リレー随筆コーナー

音楽のトライアスロン
― あるいは、あるMMCメンバーのドンキホーテ的音楽生活

 

田村 晴美(16期)


 この原稿が皆様の目に触れる頃には64歳になっている私。この長い人生を振り返ると、現在の生活ほど音楽に満ち溢れている時間はなかったと思う。

女子高時代は楽友会がすべてのような生活を送ったくせに大学ではESSに入って、それ以降33年間は歌とも一切無縁の年月。一方、6歳から始めたピアノはだらだらと大学卒業まで先生につき、結婚相手がヴァイオリン気違いだったため、婚前婚後の一時期こそヴァイオリンの小品やソナタを弾いていた。が、それ以降は結婚後3日でわかった「私は専業主婦には向かない」という事実に対処するための勉強と仕事、子育て、難しい姑との付き合い等に明け暮れているうちに、細々とピアノこそ弾いてはいたが音楽はレコードやFMを聴くだけという時代を過ごして、あっという間に50歳になってしまった。

その前に、私にはどのような音楽も心に入って来なかった時期があった。真っ暗な中にじっと座りこんでいるような日々であった。大好きなピアノも3年近く触れる気にもなれなかった。それが、ある日隣の小学生の女の子が弾いているたどたどしい『エリーゼのために』がす〜っと心に沁みて、私ももう一度ピアノを弾いてみようという気持ちが起きた。そのときから少しずつ少しずつ光が戻って来たような気がする。心の底にずしりと宿ってしまった冷たく暗い塊は小さくなることも埋没してしまうこともないけれども。本当は、この塊をじっと見つめていることができなくて私は音楽に浸っているのだ。

 それから何年か経った頃、同期の太田美知子さんに定演のチケットを頂いて初めてMMCの演奏を聴いた。中島はるさんの『萬葉・愛の歌』だったと思う。「ああ、こんな大人の歌を歌うんだ」といたく感動して、私も久しぶりに歌ってみたくなった。2001年に創立50周年記念コンサートがあると聞いて、是非サントリーホールでモツレクを歌いたいと思った。そうして、私のMMC生活が始まった。MMCに入会できたのは半世紀も前に女子高楽友会にたまたま入会したという私の出来心のおかげなのだから、私はその出来心が芽生えてくれた偶然、そしてその出来心を3年間持続させてくれた高校楽友会の素敵な仲間たち(写真)の存在を、半世紀近く経った現在本当に有難いと思っている。


後列左から: 添田守、近藤譲二、後宮宣彦、藤井孝、黒谷峰雄、村田隆一
前列左から: 太田美知子、田村晴美、日比谷けい子、岡田陽子、徳茂万知子、三宅喜久恵

 前期高齢者の仲間入りも遠くない私の生活は少々気が狂いそうに忙しい。今抱えている曲は、来年の定演の曲であるMy Fair Ladyとバッハの小ミサ曲、オペラのクラスの発表会で歌う『カルメン』の中の二重唱(これはカスタネットを叩き踊りながら歌うという余計な労力を伴う)、ヴァイオリンの個人レッスンで間もなく仕上げる『2つのヴァイオリンのための協奏曲(バッハ)』第3楽章、月2回通っている弦楽アンサンブルの『弦楽のための交響曲第8番(メンデルスゾーン)』と『アヴェ・マリア(カッチーニ)』、来年友人たちとのファミリーコンサートで夫のヴァイオリンと合奏する『スプリング・ソナタ(ベートーベン)』のピアノパート、夫が友人と歌う『真珠採り(ビゼー)』の男声二重唱のピアノ伴奏。それらに加えて、高校楽友会同期の太田美知子さん、徳茂万知子さんと『コーロ・S(スーパー)・なでしこ』なるトリオを還暦の年に結成して、月1回ではあるが女声三部合唱とランチを楽しんでいる。高校時代の思い出の曲・服部公一の『朝の市場』をメインのレパートリーとするこのトリオは、女子高時代はクラスも違った3人だが楽友会で培った絆は固く、何よりも気のおけない仲間であり安らかな気持ちで集い歌えるのが本当に嬉しい。

 どう考えてもこれは正気の沙汰ではないと自分でも思う。でも、幸せなのである。思えば、これまでの人生で私はピアノでも歌でも音楽に没頭したことが無かった。好きではあったけれどもいつもだらだら何となくという具合だったから、音大生のように一途に練習に打ち込んでみたいという願望が還暦を前にして芽生えたのだ。

時間はかなりある。夫と二人だけの生活ではそれほど家事に時間をとられることはない、もともと余り時間をかけたこともないし・・・。何十年も続けてきた実務翻訳の仕事もこの不景気と、加齢による目の疲れでほぼリタイア状態である。

