リレー随筆コーナー

楽 私 雑 記



長谷川 洋也(1期)


高校生になり、日吉の銀杏並木の坂を上った広場で、三角ベースを放課後、毎日やっていた。そこからは、塾高の音楽室で練習している男声合唱の歌声がいつも聞こえていた。

ある日そこで田中ブーちゃんが(同期生)、私に「一緒にあの合唱部に入らないか」と言ってきた。迷っている私に彼は「練習はサボっても大丈夫、部費は3ヶ月未納でもクビにならない」と押してきた。そこで私もその「音楽愛好会」に入会を申し込んだのであった。

早速、先輩の藤本さん(後に大学で“コール・メロディオン”を創った人)にピアノの前に連れていかれ、ブーちゃんはFis迄出て2ndテナー、私はG迄出てトップ・テナーとパートが決まった。当時練習していたのは「ベートーヴェンの第九」。楽譜をもらい練習が始まった。そのうち何処をやっているのか全く分からなくなった。隣の人が楽譜をめくるとマネしてめくる、の繰り返しだった。しかし、だんだん皆についていけるようになった。

高校2年になり、音楽に興味が増した私は、その高音に魅せられヴァイオリンかフルートを習いたいと思い、ヴァイオリンを選んだ。「何たるバカか、フルートにすべきだった!」と思ったが後の祭り。練習する自分の音がイヤになり、ホーマンという初級教本でギブアップした。それ以来、丁か半かの勝負事で勝ったことが無い。でも合唱活動を通して「音楽とは本番では失敗しても途中で止めない、最後まで続ける」と学んだ。

その頃、衝撃的なことに出遭いビックリしたこと二つ。先ず、アルフレッド・コルトーが日本でコンサートをやった時のこと。「どうしても行きたい」と熱望した姉が、「用心棒として、私を連れて行くから」という事で親を説得した。当日の日比谷公会堂。何曲目かに「舞踏への勧誘」が演奏された。前奏があり舞曲が続き、後奏で終わる。ところが前奏が終わったところで拍手が起こった。私は当然、コルトーは弾き続けると思った。しかし彼はゆっくりと立ち上がり、ピアノに手をついて一礼し、おもむろに後奏を始めた。子供心にも何か胸を打たれたことだった。後年、ピアニストについて忘れられない経験をもう一つした。加藤ルリ子という若手ピアニストが「バッハのゴールドベルグ変奏曲」を持ち曲として登場し、新聞に書かれるほどの評判になった。私も日比谷公会堂に聞きに行った。演奏が始まり、複雑な変奏が繰り返されていた。ト、突然演奏が止まり、彼女、黙って退場した。いくら拍手しても出てこない。で、それ以来、私は彼女の名前を聞いていない。

さて、その後の合唱生活。皆の後をついていくだけ。日吉祭のステージ上で恥ずかしくて顔を上げられなかったことだけ覚えている。イヤ、そうでもないか。3年生の時、恩師・岡田先生の出身校という関係で「国立音楽大学」の合唱団の一員となり、N響の定期演奏会で「ベートーヴェンの荘厳ミサ曲」を歌わせていただくという貴重な経験をした。そして、このことが契機となって合唱音楽を身近に感じ、その後も続けるようになったのだ。

そして大学1年の時、同じメンバー/同じステージで「バッハのマタイ受難曲」を歌った。これが決定打となり「一生合唱を、宗教音楽を続けるぞ」と決心したのであった。それで一念発起、声楽を習い始めた。毎週日曜日、先生のお宅では音大の声楽科の学生がレッスン中で、アリアやリートが聞こえている。そんな中で私だけ「コールユーブンゲン」のド-レ-ドです。次の番の音大生は驚いたと思う。とはいえ、その内自然と親しくなり、中には「学内の音楽会で『第九』のソロをするのですけど、4楽章最初のバリトン・ソロでは息が続かない。どうしたらいいでしょう」と聞かれた事もある。そこで私は、演奏会で聴いた通り「ここでブレスをしていますよ」と教えてあげたものだった。

当時、楽友会は全体を岡田先生が統括される中で、男声は伴、女声は筑紫(共に1期)両君が夫々指揮者となり、運営は2期以下のメンバーが引き受けていた。それを4年間続けて今日にいたる基礎を作ったと思う。私自身は毎週月曜から金曜まで午後3時に女子高に行き、各人に「コールユーブンゲン」と「コンコーネ」を教えていた。するとある時、筑紫君が「合唱コンクールの女子学生の部に出よう」と言いだした。相手は大学生、こっちは高校生が主体なのに・・・曲はブリテンの「キャロルの祭典」! 本番が始まった。順調だ!だが何と、そこで我が愛弟子のヨーチャン(故・土橋蓉子さん/6期)が1拍早く飛び出した!それでも結果は総合で2位!!!その時私は驚いた。筑紫君をはじめ高校1年生まで、誰一人愚痴を言わなかったのだ。その後も聞いたことはない(ヨーチャン ゴメン)。

