕を上げ、花房を指し示した母の姿が、今でも忘れられない。
 

 「藤」は日本原産だからだろうか?これにちなむ人名・地名や家紋は、佐藤・伊藤・斎藤・近藤・遠藤・藤原・藤沢等々きりがない。小学校の同窓会誌は、そのものズバリで「藤棚」と命名されていた。

確かに藤の盛りは学校の入・進学行事と重なるから、学校にふさわしいいろどり である。しかし私にとっては今述べたような事情で、先ずは「下がるほど・・・」であり、母であり、次いでA. ドヴォルジャーク(1841−1904)の「わが母の教えたまいし歌」となる。

なぜこの歌か?うまく説明できないが、やはり「母の教え」という詞とその素朴でなじみやすい、それでいて哀愁と気品ある曲調に、何かしら全体と通じるものを感じるからである。未聴の方にはぜひ一度お聞きいただきたい。YouTubeでこの曲を検索すると、本来はソプラノ独唱曲なのだが、男声合唱やヴァイオリンやチェロ独奏用の編曲版を含め、様ざまな演奏が楽しめる。

原詞はチェコの詩人アドルフ・ハイドゥークによる一連のチェコ語の詩だが、ドヴォルジャークは1880年にその中から7編を選び、自らその詞をドイツ語に翻訳して「ジプシーの歌」と題する歌曲集をんだ。その第4曲がこの曲で、歌詞の大要は堀内敬三氏の次の訳詞に尽くされている(原詞初行の直訳は「老いた母が私に歌を教えてくれたとき」)。

母がわたしにこの歌を
教えてくれた昔の日
母は涙を浮かべていた。

今はわたしがこの歌を
子供に教える時となり
わたしの目から
涙があふれ落ちる。

 さて、ここに現れた「涙」は、どんな涙だったのか?年老いた母の寂しさか、子離れの侘びしさか、それとも過ぎ去りし日々への感傷か、逆に母への思慕、あるいは流浪の民・ジプシーならではの、独特のうらぶれた心境に由来するものなのか、そうではなくて普遍的な親子間の親愛の情か?

原詞や他言語への訳詞や解説を読んでもハッキリしない。だから真意は誰にも分からない。でも、それでいい、と思うようになった。私など、数小節の前奏を聞いただけで、もう涙がにじんでくる。歳とって涙もろくなったせいかもしれない。でも、それでいい。<涙を誘う歌>、それで十分だ。3分にも満たない小曲の、どこにそんな力が秘められているのか分からないが、今私はこの曲に夢中である。

 (オザサ・2015/5/7)


Daryl Sherman

リル・シャーマン今年も東京で3ヶ月間、弾き語りのライブ演奏をしに来ました。今年で3年目です。昭和24年生まれですからOSFです。大体、NYCが寒いシーズンに東京に来るのです。

普通、海外から長期間に亘って来日するミュージシャンたちは東京だけでなく地方へもライブあるいはコンサート・ツアーに回るのです。

ところが、彼女の場合は代官山のタブローズ・ラウンジというバー・ラウンジで月曜日から土曜日の毎夜8:30から深夜までピアノの弾き語りを演奏するのです。
 

楽友の皆さんはジャズ・ライブに出かける人は珍しいと思います。ご承知のように4期の寺田さんのジャズバンド、Five Brothersは結成59年になります。寺さんが体調を崩して毎年やっていたジャズライブもしばらく休業だったのですが、昨年は忘れられないようにとBRBで開催されました。大勢の楽友が詰め掛けました。

その昔、90年代でしたが7期の遠藤琢ちゃん、8期の塚越学生王子には、銀座のライブハウスでのDolly Bakerライブに連れて行きました。2006年に、9期の田村陽子さん、10期の石川彰子さんに本物のジャズを聞かせるために沢田靖司のコンサートに誘ったことがあります。この時はDolly Bakerがゲストで歌ったのです。この4人はDollyの生の歌を聞いているのです。

普段、ジャズを聴くことが少ない楽友たちにも本物のよさは分かります。昔、田村さんがあるジャズ・パーティでそこそこの歌手の歌を聞いて「身体が受け付けない」と言いました。この言葉の意味分かりますか?彼女はいい耳を持っているのです。そこで私は「本物を聞かないと駄目なんだよ」と言って、本物のライブだけ連れて行きました。サリナ・ジョーンズが来た時にも連れて行きました。彼女の耳はすんなり聞いてくれました。私の謂わんとするところが理解できたようです。面白いものです。


代官山 Tableaux Lounge, 2015/5/4

彼女の選曲から歌い方まで実に深みがあります。どうしても日本人歌手は底が浅く知識も浅いです。ただ上っ面の物真似に終わっているのです。それが私には分かってしまうのが不幸なところなのです。

私はDarylをダリちゃんと呼びます。「あたらしい名前が出来て嬉しい」と喜んでいます。1セットが終わるとしばし休憩なのですが、ダリちゃんは私のテーブルに椅子を持ってきて座り込んでお喋りが始まります。この夜はお友達の吉田さんと家内と3人で聴きに行ったのですが、なかなか話が止まらないのです。吉田さんが”Guess Who I Saw Today”をリクエストしたので、ダリちゃんもびっくりしながら歌いました。吉田さんの大好きな歌なのです。歌詞を読んだらおそろしい歌だと言うことが分かります。

月末には帰国します。もう一度、帰る前に行こうと思っています。チャージはタダみたいな値段です。通りがかったら寄ってみると面白いです。 ⇒ ホームページ

 賀聡美の鯉のぼり20年近く前に東京藝大でトロンボーンを吹いていた志賀聡美という学生が卒業後、プロのトロンボーン・プレーヤーとなり男性勝りの力強い演奏を聞かせています。卒業前に知人に紹介されたのですが、長い付き合いです。

昨年は彼女を含めて女性だけのプレーヤー5人をリトル・マヌエラに呼んでライブを開催しました。村田、志賀、田宮は私とはお馴染みの人です。


志賀聡美

毎月、ライブ案内のメールを送ってくるのですが、4月下旬に5月のスケジュールを送ってきました。季節柄、「鯉のぼり」が描かれています。パソコンの「文字や記号」を使ってこんな絵を描いてしまうのです。如何ですか?絵心のある人は・・

加瀬邦彦(1941-2015)

 瀬邦彦死去ワイルドワンズというグループサウンズをご存知かと思います。1966年に加瀬が立ち上げたグループです。加瀬の作曲、鳥塚の作詞で出した「想い出の渚」が大ヒットとなり、一躍有名になりました。

加瀬とは幼稚舎同期で、2クラスしかありませんから同級生同様でした。特に高校生のころから私の音楽好きをよく知っていましたからなおさらです。加瀬が経営していた銀座のケネディー・ハウスでのワイルドワンズのライブに行ったり、六本木のケネディー・バーなどで加瀬と会ったり歌ったりして遊んだことを思い出しています。

90年代の半ば、胃潰瘍の検査の時に食道がんが見つかりましたが、手術をしてすっかり克服し元気にしていました。最近になって喉頭がんの手術て活動中止という話でした。この間も鳥塚に会った時に「加瀬の具合はどうだ?」と訊いても、なかなかいい返事が返ってこなかったので心配していたところでした。

2015年4月21日午前中に自宅で死亡しているのが見つかったとニュースに出ました。自ら呼吸器をはずしたらしいとあります。74歳でした。

来年はワイルドワンズ50周年を迎えるところだったのに、何で急いで逝ってしまったのだろう。

(2015/5/7・かっぱ)


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