私はこの取組み方を勝手に音楽のトライアスロンと呼んでいるのだが、このように奏法のまった異なる3つの音楽をやるなんて馬鹿げている、結局どれも中途半端で虻蜂取らずになるのではないか、どれか1つに絞って集中した方が少しは高いレベルまで到達できるのではないかと一般的には思われるであろうし、私もそう思う。けれども現実を考えれば、音楽を愛する気持ちは人一倍強くても、悲しいことに音楽の才能にはまったく恵まれなかった。それに先の無いこの年齢、どれか一つに打ち込んだとしても到達できるレベルなどたかが知れている。

また、実際問題として、若ければ耐えられるであろうが、同じ姿勢で同じことを長時間することが不可能である。すぐくたびれてしまうのである。だから、歌の練習はのどに負担を掛け過ぎないうちに止めて、ヴァイオリンの練習に移る。身体をねじって演奏するその姿勢に疲れたら今度は真っ直ぐな姿勢に戻ってピアノに向かう。こうすれば、何時間か練習しても局部的に痛めつけるという状態は避けられる。もしピアノばかりあるいはヴァイオリンばかり弾いたとしたら、たちまち腱鞘炎にでもなってしまうだろう。だって、繰り返し同じ個所を練習するのが楽しくて仕方がないので、知らない間に頑張ってしまうのだから。

いずれもsubjectは音楽なのだから、表現的にはもちろん技術的にも共通するものはいっぱいある。まず第一は脱力。これはもちろん余分な力を抜くということだから、無駄な筋肉を使わないようにするという訓練が面白い。逆にいえば、必要な筋肉を鍛えるのが日々の練習ということだろう。次に、自分の音をよく聴くこと。これが意外とできていないということがわかった。

 というわけで、暇さえあれば、一室をつぶしてつくった防音室にこもって前述のいずれかの曲に取り組んで四苦八苦している。ヴァイオリンは58歳で初めて日フィルの奏者である先生について弓の持ち方から教わり、ようやく弦楽合奏に参加できるまでになった。その頃はまだ仕事が忙しくて時間が取れなかったので、睡眠時間を削って朝5時半から弾いていた。確かになかなか思うように行かないし、四苦八苦どころかその倍ではないかと思われるけれども、それでも楽しくて仕方がない。

このような生活が送れるのも、夫が同じような嗜好の人だという幸運と孫がいないという不運による。もし、これが俳句をひねったり写経をすることが趣味の静かな暮らしを好む夫であったらどうであろうか?近くに住んで頻繁に訪ねてくれる優しい嫁と可愛い孫たちがいたらどうであろうか?

アマチュアオケに属し、仲間との弦楽四重奏等を楽しみ、オペラの合唱団にも首を突っ込んでいる夫も常にいくつもの曲を抱えているので、マンション入居時に防音室をつくったのは成功だった。我が家には失敗した買い物が数多くあるが、防音室はマッサージチェアと並んで利用頻度が異常に高く、お値段以上の価値があったと満足している数少ないものの一つである。

 10年前の2002年に『ドイツレクイエム』を歌った時は伴奏が2台のピアノだった。この曲に魅せられた私は、ぜひオーケストラ伴奏でも歌ってみたいと思うようになったが、その夢は今年のすみだトリフォニーで叶って気持ちが充たされた。

初めて憧れの弦楽合奏に加わって弾いたドヴォルザークの『弦楽のためのセレナード』は大好きな曲だったので、気分は宙に舞うようだった。

目下の夢は、年末の第九で第2ヴァイオリンを弾くことだ。夫が第1ヴァイオリンを弾いている横浜交響楽団は年8回の定期演奏会を行い、その最後が12月に神奈川県民ホールで演奏する第九である。毎年600人余の合唱と90人余のオーケストラで、2488人収容のホールが当日券も売り切れ必至の盛況。第九が終了すると指揮者が一年間の来聴に対する謝辞を述べ、『蛍の光』を演奏して観客を送り出す、という感動的な演奏会である。58歳のとき、その第九を聴いていて第九も歌って見たいと思った次の瞬間、目がコーラスからオーケストラの方へ移り、『あ、ヴァイオリンもいいなあ』と閃いて、翌年2月から先生についた。還暦で第九のステージにと目論んでいたのだが、さすがにそれほど甘くはなかった。今や65歳の来年こそと力んでいるのであるが、もしかしたら古稀にこそという羽目になるかもしれない。『蛍の光』なら今すぐにでも弾けるんだけどなあ・・・。

 ときには自分のしていることは自己満足の極みであって世の中の迷惑にこそなれ為には一切ならないと心がチクチク痛むこともある。けれども、団塊の世代の一員としては、病院にかからず医療費節約の一助として健康でボケずにいることも社会に対する貢献ではないか、そのために好きなことに励むのだと考えると少し気が楽になる。あとは買い物でもして、内需拡大にもささやかな尽力をしようか(2012.12.28)。

バトンは萩原秀幸さん(23期にお渡ししました。よろしくお願いします(2013.1.18)。

    


編集部 萩原君は、ほぼ3年かかって原稿が届きました。やれやれ・・

おまけに彼はバトンを捨ててしまいました。萩原でお終い。(2015/10/30)