リレー随筆コーナー

オリンピック讃歌と野上彰



塚越 敏雄(8期)


2020年に予定されているOSFファミリーコンサートの練習に珍しい歌が登場した。「オリンピック讃歌」である。オリンピックの開閉会式で「オリンピック旗の掲降揚」の時に流れる。聴けば、あああれかと思い出す荘厳な曲である。OSFが誇る編曲家Tee Tack氏によって男声4部合唱に編曲された曲を初めて見たとき、その歌詞が日本語かどうかぴんとこなかった。もともとのギリシャ語用の音価がついた楽譜に片仮名の歌詞が振られていたからである。

近代オリンピックの復活にあたり、1896年4月6日アテネオリンピック開会式に作詞:コスティス・パラマス、作曲:スピロ・サマラスのオリンピック讃歌(英語版、ギリシア語版)が演奏されたが、その後楽譜が行方不明になり歌われることもなかった。ところが1958年第54次国際オリンピック委員会総会が東京で開かれる前に、この曲の楽譜が「ギリシャで見つかった」と、ギリシャのIOC委員から、日本のIOC委員の東龍太郎(当時:東京都知事)に届けられた。この楽譜は作曲者サマラスによるピアノ伴奏用だったが、日本オリンピック委員会はNHKを通じて作曲家の古関裕而に依頼し、オーケストラ用に編曲した。そして同年5月14日の総会開会式において、山田和男指揮、NHK交響楽団、独唱三宅春恵(ソプラノ)、川崎静子(アルト)、柴田睦陸(テノール)、大橋国一(バリトン)、合唱東京藝術大学と東京放送合唱団という当時最高の演奏陣によって古関版オリンピック賛歌が披露された。国際オリンピック委員会はこの古関版を公式にオリンピック賛歌と認定した。その後に開催された1960年スコーバレー冬季オリンピックでオリンピック旗の掲揚、降納に合わせて演奏された。原曲はギリシャ語版と英語版の歌詞がついているが、オリンピック開催国の母国語で歌われることもあり、1968年の東京オリンピック、1998年長野冬季オリンピックでは、野上彰の日本語訳で演奏された。

 大空と大地に清気あふれて 不滅の栄光に輝く
 高貴と真実と美をば造りし 古代の神霊を崇めよ
 すべての競技にふるいたてよ みどりの枝の栄冠をめざしてここ闘う者に
 鉄のごとき力と新たなる精神とをあたえよ
 野山も海原も いまこそきらめく
 真紅と純白の神殿に 世界の国民 四方の国より聖なる園に集いきたるは
 古き昔の永遠なる精神の御前にひれふすためぞ
 
(2018年からパブリックドメイン)

という訳詩だが、もとの英語の詩には古代の神霊も神殿も出てこない。野上の訳詩?は近代オリンピックより、古代オリンピックの讃歌であるかのような荘厳なものである。あるいは野上彰の訳は、英語ではなくギリシャ語の詩が下敷きなのか?ギリシャ語の詩は私は読むこともできないので、何とも言えないが。

ところで、その野上彰は、合唱、さらには男声合唱にも編曲された。神奈川県合唱連盟が主催する神奈川県合唱祭には、指揮者コーナーや作曲者コーナーという時間があり、かって小林秀雄さんがお元気だったころ、小林秀雄コーナーがつくられたことがあった。そこで本人のピアノ伴奏で、女声合唱の落葉松が演奏された。この曲には、途中にピアノ独奏の部分があるのだが、小林秀雄はこんなに情熱的に弾くのかとびっくりさせられた記憶がある。その後合唱でも、独唱でも、数えきれないほど「落葉松」を聴いたが、小林秀雄を抜くピアニストには合唱人にとって小林秀雄作曲の「落葉松」を通じてもなじみがある詩人である。1974年に野上彰の追悼コンサート用に発表された「落葉松」はもともと独唱曲であったが、1985年度のNHK合唱コンクールの女声合唱課題曲に作曲者本人の手で編曲されて一気にひろまり、女声合唱団の定番曲となった。その後小林秀雄本人により混声出会わなかった。

 落葉松の秋の雨に わたしの手が濡れる
 落葉松の夜の雨に わたしの心が濡れる
 落葉松の陽のある雨に わたしの思い出が濡れる
 落葉松の小鳥の雨に わたしの乾いた眼が濡れる
 落葉松の秋の雨に わたしの手が濡れる
 落葉松の夜の雨に わたしの心が濡れる

野上彰の先生である川端康成の軽井沢の別荘でこの詩が書かれたといわれている。落葉松の林を歩いたことのある者には、この詩と音楽が一体となった歌曲「落葉松」の繊細な情緒が心に沁みてくるのである。それにしてもオリンピック讃歌の訳詩の荘厳さと「落葉松」の詩が同じ詩人が書いたものとは到底思えないが、野上彰の多彩で変化に満ちた生涯に触れるとその振れ幅が納得できるような気がしないでもない。私にはオリンピック讃歌よりも「落葉松」の心のほうが野上の本質ではなかったかと思う。

    


編集部 バトンリレーの相手が見つからず、1年半も放って置かれたのは何年前?
「見つけないでいいから、自分にバトンを渡して書きなさい」ということになった。3年前の9月の話である。

時節柄、来年の東京五輪を見据えたエッセー、さすが塚越敏雄である。今後も「塚越エッセー」はつづく・・・(2019/10/29・かっぱ)


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