リレー随筆コーナー

「縁は異なもの」



河合 潤子(32期)



気がつけば、人生半世紀が過ぎてしまいました。これまでを振り返ると、音楽を通じて人と出会い、人を通じて様々な音楽と出会いました。そのご縁が途切れること無く年々豊かな交流を重ねていけることに感謝する日々です。

ピアノとの出会いは幼稚園になります。上北沢の松沢幼稚園という所でしたが、ある時、先生が「ピアノ弾ける人いますか?」との問いかけ。一度も触ったことの無いピアノに無性に触りたくて思わず手をあげてしまうと、では岸野さん、とまさかのご指名が…。当然弾けないので無言で座り、人差し指で、ポーンと一音鳴らしました。爆笑の中、すごすご席に戻りました。これが悔しくて小学校に上がり親に頼んでピアノと歌のお稽古を始めました。でも、もっぱら歌ばかり歌っていましたが。

小学校の高学年から親友の影響で洋楽にはまりました。中学受験もしましたが毎日親の目を盗んでラジオの洋楽にかじりつきでしたので当然お勉強もはかどらず、結果は惨敗。その後体調を崩し中学に通えず長期入院。でも変化の無い入院生活の心の寄りどころがラジオからの洋楽でした。

ジャズとの出会いは、15年ほど前に遡ります。ある塾関係のパーティーで生バンドが入った際、歌える人を募っていました。これは好きな洋楽を歌えるチャンス、と、カーペンターズの“Yesterday once more”を希望したところ、バンマスから「ジャズしかやりません」とのお答え。これは衝撃でした。え?ジャズって何?ポピュラーとどう違うの?好きな音楽をバッサリ断られたショックと同時に、未知のジャンルへの好奇心に捕らわれてしまいました。

いつの日かこのバンドの伴奏で堂々と歌えるようにジャズを知りたいと。因みに、この人生を変えるきっかけ作りのお言葉を頂いたバンマスは、塾の有名ジャズバンド、ファイブ・ブラザースを長く率いる楽友会の大先輩、寺田厚さんです。父の友人でもある寺田さんには、その後も何度かお世話になりました。ある時、ジャズ特有のリズムに悩んでいることを伝えると、ご自分のバンドの練習場に快く呼んで頂き、お稽古をさせていただきました。その時の力強いドラムのサポートと、皆さんの演奏が素晴らしく、歌い終わってもしばらく鳥肌が立つほど感動しました。でも、休憩中には、狭い階段の踊場でみんな寄ってたかってタバコをプカプカ。その姿は、不良学生達そのもの(笑)もうもうとした空気に閉口した事も良い思い出です。

慣れない音楽に悩む毎日。戦後と違いラジオでもジャズは流れないし、家には音源も情報も無く困っていました。そんな私を見て、父親が自分の幼なじみにジャズのベースをやってるのがいるから、と紹介してもらった方が、根市タカオさんでした。根市さんは塾出身、学生時代からプロ活動を始め、元大橋巨泉とサラブレッズのリーダーというベースの大御所でした。それ以来、ライブに通い始め、ボーカルの先生も紹介頂き今でもお世話になっています。

葉山に引っ越した事も、ジャズを知る上で本当に恵まれた環境となりました。湘南ビーチFMという地元の放送局は、キャスターの塾員木村太郎さんが社長。ジャズや戦後のポピュラー中心の洋楽専門放送局です。朝から晩まで、良質で私にはうれしい刺激となる音楽ばかり流してくれます。


根市さんと木村さんの初顔合わせ

先日、元勤務先の関係者の別邸で、木村太郎さんと根市タカオさんとの初顔合わせの機会に立ち会った時は、自分の点と点がつながった気がして感激しました。

また、ある時、そのFM放送から流れる今まで聴いたことの無い男性ボーカルの歌に釘付けになりました。包容力のある声質、声を自由自在に操りながら歌う歌唱法、すぐさま一耳惚れでした。そのボーカリストは“Harvey Thompson”という日本在住の米国人。それからというもの、ひたすらホームページや関連サイトを探しているうちに、非常に詳しいサイトにヒットしました。

そのサイトの主が、カッパさんと皆さんから親しまれてる大先輩の若山邦紘さんでした。これまた衝撃でした。楽友会の先輩が、Harveyの応援をなさってることを知って、居ても立ってもいられない気持ちになりました。その後、Harveyのライブ会場で初めて若山さんにお会い出来た時の嬉しさは忘れられません。若山さんには、ジャズの大先輩として今もいろいろ教わっています。


赤坂マヌエラにて、若山さんとHarveyと

下手の横好きですが、ジャズボーカリストを目指して歌い続けています。でも、これまで好きな音楽に出会い、素晴らしい方々に出会えたこと全てが、自分の糧になってると思っています。入学時、誘われるままに楽友会に入ったことも偶然では無いような気がします。

つながったご縁をこれからも大切にして歌っていきたい、そんな想いを大好きなスタンダード・ナンバー“What a difference a day made”「縁は異なもの」に託して思いつくまま記してみました。


昨年、地元紙に載りました

(2015/2/5)

バトンは31期の川野隆清さんにつながりました。(2015/3/2)

    


編集部注
私が潤子さんに原稿依頼のメールを出したのが2月3日の未明、この原稿が届いたのが2月5日晩です。かつて、こんなに素早く原稿を送ってくれた人はいません。

潤子さんとは年が2回り違いますから、楽友会では話もしたことがありません。ハービーを聴きにマヌエラに来てくれて、「私は楽友会の32期です」と自己紹介してくれました。それが初対面でした。彼女のジャズの水先案内人、われわれの高校からの先輩ベーシストの根市っちゃんは昔のカナユニではよく出会い、よく歌わされたものです。みんな繋がっているのです。

Harvey Thompsonをラジオで聴いたというのは極めて珍しいことです。ちっとも有名じゃないのですから。その上、ラジオでファンになってしまったのですから。私がハービーに初めて出会ったのは来日して次の年、2003年でした。びっくりしたとか驚いたという表現は当てはまりません。私は1時間固まっていたのです。東京には滅多に来ません。知らないから誰も呼ばないのです。呼んでも客が来ません。一度は、トランペットのMike Priceがわざわざ大阪から呼んでくれたのに客は私と家内だけのことがありました。店のオーナーは2度とブッキングしません。

数年後、ハービーは東京府中に転居しました。すぐに私の家に遊びに来ました。潤子さんが見つけたハービーのページは、これでしょう。

⇒ Harvey Thompson ”Here's To Life”

マヌエラでは私のプロデュースで、既に6回のライブをやっています。随分、みなさんがハービーを覚えてくれました。すごいバック・ミュージシャンが揃います。(2015/2/5・かっぱ)


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