その頃、私も成長していた。男声合唱の練習の時、苦手な「エ」の母音の高いGが突然ラクに出た。何だ、今のは?と思ったけど次も出た。そのうち母音「イ」と「ウ」でも出るようになった。テノールに必要な高い音を出すチエンジ・ボイスができたのだ。しかし素人の悲しさ。「ア」と「オ」はできない。その後、定演で「ドボルザークのスタバト・マーテル」のテノール・ソロを歌った。高いAを2分音符で伸ばすところ、楽譜は「オ」の母音なのに、勝手に「イ」に変えて歌った。岡田先生はじめ、誰からも文句は出なかった。感謝。

卒業後何年かたって、7期の安永ヘバリに誘われて「東京合唱団」に入った。入団の挨拶で「ソプラノの安永さんは私の7年後輩です」と言ったら驚きの声があがった。同年配と思われていたらしい。ヘバリは嬉しそうだった。

指揮者の前田幸市郎先生には、多くの宗教音楽のご指導をいただき、音楽を教わった。その中で一番好きな曲は「ブラームスのドイツ レクィエム」。後年、現役から「定期演奏会でその曲を上演する。楽友三田会と一緒にやりたい」と申し入れがあった時は、本当に嬉しかった。確か、幹事長は笹倉君(27期)で、テノールとソプラノのパトリは夫々、清野・古畑の両君であり、共に真に優秀な人だったと記憶している。

岡田先生も大曲を見事に指揮された。とても良い演奏会だったと記憶している。後輩達には優秀な人が多く、合唱団を創設し、自ら指揮者になった人が何人もいた。私は福井良太郎君(12期)の混声合唱団に入れてもらい、何ステージか歌った。彼の知人の作曲家の曲が主力。それが良い曲で心にしみた。

もう一つ。小笹和彦(4期)、斎藤成八郎(5期)、杉原泰雄(11期)の諸君が中心になって作った「東京スコラ・カントールム(宗教音楽専門の合唱団)」にも入れてもらった。合唱団を創るにあたり、どのような方法でメムバーを集めたのか、指揮者は、オケは、費用はといった問題をクリアーした3君の能力の高さには頭を下げざるを得なかった。現在も斎藤君をトップに続いている。古い話だが、私はここで大好きな「ブルックナーのブラス・オーケストラと2つの混声合唱のためのミサ曲」を歌った。他事ながら私の好きな宗教音楽は1位「バッハのマタイ受難曲」、2位「ブラームスのドイツ レクィエム」、3位がブルックナーのこの曲です。

そのブルックナーを歌った時、隣で歌っていた斎藤君が高いA音を見事に歌った!あの普段はダミ声で話す彼が、いつ発声を学び、どうしてチエンジ・ボイスを身につけたのか、私は心底驚いたものだった。

最後にもう一人、私の奇跡的な後輩を紹介したい。8期の田中久夫君である。私は大田区の久ヶ原小学校から塾・普通部に入り、高校・大学と楽友会に属してトップ・テナーを務めたが、田中君もこれと全く同じコースを歩んだことを、後に楽友三田会活動で知った。同君はバリトンの河野克典先生に声楽を習っていたが、この度、独唱会をやることになった。入場はもちろん無料、詳細は以下の通りです。

          シューマン「詩人の恋」独唱会
          テノール 田中 久夫
          ピアノ  舌 沙織里

          1部  ・シューベルトのリート:3曲
              
 ・ピアノ独奏

          2部  ・シューマン「詩人の恋」

          日時: 2018年10月21日(日) 開場:午後1時30分/開演:午後2時
          会場: 新大久保「スペースDo」

注 1.ピアニストの舌さんは桐朋音大の研究科を出て、第5回ショパン国際コンクールで金賞を受賞された、田中君にはもったいないような人で、私の知人のお嬢さんです。
2.このコンサートに興味のある方は、田中久夫君宛直接メールしてください。チケット・チラシ等郵送させていただきます。

(2018/6/10)

    


カッパ殿:
長谷川洋也さんから投稿がありました。
相変わらず便せんに書きなぐりで往生しましたが、
ようやく何とかWP化しました。

後はよろしく!!! オザサ

ア、書くの忘れてたけど、長谷川さんは「後は好きに書き直すなり、
編集してくれ!」と言っていましたから、どうぞお気楽に、
自由に調整してあげて下さい!  オザサ

手書きで送ってくるのは長谷川さんだけじゃありません。
9期にも10期にもいます。はっはっはです。
有難うございます。
かっぱ


FEST