Editor's note 2015/10


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 日、ボローニャ歌劇場フィルハーモニーと4人のソリストによる「オペラ・ガラ・コンサート」を聴きに行った。近年は体調の関係で外出を控え、家で過ごすのが常態となって日々欝々うつうつとしていたので、長男が気を利かせて「家族一緒なら、万一の場合でも安心だろう」、とこのコンサートに連れ出してくれたのである。何しろ心筋梗塞こうそくの発作で3回も入・退院を繰り返しているから不安がある。だが、思い切って行ってよかった。本当に久しぶりに生の音楽に触れ、気分が秋空のように高まったのである。

出演者情報

 がよかったこともあり、音楽が始まるやいなや私はすぐフル編成オーケストラの大音響に柔らかく身を包まれた。金管楽器の音色が心地よかった。奏者も楽器もセンス抜群!他のオケだと、例えば「ウィリアム・テル」序曲でトランペットだけがキンキラと突出して聞こえる。だが、ここでは他の木管や弦楽器群とよく調和し、つややかに鳴り響いていた。
 

ソリストたちも素晴らしく、知名度こそ低いものの、いずれも当代を代表し得る名歌手とお見受けした。ソプラノ、テノール各1名にバリトン2名という地味な編成で、当初は何となく物足りない感じがしたが、これもプログラムが進むうちにその不満はすっかり解消した。その人たちの優れた歌唱力がイタリア・オペラの多彩さと、その真髄を充分に発揮してくれたのである。
 の名演の数々を聴いていたら、しきりに昔の思い出がよみがえってきた。最も懐かしかったのはNHKが実現させた戦後初(1956年以降)のイタリア歌劇団の引っ越し公演の舞台風景。次いでその話でもちきりになって騒いでいた、当時の楽友会の部室(塾校の音楽教員室―217番の一隅)の情景。その次に、故・若杉さん宅(都立大学)やわが家(自由が丘)に楽友が相集い、オペラ談義に花咲かせたり、習い覚えたアリアを披露しあったりした光景であった・・・・・。


ススキ(向島百花園)

 杉弘(3期)さん宅では、先ず音楽会などのプログラムがたくさん詰まった大きな段ボール箱が引っ張り出され、そこからお気に入りのプログラムが取り出され、その内容を彼が実演入りで披露するのが常だった。その芸は単なる物まねではなく、真に迫る芸となっており、見る者を惹きつける力があった。ドイツ・リートが主であったが、時にはイタリア歌曲やバレーが交じる。そのバレリーナもどきの踊る姿は滑稽だったが、リートやアリアは素人しろうと離れしていた。高校生の頃から畑中良輔氏に師事されていたこともあり、彼の歌には皆聞き惚れていた。その中で最も印象に残り、今も思い出す名曲は、今回のコンサートでドメニコ・バルツァーニが歌った「椿姫」の父親役・ジェルモンのアリアである。ありし日の若杉さんの歌とその姿が眼前に浮かび、思わず涙がにじんだ。
 

 谷川洋也(1期)さんがわが家で披露してくれた曲は「道化師」カニオのアリアが大半だった。特に今回ニコラ・ムニャイーニが歌った「衣装をつけろ」がお得意で、その旋律が今でも耳について離れない。だから今回のコンサートでその曲が聞けると分かって嬉しかった。それは期待にたがわぬ名演で、久しぶりにその名曲を堪能できたが、私がまだ初心うぶな高校生時代に、初めて聞いた長谷川さんの絶唱もまた素晴らしかった。後輩がこんなことをいうのは僭越せんえつだが、彼は楽友会随一のトップ・テナーで、その高音の伸びと軽やかな節回しが、我が男声合唱団の評価を高めてくれていたことは確かだったと思う。

 
しかし、その美声が最近は聞こえない。

「耳が悪くなり、血圧もメチャ高い。もう思い切った発声はできないよ」

と加齢現象を嘆きつつ、OSF不参加の理由を述べられた時の様子はさすがに寂しそうだった。あの万年青年・長谷川さんも、傘寿を超えてついに老境に入られたのかと思うと私も急に寂しくなった。<明日は我が身>だからだ!


