随筆コーナー

読後感「雪あかり日記/せせらぎ日記」 (谷口吉郎著)

2025/08/16


飯田武昭(6期)



この著書は舩津さんの下記のメール(6/22)から知った本で、私(遅読人)の拙文ですが、時間のある方はご笑読ください。
著書には写真は一斉ありませんので、私のコメントに関する写真(図)を別紙に添付しておきます。
飯田武昭

飯田さん
朝紅茶を入れるときに紅茶がポットの外に零れるとこの「恐怖の報酬」のシーンを思い出します、アーッ。どーかーん。
本はこんな物を読んでいます。都倉教授の本は中々面白いですよ。後は積ん読ですがね。谷口吉郎さんには大学で建築史の講義を受けましたので。小生が生まれた頃に独逸に行かれたお話しです。
船津於菟彦

雪あかり日記/せせらぎ日記

谷口吉郎著/中央公論新書(全541頁)


本著書は日本建築学界で著名な谷口吉郎(1904年金沢市生まれ、東京帝国大学工学部建築科を卒業)が、ドイツ・ベルリンの日本大使館新築の視察に出かけ、第2次世界大戦開戦直前の緊迫したヨーロパの時局を体感しながらも約一年間(1938年11月〜1939年9月)を日記(紀行文)として纏めたものである。

私が本著を読みたいと思ったのは、著者のドイツ訪問時期が私の誕生日の生年月まで同じ時期(1938年11月)であることが第一の理由であった。私自身は1963年11月から約一年間、企業から当時の西ドイツに海外研修生として派遣された経験があり、東西ドイツが分裂国家として存在していた当時に、第2次世界大戦の傷跡が未だあちこちに見られた光景と比べられると思ったからである。

直、断るまでもなく、私は著者が専門とする建築学については全くの門外漢であり、知識も正しい情報も持ち合わせない。但し、ドイツ駐在時代(海外研修生の後、1973〜77年までの4年間、再びドイツに今度は企業の駐在員として勤務・生活した)に、ケルン大聖堂の尖塔がゴシック建築だとか、美しいハンブルグ市庁舎の建物がルネッサンス様式だとか、南ドイツのヴィース教会の内部がロココ様式の典型だとか程度の知識・感覚は持っている。

本著書は前半の「雪あかり日記」は、日本の神戸港から1938年10月に日本郵船「靖国丸」で出航し、インド洋周りでフランス・マルセイユ港で下船し(神戸港から25日目)、陸路パリ経由ベルリンに到着した11月から翌年4月頃までのベルリンでの記述である。私の読後感は率直に言って可成り期待外れでがっかりした。その理由はベルリンが曇天続きであることや街の建築物についてちょっと触れては、その建築物から彷彿されるギリシャ・ローマや日本の建築物や技術の事に話は飛び、私が期待していたドイツでの食事や街の人達との触れ合いの記述が全く無かったことだった。

