リレー随筆コーナー

双頭の鷲の旗のもとに


塚越 敏雄(8
期)


楽友のリレー随筆なら合唱がらみが本筋と思うが、今日は吹奏楽の話である。

末娘(といってももう40を超え、小学生になったばかりの娘つまり私の孫がいる)の吹奏楽コンサートに出かけた。「横浜でわくわくしようプロジェクト」という不思議な名前の活動に打楽器パートで参加しており、そのコンサートが横浜の都築公会堂であったからだ。なんでも五年前から吹奏楽好きが集まって、実行委員会形式で、一年かけてコンサートを行い解散する。そしてまた新しい企画で参加メンバーを募集するというやりかたで、今年2018年が五回目となるのだそうだ。当今、小学校には鼓笛隊、中学、高校にはブラスバンドがあるのが当たり前という時代だから、その体験者も多い。学校を卒業してから、市民楽団に参加している者がこのプロジェクトの中心のようだ。

前年の演奏会に登録しておくと、次回のコンサートの案内が届くというシステムになっていて、かなりの人が案内はがきを持参していた。コンサートは無料ということもあってか、開場時間の30分前から長い列ができてしまい、満席の盛況だった。孫娘も入り口でのプログラム配りに駆り出されたが、入場者のなかには、わざわざ小さな娘からプログラムをもらいたがる人もいて得意顔だった。

開会のファンファーレが鳴って、一呼吸。おなじみのマーチが始まった。ワグナー作曲「双頭の鷲の旗のもとに」またの名を「双頭の鷲のもとに」である。ドイツ名では「Unter dem Doppeladler」だから「双頭の鷲のもとに」が正しいのかもしれないが、オーストリア陸軍の軍旗のマークが双頭の鷲であり、その軍旗を掲げての行進曲だから、「旗のもとに」も間違いとはいえない。ワグナーといっても、リヒャルト・ワグナーとは全く関係ない。

YouTube⇒ https://youtu.be/uGAlLbj6z2A

帝政オーストリア陸軍の軍楽隊長だったヨゼフ・フランツ・ワーグナーが19世紀末に作曲した「双頭の鷲の旗のもとに」は、アメリカの同時代のマーチ王スーザも大好きな曲だったそうで、日本の運動会での定番入退場曲だった。しかし最近の学校の運動会は、JPOPなどが幅を利かせていて、このマーチを聴くことが少なくなった。そのせいか、この日の「双頭の鷲の旗のもとに」は、私にはとても新鮮に聞こえたのだった。

かっての帝政オーストリア陸軍の軍旗に描かれていた双頭の鷲は剛勇と忠節の象徴であった。

この欧米では定番のような紋章は、古くはメソポタミア文明の時代にまでさかのぼれるそうだが、今のスタイルはローマ帝国の軍団の先頭に輝いていた金鷲に始まり、神聖ローマ帝国、ロシア帝国、ドイツ連邦、オーストリア・ハンガリー二重帝国と受け継がれてきた。(単頭の鷲はドイツ第三帝国(ナチス)やアメリカ合衆国の紋章である。)


スイスのサッカー選手


アルバニア人とコソボ国民の象徴 〜スカンデルベグの双頭の鷲〜

ところで、最近この「双頭の鷲」が問題になったことがある。先ごろ行われたサッカーロシアワールドカップでのことだ。予選グループEの6月22日スイス対セルビア戦で、スイスの2人の選手が.行ったジェスチュア「胸の前で開いた手を交差させる」が反スポーツ的行為として罰金を科されたのだ。この二人のスイス選手は、一人はコソボ生まれ、一人はコソボ出身というアルバニア系の移民の子供で、それぞれ同点ゴール、決勝点ゴールを叩きだした勝利の立役者だったが、試合の勝利が決まった時にしたこのジェスチュアがアルバニア国旗の双頭の鷲を意味し、セルビアを侮辱したと判定されたのである。コソボ内戦の悲惨な状況がしばしば報道されたが、その余韻がまだ収まっていないことを思い起された事件だった。コソボ内戦は第二次大戦後チトーによって成立したユーゴスラビアが冷戦終結とともに瓦解し、イスラム系とスラブ系の対立が引き起こした民族紛争だった。さかのぼれば、第一次世界大戦はセルビア系の民族主義者がオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇太子を狙撃したことが引き金となった。このほかにも、今度のワールドカップではドイツやフランスで移民二世の選手の活躍がそれぞれの母国で、複雑な反応を引き起こした。

私がドイツを初めて訪れた1971年、ホテルのバーのバーテンはトルコ人、一緒に旅行したフィリピン人の友人は病院で看護婦をしていたし、旅行中に乗ったイタリアの鉄道で同室になったのは、休暇で戻ったトルコからドイツに帰る家族だったことを思いだした。50年前には、移民を当たり前のように受け入れていた欧州やアメリカで、風向きが変わってきているようである。 

日本でも労働力不足が深刻化していて、ヨーロッパの移民問題が、他人事ではなくなってきている。我が家の近くには、インド系の国際学校ができて、インド人家族の姿をよく目にするようになった。はたして日本が全体として移民の自由を許容できる社会なのかはわからないが、あちこちに移民コミュニティが顕在化し、地域社会でコミュニティ一体化の努力がされているのは事実である。しかしそれは、移民社会の違いを受け入れようというよりは、日本社会に一体化させようという動きのほうが強い。はたしてそれは正しい方向なのか。そして国家レベルでは方向が出されているかは、はなはだ疑問だ。

アメリカのトランプ大統領は自由貿易の旗を降ろして、自由で公正な貿易と言い出した。そして、なにやら人種差別的でさえある。アメリカの国章が、単頭の鷲からダブルスタンダードの双頭の鷲に代わるのかもしれないと思うこの頃である。

(2019/3/12)

    


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