キキョウ

 はいえこのコンサートの後、私はとても幸福だった。歌劇のコンサートって本当に不思議な催しである。「椿姫」も「道化師」も、その筋立てや場面設定、従ってそのアリアは相当シリアスな内容なのに、会場を出るときには明るい気分になっている。演劇や映画の後ではこうはいかない。大抵、大親分とか殺人鬼とか悲劇の主人公になったような気分のまま会場を後にする。どうしてこうも違うのだろうか?音楽に本来備わっている和合性が、オペラの筋立てにまさって人心に幸福感をもたらすのだろうか?ともあれ、その晩は明るい気分で帰途につき、オペラとそれに触発されて浮かび上がった青春時代のき想い出を反芻はんすうしつつ、深い眠りについたのであった。

(2015年10月7日/オザサ)


Sonny Rollins(1930- )

ニー・ロリンズのSt. Thomas今年85歳のソニー・ロリンズは1963年の初来日以来、数えきれないほど来日し続けてきた。今のところ、最後の来日は80歳記念来日で2010年のことである。ハード・バップと呼ばれるモダンジャズのテナー・サックス奏者である。

ロリンズの名声を高めたアルバムがある。1956年レコーディングの「Saxophone Colossus」である。この中で”St. Thomas”というロリンズのオリジナル曲が彼のその後の生涯を決めた1曲と言ってよい。

本を辿れば、この曲はイングランド・リンカンシャー州に古くから伝わる”The Lincolnshire Poacher”という民謡である。

この民謡がカリブ海のヴァージン諸島に伝わり童謡になったのだという。ロリンズはニューヨークの生まれだが、ヴァージン諸島セント・トーマス島生まれの母親が、この歌を子供の頃のロリンズに歌って聴かせたのだ。
 

 

このメロディーから”St. Thomas”が生まれ、ロリンズは母親のお蔭で「サックスの巨人」と呼ばれるまでになった。

 

世の母親たちよ、あなたのお子さんにいい歌を歌って聴かせなさい。いいものを食べさせなさい。そして、いい感性を育ててあげなさい。環境が大切なのです。人間の感性とは子供のころから育ちます。それで、あなたのお子さんが豊かな人生が送れたらこんないいことはありません。

小さい子にゲーム機を与えると大人しくなり必死に遊びます。親は助かります。そして、創造性のない論理的思考のできない人間になります。お忘れなく。

 う一人のサックスの巨人:にJohn Coltraneがいる。ロリンズの兄貴分になるバップのテナー・サックスだ。かのMiles Davisのバンドに入ったり出たりしているが、マイルスは本当はソニー・ロリンズを使いたかったのだと言われている。

コルトレーンは同じバップの時代のOrnette ColemanとCecil Taylorとジャズの改革をしようと考え、1964年に”October Revolution”と呼ばれる一連のコンサートを行いました。これから「フリージャズ革命」につながったと言います。

ジャズは1930年代のスウィング時代から1940年代半ばにビバップ(単にバップ)の時代へと変遷しました。ジャズ特有のアドリブの取り方の概念が変わったのです。

スウィング時代のアドリブはメロディに意識を置いて即興演奏をしました。ルイ・アームストロングのアドリブがその見本です。バップのアドリブはコードに意識を置きました。メロディはどうでもいいのです。コードの進行の中でより自由にアドリブ演奏をしました。 


John Coltrane(1926-1967)

フリージャズのアドリブ概念はコードからの開放です。無茶苦茶な革命です。頭にあるのはリズムと調性くらいのものしかありません。コルトレーンは2年半後に41歳で癌で死んでしまいました。フリージャズは神がかりな精神性だけが強調されるものになっていったのです。

 ニー・ロリンズ:「フリージャズ革命」の片棒は担ぎませんでした。ロリンズは訳の分からない新しいことに首を突っ込んでいません。バップの憲法を守り通しています。したがって、われわれのような和音の進行を大切にする常識的人間にはロリンズのアドリブは美しく聞こえます。多くの人に好かれた理由だと思います。(2015/10/7・かっぱ)


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