(注1)気象に関する私の解釈は緯度が高く夏の白夜の反対の冬は日照時間も短く、更にベルリンなど北ドイツの特有の気象は北海からの気流により垂れ込めた曇が覆うため。

ただ、この前半でも興味ある記述が幾つかあった。一つは著者が日本からヨーロッパへ渡航したのは神戸港発の「靖国丸」という客船だが、この船に「宝塚少女歌劇団」も一緒に乗船していて、航海中はインド洋でも地中海でも毎朝デッキに全員集合して元気よくラジオ体操をしている姿を遠くから眺めていたが、彼女らはナポリ港で下船してヨーロッパ各国で公演をしていたこと。ベルリンに著者が到着してからベルリンの中心街ウンター・デン・リンデン大通り((Unter den Linden)で、「広告柱」の貼り紙を見ると国立歌劇場(Staats Oper)、ベートーベン・ザール(Beethoven Saal) などの広告に混じって「タカラヅカ(宝塚)」のポスターもあり、「三番叟」「かっぽれ」「大漁ぶし」や「棒しばり」などの出し物が書いてあったと。二つ目はカール・フリードリッヒ・シンケル(Karl Friedrich Schinkel, 1781年〜 1841年)という18世紀ドイツの新古典主義建築を代表する建築家で、ベルリン旧博物館(Altes Museum)、ポツダムの聖ニコライ教会(St. Nikolai Kirche)などの遺構が評価の対象となっていること。 戦前に日本にも長期滞在し多大な影響を与えたブルーノ・タウト(ドイツ旧ケーニッヒベルク(現ロシアのカリーニングラード)生まれ以外で著名なドイツ人建築家を知ったこと。三つ目は、チェーホーフの「桜の園」を観劇の幕間に、ロビーでは観衆が隊伍を組んで歩行運動をするという風習があること。これは私もドイツ時代に経験していたことで忘れかけていたが、大勢の群衆になると、自然に四列縦隊になり、その行進が規則正しい回転運動となることで、公園など道を散歩(ドイツ人の散歩=Spaziergang好きは有名)していても、二人連れになれば必ず歩調を合わすのがドイツでは当たり前のことになっていた。

(注2)この動きに関する私の解釈は、緯度が高く日照時間が少ない冬季のドイツ等では運動不足解消の目的で、今日の日本のウオーキングと同じ目的で動き回る習慣だと理解している。

そして四つ目はナチス・ドイツのアドルフ・ヒットラー総統がチェコのズデーデンに侵攻し、その凱旋行進をベルリンで挙行した際に、著者はブランデンブルグ門に向かうウンター・デン・リンデン大通りで、目の前を通過するヒトラー総統を見た瞬間を綴っている。直、前半の「雪あかり日記」には、出版する度の3回の「あとがき」(昭和22年、昭和42年、昭和49年)があり、これを読むと何故、市民との交流の場が無かったのか等、私なりに理解が深まる記述がいくつか見つかった。

後半の「せせらぎ日記」はベルリンを一時的に離れ、パリからイタリア或いはドイツの文豪ゲーテの街ワイマール、スイスのマッターホルン近郊に及ぶ記述で、だんだん引き込まれていった。そして、ユダヤ人が完全に差別されて行く中で、第2次世界大戦の直接の引き金になったナチス・ドイツ・ヒットラーがダンチヒの去就を巡るポーランドへ侵攻という悪行を決断する直前の緊迫した時局で、邦人の国外退去令が密かにだされ、著者はハンブルグ港から避難船「靖国丸」に乗船を試みたが間に合わず、ノルウエーのベルゲン港まで陸路で苦難の逃避行を敢行し、漸く乗船できた。その安堵感と「靖国丸」がベルゲンから北上しアメリカ・ニューヨーク港周りパナマ経由で日本に帰国するという渡航記録が残された。

パリに入った季節が5月の新緑頃で、冬のベルリンとは季節的にがらりと変わるヨーロッパならではの印象もあると思うが、何せパリの街の明るさがベルリンに比べて対比されて描写されている。ノートルダム大寺院、ルーブル美術館などで絵画・建築を鑑賞し、イタリアからスイスに行くが、マッターホルン見たさにチェルマットの街から、更に早朝から一人で山に近づく散策を試みるが食べる物もなく、不慣れな土地で民家を求めて歩く様も描かれている。ゲーテ・ハウスのあるドイツのワイマールでのことは可成り詳しく記述されており、ドイツでの印象はこちらの方が大分に良さそうと感じられた。後半の「せせらぎ日記」の「あとがき」は著者の息子で建築家の谷口吉生が書いているが、ここには著者は建築(専門家の間では“建築は凍った音楽“とも呼ぶらしい)と美術が、そこの風土と伝統に如何に重要に関わっているかを述べていることだと書かれている。また、作家の堀江敏幸氏が書いている「あとがき」には、立派な都市計画に基ずくベルリンの街の一種の物足りなさとして、石造りの都市でありながら石ころが無い奇妙さ、日本庭園を造るための石が無いことを著者が著していると書かれているのは大いに印象に残った。

