リレー随筆コーナー

三田評論より

いささか旧聞に属しますが、ホームページ「楽友」をオープンした頃原稿に困り(今も困りっぱなしですが)、同期の石井さんに相談かたがた寄稿をお願いしたところ<「三田評論」に4人のお仲間の随筆が同時に載ったことがあるの。とりあえずそれを転用させていただいたら?>と軽くいなされ、コピーが送られてまいりました。

かなり古い記事だったのであまり気乗りせず、放置していましたが、最近書類整理をしていたらそのコピーがまた現れました。<人の好意を無にするの>というお叱りの声も聞こえてくるようでした。そこで慌てて以下に一挙転載させていただくことにしました。今を去ること4半世紀前に書かれた文章であることを念頭に置いてお読みくだされ。全て原文のママです。(編集部・オザサ)


カラオケのないバーありませんか
小森 昭宏(会友)

外科医から作曲家に転向して、もう27年になります。医者のときには気付かなかったのですが、物を「考える」場合、普通の人が「ことば」即ち日本語で考えていることを、作曲家は時として「音楽」で考えることもあるようです。その音楽での「考え」は、はっきりしたメロディ・リズム・ハーモニーが流れてくるのではなく、何となくもやっとした色合いみたいなものが涌き出てくるのですが、次第にメロディ・リズム・ハーモニーのついた音楽に変わることもあります。

又、頭の中に音楽があるときに、他の音楽を聞くのは一寸苦痛です。頭の中の音楽と同種類の音楽ならば、時には刺激になってよいのですが、異なる種類のものは、全くいけません。ですから、カラオケがとても苦手です。

シンセサイザーの冨田勲君(昭30文)、「黒の船唄」の作曲家の桜井順君(昭32経)などと、一ヵ月に1回、笹舟会という利き酒会で集まっておりますが、皆、カラオケ苦手党で、二次会にカラオケのないバーを探すのに苦労しております。

(作曲家・昭32医:「三田評論/1986年11月号」掲載の「社中交歓『歌』」から)
合唱コンクール
石井 孔子(4期)

混声合唱団「楽友会」は現在、大学のみの団体だが、私達の頃は高校、大学を通して歌うことができた。女子高1年の時、日比谷公会堂で「第九」を歌ったのを皮切りに、毎年の定期演奏会等、数々のステージが思い出される。その中でコンクールと言えば、大学1年の秋、女声合唱で参加し、ブリテンの「キャロルの祭典」を歌い、第二位に入賞した。

ところが今年、30年振りにコンクールに参加することになってしまった。OB・OGで作っている「楽友三田会合唱団」が東京都合唱コンクールに出場することになったのである。自由曲はモーツァルトの「レクィエム」から2曲歌うことになり、昔、歌った曲とは言え、暗譜ともなればいささか不安がなきにしもあらずだが、優勝者のみ参加する四国で行われる全国大会へ出場の為の旅費を、各自、調達しておくようにとのお達しもひそかに出されて居り、9月末には昼夜ぶっ続けの練習も予定されている。中にはこの練習が初参加という強者もいるらしい。

果して四国旅行は成るか?コンクールは10月5日、板橋文化会館で行われる。

(主婦・昭34文:「三田評論/1986年11月号」掲載の「社中交歓『歌』」から)
音楽との出会い
小林 章(10期)

ある日町の電気屋さんから荷物が届いた。父親を手伝ってあけてみると電蓄、小学校5年生の頃である。その時から音楽との付き合いが始まったと思う。生意気にもベートーベンを飽きずに聞いたり、タンホイザー序曲や椿姫序曲が気に入って繰り返し聞いた記憶がある。数少ない地方演奏会にも連れて行ってもらい聞く耳や感じる心を覚えたように思う。

学生時代の合唱活動の中で想い出に残る一つに夏の合宿を過した清里高原がある。昭和37年初めて訪れた時は駅と八ケ岳麓にある清泉寮の間を小1時間、石ころだらけの道を汗をかきながら登りおりした。周囲は牧場以外何もなく澄んだ空気、朝夕たちこめる霧、ふりそそぐ太陽、満天の星空、そんな中での仲間との集いは実にすばらしかった。最近報道で知る清里とは隔世の感がある。あの清里はもう戻ってこないのだろうか。

最近機会をとらえて演奏会に出かけるようにしている。会場、演奏、聴衆が揃った時は何とも言えない興奮と安らぎをもたらしてくれる。そして眠りにつく時の心地よさは又格別、秋の夜は長い。

(埼玉銀行・昭40商:「三田評論/1986年11月号」掲載の「社中交歓『歌』」から)
合唱の虜になって
筑紫 秀子(4期)

塾を卒業以来遠ざかっていた合唱コンクールに10月5日挑戦することになった。錆びついた頭に油をさし、台所に立つ時も、イヤホーンを耳に差して一生懸命暗譜をしている。人間を50年やって来て、合唱とのお付き合いはなんと30余年になる。

中等部で芥川也寸志先生、故志賀朝子先生に指導を受け、女子高に行って、楽友会に入会し、7年間の学生生活を常に楽友会と共に過してきた。卒業後数年のブランクはあったもののOB、OGの集まりである楽友三田会に所属し、現在に至っている。

合唱団仲間では、年齢の差など念頭になく、まさに打てば響く仲であり、歌う楽しさと同時に語り合う楽しさも味わっている。月2回、3時間半の練習の後近くの喫茶店に集い、のどをうるおしながら、ワイワイガヤガヤ、まるで学生の集団のように賑やかな会話がある。学生時代と違って、何の規制もなく、唯楽友会に所属していて、歌うことが好きというだけの集まりである合唱団は、時には消え失せそうになったこともあるが、団員各々の心の中には自分達の会であって、あなた任せにしてはいけないという自発性が根強く、各々が仕事を分担して運営に当たっている。歌うことが好きだからこそ、その基盤を大切に存続させていこうという意識があり、何かにとりつかれたように合唱を愛している団体である。

楽友三田会の会員には親子会員もできて、会がますます大きく成長していくことは聞違いなく、塾という大きな樹の一枝として繁ってゆきたいものである。

現役の定期演奏会の切符販売のお手伝いや、交歓会など、若い仲間との交流を持って刺激を受け啓蒙されながら、少しでも良い演奏活動ができることを目標に練習に通う昨今である。

(主婦・塾員:「三田評論/1986年11月号」掲載の「コラム『響』」から)