リレー随筆コーナー

岡田先生に指揮をならいました


小野眞史高12期


高校12期小野眞史です。
眼不快の脳計測、12年かかって昨年掲載された論文の写真(被験者筆者)です。自己紹介兼経歴です。学生時代はほぼ部活動で、NHK東京児童合唱団(N児)→普通部(水泳部他7つ)→高校楽友会→工学部、ワグネル男声→他大医学部、ラグビー部→眼科医です。合唱とラグビー特にスクラムは同じ楽しさがあると感じています。


岡田先生の指揮との遭遇
高校一年生の自分には低い迫力のあるお声が少し怖く、それでも指揮だけで高い緊張感、集中力を作り出し、合唱を自在に操り、自分たちの表現を瞬時に次の段階に高めていくことに驚きました。それまで経験したN児や著名なオケの舞台でもこのような力強さで合唱を引きつける指揮は初めてでした。

高校一年春合宿
八王子のセミナーハウスの春合宿の最終日、新二年生での役職を決めた後の朝食後でした。岡田先生が指揮をするときと同じように右手の人差し指で、こちらを差し「小野くんだったか、こっちに来なさい」「もう一人の指揮者も」といって食事のテーブルに呼ばれました。叱られるようなことは仲間で「岡忠さん」と呼んでいることくらいですが、ビクビクして近づくと「来週から指揮の練習に来なさい」「それまでに指揮法の本を読んでおきなさい」とマックス・ルードルフの指揮法の本を指定されました。おったまげ、でした。

初めての岡田先生のお宅への訪問
少し上の代まで部員と岡田先生に少し距離があった時代があったため、訪問のお作法の情報を集め元住吉駅で同じ指揮者のK君と待ち合わせ伺いました。記憶が不鮮明でしたが「鶴の友」の特級を持参すると良いとのアドバイスに従い、金色の薦を被った一升瓶持参でうかがったようにおもいます。

指揮の練習開始
場所は先生のご自宅、小型のグランドピアノのある洋間の練習室でした。「(はじめは)指揮棒だけで表現するんだ」「まずは二拍子から」が最初の指導だったように思います。他にも、指揮棒の持ち方、肩の力の抜き方、演奏者との視点の合わせ方、アインザッツの表現が音楽の開始に重要、などなどを教えられたように思います。で、

ピアニストと練習
ここからが練習の中心です。プロの女性ピアニストをお呼びいただき、前もってさらってくるように渡された「ブラームスのハンガリー舞曲第5番」での練習でした。

二拍子は難しい、と思いました。「ピアニストは指揮者が振ったように弾くから、棒が止まったら音楽も止まる」、「テンポも音の大きさも、曲想も自分が考えたようにピアニストにわかるように振りなさい」とのことでした。こちらが振り間違えて指揮棒が止まると、ピアノの音も止まります。心臓バクバクでした。

ハンガリー舞曲第5番
第5番は他の組曲に増してテンポ、曲想が瞬時に変わり、時に音楽を止めてその後新たなテンポで開始することの多い曲で当時は難題でした。アインザッツの一振りの指示によって次の小節以降の曲想を演奏者にイメージさせる重要性を体験することができたように思います。

演奏が指揮通りになっているときの、指揮棒に感じる「重さ、粘り気」のような感覚、実際の場で、誰も指揮を見ていないときの、まさに「空振り」のような指揮者として「背筋が寒くなるような」感覚もそのピアニストの先生の練習で体験させていただいたように思います。

贅沢で貴重な体験でした
今考えてみれば、高校生にとっては本当に貴重な体験でした。岡田先生の練習の時の指示の表現は合唱と同じように短く鋭い語気で指導されますが、うまくいったときは、怖いお顔に少し笑みを浮かべてうなずき「それでいいい」とおっしゃってくださったように記憶しています。

当時高校生で雲の上のような岡田先生からこのように手取り足とり「指揮法」をご教授いただく機会に恵まれ、今思い出しても「ちょっと怖い愛情につつまれた、この上なく贅沢な」体験でした。

岡田先生、ありがとうございました。


高校三年生演奏会、文化会館小ホールにて

    


編集部 強い台風15号が、今夜には関東地方を直撃しようとしている9月8日です。リレー随筆のバトンが小野君の手に渡ってから、ご家族の救急搬送・入院があったり、自身の体調が悪かったり大変だったようです。そういう年代なのでしょう。

でも、無事、昼前に原稿が届きました。工学部を出てから医科大学へ転身という経歴というと珍しがられるかもしれませんが、私の管理工学科の同じ研究室の後輩は、博士課程が終わってから東京医科歯科大学に入り、歯科医師になりました。彼の息子も歯医者になり、毎月、わたしの歯をメインテナンスしてくれます。

恩師、岡田忠彦先生の想い出を書いてくれました。岡忠さん、草葉の陰からこのページをご覧になっていることと思います。(2019/9/8・かっぱ)


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