(注3) ベルリンからパリへ到着して著者ががらっと街の印象を変えたのは、若葉が一斉に燃え上がる5月だからということと、もう一つはパリの街路樹マロニエなど言葉の響きも影響があるのではと、自分も若い頃の初めての印象はそうだったので勝手に思う。フランス語のマロニエは西洋トチノキ(日本語)、HORSE-CHESTNUT(英語)で、ドイツ語ではカスターニエでフランス語と比しても響きは悪くない。もう一つ、本著書で樹木の名前が時々出て来るが樺(かば)、楡(にれ)、篠懸(すずかけ)は解るが、山毛欅(ぶな)という漢字は何故3文字だろうと思った次第。

読後感としてドイツ・ハンブルグのアルスター湖は街中に有る湖として、その美しさはヨーロッパで一、二を争うものと個人的には思っている。得てして、スイス・ジュネーヴのレマン湖が街中で美しい湖として日本の観光案内で取り上げられるが、アルスター湖はレマン湖ほど大きくなく、広すぎず狭すぎず、街並みとマッチしていて春夏秋冬を通じて綺麗な風景を醸し出している。この著書ではそこら辺のことは書かれていないのは残念。

著者の紹介:谷口吉郎(明治37年(1904年)〜昭和54年(1979年)、享年74歳)。石川県金沢市出身、東京帝国大学工学部建築科を昭和3年(1928年卒業。東京工業大学建築科助教授だった昭和13年(1938年)に外務省嘱託として、日本大使館新築の一環として日本庭園造園のためにドイツ・ベルリンに派遣された。谷口吉郎設計の代表的建築物は東宮御所、帝国劇場、東京国立近代美術館、日本学士院会館、慶應義塾幼稚舎(天現寺)(昭和12年)、慶應義塾日吉寄宿舎(昭和15年)、慶應義塾大学4号館・学生ホール(昭和24年)、慶應義塾大学第2研究室(新萬来舎)(昭和26年)などの他、山種美術館、出光美術館、吉川英治記念館など多数。文化勲章受章(昭和48年)、金沢市名誉市民章第1号(昭和53年)。

長男の谷口吉生(昭和12年(1937年)〜令和6年(2024年)、享年87歳)。慶應義塾高校、同大学工学部卒の後、ハーバード大学デザイン工学院修了。昭和35年(1960年)からアメリカへ留学(ハーバード大学・建築科)し足掛け8年間の海外生活を経験している。

2025年8月19日  飯田武昭


ケルン大聖堂


ハンブルグ市庁舎


ヴィースの教会(南ドイツ)


アルスター湖(ハンブルグ)

飯田さん
小生は谷口吉郎さんが建築家のくせに「詩的な文章」が気に入りましたので―。
ドイツ大使館の庭は結局造られず帰国しているんですね。シュペアーの大ゲルマニア都市計画に基づき日本。伊太利亜大使館は一等地に作られたんだそうですね。
大学で単位にも成らないんですが谷口吉郎さんには大学で建築史の講義を聴きこの本を読むとナニントナクお人柄を感じた次第です。

詳細に谷口吉郎さんと慶應の建築について書きたいと今計画中です。コチトラも繪・建築・音楽・詩など全く無知蒙昧ですが好きです。

読後感愉しく拝読させて戴きました。ケルンとか写真は懐かしいです。ケルン駅下りるとドカーンと聳えていますね。チューリッヒも好きですね。
船津 於菟彦

(2025/8/26)


編集部 ここの所、連続して飯田さん(6期)からの投稿です。

建築家、谷口吉郎氏の「ドイツでの日記」の感想文です。

幼稚舎の校舎の設計は文中に書かれていますが、谷口吉郎氏によるものです。かっぱが幼稚舎時代に聞かされました。新しい建物は息子さん、吉生氏によります。親子での設計とは珍しいですね。

(2025/8/26・かっぱ)