リレー随筆コーナー

   OSFF

石井 孔子(4期)


先月4月3日、私たちは大学卒業50年にあたり塾から招待され日吉記念館で行われた今年度の慶應義塾大学入学式に参列いたしました。6千数百人の新入生の後ろに着席した私たち「百年三田会」のお仲間は千人程、創立100年の時に卒業した私たちの卒業式は当時完成したばかりのこの日吉記念館で行われましたが、その記念館での最後の入学式に招かれたわけで…というのはこの式の後、建物を取り壊し創立150年記念事業の一環として新しく建て直される…とのことに、感慨も一入でした。


今年の入学式風景(日吉記念館)

思い起こせばさらにその10年前に私は中等部に入学したのでした。同期の筑紫秀子さんデコとはその時以来のお付き合いになるわけです。終戦直後だった当時の中等部は、音楽室などもお粗末なものでしたが、先生方は一流で芥川也寸志先生にもお教え頂きました。というと何か難しい作曲法等お教え頂いたかのようですが然に非ず。最初の授業の時「音楽四方山よもやま話帳」というノートを作るようにといわれ、その次の時間からしばらくの間は先生が戦争で南方に行かされ、食べるものもロクになく毎日蛇を食べたの何のというお話をノートに書かされるばかりであまりというより全く、音楽とは無関係な授業が続きびっくりさせられたりも致しました。

もうお一方の音楽の先生が二期会所属のソプラノ、志賀朝子先生でした。そして私たちが中等部2年の時、塾高と女子校の音楽愛好会による初めての演奏会が行われ、ハイドンの「天地創造」が岡田忠彦先生の指揮で演奏されました。私たちも聴きに参りましたがその時の合唱と、志賀先生のソプラノの美しさにすっかり魅せられて、女子高に進学したら音楽愛好会に入ることと志賀先生のレッスンを受けることを心に期しました。同じ思いだったデコと一緒に進学後その二つを実現させたわけですが、入学直後の52年6月に音楽愛好会を包含する形で楽友会が発足し、私たちは自動的に楽友会員になったのでした。

その時「楽友会」の名称は将来ウィーンの楽友協会のステージで歌うことができる合唱団を目指して付けられたのだということを聞かされ、何か夢のようなお話だと思うばかりでしたが、何とその約50年後にそれが見事に実現したことを思うとこれもまた、感慨も一入です。楽友会が発足して間もない確か6月に、日比谷公会堂でベートーヴェンの「第九」を高田三郎さんの指揮で歌う機会に恵まれ、何が何やらわからない内にそれでも精一杯歌って以来、もう極めつけの合唱中毒患者となってしまったという次第です。それからの楽友会での楽しい想い出は枚挙にいとまがありませんが、女子高3年の時の楽友会第3回演奏会でフランクの「ミサ・ソレムニス」を演奏いたしましたが、その中の重唱でソプラノを村瀬和子さんと二人で歌わせて頂いたこと、その時のベースのお一人が若杉弘さんだったことや、大学1年の時、筑紫武晴さんの指揮で女声合唱コンクールに参加して、ブリテンの「キャロルの祭典」を歌い第2位に入賞したこと等も懐かしく誇らしい想い出として心に残っています。卒業後はしばらく合唱から遠ざかっていましたが、伴有雄さん指揮の楽友三田会合唱団第1回演奏会が行われた時からまた歌い始め、ずっと今日まで歌わせて頂いております。

ところで私は楽友三田会合唱団の他にも小さな合唱団に属しています。それは大学のキリスト教青年会で日吉キャンパスのチャペルで讃美歌等を歌っていた同期の仲間たちと作っているクッカバラ会合唱団で、私を含めて何人かが属している横浜の都筑讃美教会のクリスマス音楽会で歌ったり、老人ホームに歌いに行かせて頂いたりしています。つい先月も楽友三田会の池田百合子さんがヴォランティアをなさっている施設に伺わせて頂きました。また何年か前までは毎年1回、4回ほど韓国の慶州ナザレ園という施設に歌いに行っておりました。上坂冬子さんの著書「慶州ナザレ園―忘れられた日本人妻たち」でご存知の方も多いかと思いますが、そこは戦中から戦後にかけて韓国人男性と結婚なさり彼の地にわたりその後未亡人となり、今は身寄りもない日本人女性たちが手厚く保護されているキリスト教系の老人ホームですが、そこに暮らしておいでの日本人女性の方々は、日々の生活に満足なさりながらも、やはり望郷の念断ちがたいご様子で、私たちの歌う日本の歌を涙ながらに聴いてくださったり、嬉しそうに一緒に歌ってくださったりしたことが心に強く残っています。また私たちは5年ほど前、旧東ドイツのヴェアニゲローデという中世の面影そのままの街にある音楽学校を訪問し、合唱の練習を見学させて頂いたり、校長先生をはじめ先生方や生徒さん達と歌ったり歓談したりする機会をもちました。何年か前に日本での公演もあったのでご存知の方も多いと思いますが“Rundfunk - Jugendchor Wernigerode”という名の合唱団の若々しい美しいドイツ民謡には本当にうっとりさせられました。このお仲間の内のお二人が教会の聖歌隊でも一緒に歌っている榊原欽二さんと須賀井秀達さんで、皆様のご厚意でウィーン楽友協会のステージにも共に立つことができた方々ですが、この度、楽友三田会OSF男声合唱団第1回ファミリー・コンサート4月26日にも、金婚式をお迎えになったばかりの筑紫さんご夫妻から今度も共にお招き頂き喜んで伺わせて頂きました。


OSFのコンサート風景(松田ホール) クリックで拡大

このOSF合唱団は名称の通り65歳以上の方々の男声コーラスで、懐かしい歌声とハーモニーを聴かせて頂き本当に楽しい刻を過ごすことができました。


卒業50年を寿ぐ4期の仲間(右から鈴木、筑紫、井上、小笹、筆者:松田ホールのベランダで)

同期からは井上清さんと小笹和彦さんが参加なさっていて小笹さんは指揮をなさいましたし井上さんはソロをなさいました。さすが同期!?お二人とも素晴らしかったです。そして皆様の演奏もまた、合唱を知りつくし、合唱を心底から愛していらっしゃるその思いがひしひしと伝わってくる素晴らしい演奏でした。岡田先生ご夫妻をお迎えしての和気あいあいの会場に身を置きながら、小笹さんが「“OSF”とは単に“Over Sixty Five”ではなく“Our Song Forever”なのだ」と仰言っていらっしゃることを沁々と心に思いました。そして私は更にそれに“F”をもう一つ加えて“OSFF”ではないかしら?と思った事でした。それではここに声高らかに申しあげさせて頂きます。

“Our Song and Friendship are Forever!!”と。(5月12日)