Editor's note 2017/3


Bing Crosby(1903-1977)

 ビング・クロスビーといえば=White Christmasという公式を思い浮かべる人がいるだろう。そう、高齢者か物知りかもしれない。若い世代にはクロスビーの名前さえ見たことがない人がいても不思議はない。

”White Christmas”は1941年の映画「Holiday Inn」のためにIrving Berlinが書いたクリスマス・ソングと書かれている。翌1942年にレコードが売り出された。

これがシングルで5000万枚、アルバムを合わせると1億枚のレコードを売上げ、ギネスの世界記録になっていた。その後、マイケル・ジャクソンが2億枚売ったとか。
 

戦後、1954年に映画「White Christmas」が封切されたとき、東劇に見に連れて行かれた。Bing Crosby, Rosemary Clooney, Danny KayeとVera Ellenの4人が主演のミュージカル映画だった。この映画でも”White Christmas”が歌われた。昭和29年ですから、クリスマスといえば街では「ジングルベル」とか「聖しこの夜」くらいしか流れてこない時代です。

私は普通部の2年生、神田小川町のレコード屋に、ビング・クロスビーの”White Christmas”を買いに行ったのです。

 White ChristmasのVerseIrving BerlinはBing Crosbyに歌わせるときに、Verseを削除してしまったという話が書かれています。理由は簡単で、Verseの歌詞が映画「Holiday Inn」の話にはそぐわないからです。この話の舞台はニューヨークからコネチカット州という東部です。Holiday Innという休日にだけオープンするホテルの話なのです。挿入歌にBeverly Hills LAという歌詞が出てくるのはおかしな話になるからです。

クロスビーに歌わせなかったVerseとは、

The sun is sinking
The grass is green
The orange and palm trees sway
I've never seen such a day
In Beverly Hills LA
But it's December the 24th
And I am longing to be up North

⇒ ♪Verse of White Christmas

 このVerseの背景は?Berlinが”White Christmas”を書いた背景を語ってくれた人がいました。それは第一次世界大戦のとき、ロサンゼルスに住む一人の若者が兵士となってヨーロッパ戦線にに赴き、負傷してデンマークの病院に入院しました。そこで生まれて初めてWhite Christmasを経験しました。

LAに復員してからクリスマスの日になると、異国で初めて見たWhite Christmasを想い出す兵士の心情を歌にしたのだと言います。

それで、”I'm dreaming of a White Chrisitmas・・・”と続くのです。

この歌は映画「Holiday Inn」のために書き下ろしたことになっていますが、おそらくは、何年も前に出来上がっていた歌を使ったという事なのでしょう。発見しました。1935年にBerlin自身がフレッド・アステアに歌って聴かせていました。ずっと温めていた歌なのです。1933年には出来上がっていたという事です。

あの「American Popular Song」の著者Alec Wilderが、この話に言及しているか調べてみたところ、何も関連する記事は書いていません。彼はこの話題に気が付いていません。
 

 クロスビーの生まれはワシントン州のタコマですが、同州の東部スポーケンのGonzaga大学の学生時代にAl Rinkerとバンドを組み、Duoで歌っていた。2人はRinkerの姉、Mildred Baileyのいるロサンゼルスに出た。

歌っているところを、当時の大バンドリーダーであるポール・ホワイトマンが聴いて、1927年に週給150ドルで雇った。この2人にHarry Barrisという歌も書きピアノも上手い男を加えてトリオにして歌わせた。The Rhythm Boysというジャズ・ボーカルグループが誕生した。

3人はポール・ホワイトマンと彼の楽団の主演するレビュー映画「King of Jazz」の中で”Mississipi Mud”というHarry Barrisの書いた歌を歌っている。1929年のことです。

 
”Mississippi Mud” by The Rhythm Boys(1929)

わたしはこの3人のコーラスを聴いて、その芸達者ぶりにぶっ飛びました。なんとも素晴らしいグループで高いポテンシャルを持っている。そのグループが長続きしなかったので大衆に知られないまま消えて行ったのです。

 飲酒運転の常習犯だったクロスビーは、捕まってはいつも豚箱に。何てったって禁酒法の時代です。そのため映画の撮影にも迷惑のかけっぱなしで、ホワイトマンは愛想を尽かしていたが、1930年、リズム・ボーイズを首にしてしまった。その後、リズム・ボーイズはGus Arnheim楽団に雇われたが、そこでクロスビーはソロシンガーとしてVictorからレコードを出すことになり、これがラジオで大評判になってしまった。1931年の”I Surrender, Dear”である。リズム・ボーイズは解散となり、クロスビー1人が出世の階段を上って行った。

ラジオの大スターとなったクロスビーの歌を聴き、18歳のシナトラが「歌手になろう」と志をたてた話は有名な話である。

 有名ソロシンガーの前身はコーラスグループという図式がうかがえる。ビング・クロスビーはリズム・ボーイズ出身、フランク・シナトラはホーボーケン・フォー出身、メル・トーメはメル‐トーンズを率いていました。アンディ・ウイリアムスはウイリアム・ブラザース出身という具合、偶然なのか必然なのか面白い事実ではありませんか。

女性シンガーの場合も、クロスビーと同じ昭和一桁時代のBoswell Sistersからコニー・ボズウェルがソロシンガーとなり有名になった。エラ・フィッツジェラルドがアイドルと慕ったシンガーで、エラの母親がコニーのレコードを買ってくれたのだそうです。1940年代になって、トミードーシー楽団専属コーラスのPied Pipersからジョー・スタッフォードが独立し人気者になった。

日本人の歌手の中にはコーラスとソロをこなす人間はいない。逆にソロ・ボーカルの4人が集まって、2000年代初めにGlobal Fourというグループを編成した。井上 良、木津ジョージ、高橋伸寿、由起 真だが、井上 良が死んだ後も3人で歌っていたが、高橋さんちゃんが去年春に死んでしまった。10年以上前に木津ジョージにCDをもらって聴いたが、ソロシンガーの寄せ集めの域を出ない。木津自身もよく分かっている。単に自己主張の強いソロシンガーが集まってもコーラスにはならない。面白いもんだ。

 おまけ今日、2017年3月7日はジャズ・レコードがこの世に出て100年目の記念日です。

(2017/3/7・わかやま)


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