その他の趣味・同好会

第14回「歩こう会」

鎌倉ウォーキング

三門 康男(15期)


2009年3月1日(日) 総勢18名でのウォーキング
参加メンバー (18名)
井尾 稔子、井上 雅雄、大石 博國、小倉あきひ、金行 陽子、川島 修、
桐山 祥子、草野真理子、工藤 勝史, 工藤 光世、 斎藤 栄造、田村 陽子、
豊岡 守紀、橋本 曜、日高 好男、平尾 慶子、平岩 政子、三門 康男

北鎌倉駅、円覚寺の前、9時30分に集合。雨が降っている。この日の天気予報だと、一日中曇りで、雨は降らないとのことであったが・・・・予想が外れている。

9時40分、円覚寺の山門前で写真を撮り、ウォーキングの開始。円覚寺は拝観せず素通り。東慶寺へ。傘を差して歩く。すぐに到着するもやはり拝観せず。小さな山門から中を覗くと、梅の花がたくさん咲いている。こじんまりしているが、風情がある。ここは駆け込み寺・・・・・・・


東慶寺

浄智寺へ向かう。東慶寺からはほんのわずかな距離。この寺の外門の額に「近在所寶」の文字が。誰かが変な読み方をしている。キンザイショジツ?いや、「寶」は「実」ではなくて「宝」、キンザイショホウだろう、この辺りに財宝が隠されているんだ、なんて言っている人が(え、私が言ったの?)。 正確には右から読んで、「宝所在近」ホウショザイキンと言う。経文にある言葉で「立派なお坊さんになるために努力をしなさい」、という意味だそうだ。禅宗の修行はどのくらい大変なのだろう、今も昔ながらの厳しい修行が続けられているのだろうか。

参道入り口に井戸がある。甘露の井。鎌倉十井の一つ。井戸の竹の覆いをあげて中を覗くと、ほわーっとほのかな湯気がたった。少しだが水が湧いている。

注: 鎌倉十井(ジュッセイ)
@棟立ノ井(むなだてのい)二階堂(覚園寺境内) A鉄ノ井(くろがねのい)雪ノ下(鎌倉街道と横大路の交差点の南側) B銚子ノ井(ちょうしのい)大町(長勝寺付近) C泉ノ井(いづみのい)扇ガ谷(浄光明寺山門) D扇ノ井(おうぎのい)扇ガ谷(岩舟地蔵堂付近) E底脱ノ井(そこぬけのい) 扇ガ谷(海蔵寺山門) F六角ノ井(ろっかくのい)材木座(和賀江島付近) G 星ノ井(ほしのい)坂ノ下(虚空蔵堂前) H瓶ノ井(つるべのい・かめのい)山ノ内(明月院境内) I甘露ノ井(かんろのい) 山ノ内(浄智寺境内)

横須賀線の線路を渡り、長寿寺の角を右に曲がり、亀ヶ谷の切り通しへの道に入る。長寿寺はあまり知られていない寺だけど、外から見る庭園は一見の価値がある。


長寿寺

亀ヶ谷の切り通しはここを通りぬけ、源氏山を越えて、銭洗い弁天、長谷観音方面へ抜けていく近道。急な勾配は亀も上れなかったとか。坂を下り、横須賀線の線路の手前に、岩船地蔵がある。

注:「切通し」とは、山・丘などを切り開いて通した道のこと。 三方を山に囲まれた軍事都市鎌倉にとっては、その防御の要塞がこの切通しであった。 鎌倉からの出入りにはこの切通しを通る必要があった。亀ケ谷坂、化粧坂、巨福呂坂、大仏坂、極楽寺坂、朝比奈、名越の切通しは鎌倉の切通しのなかで最も重要なものであり、後に「七切通し」、「七口」と呼ばれた。

岩船地蔵から私達は海蔵寺に向かう。10時40分、ここはいつ来ても心が安らぐところ。鎌倉十井、底脱ノ井(そこけのい)がある。


海蔵寺

11時00分、壽福寺着。前回の山の手ウォークに続けての参加である草野真理子さんはここで今日のウォーキングを終える。このあたりから雨が上がり始める。横須賀線を渡り、左手に旧川喜多邸(工事中みたい)を見ながら、進むと、小町通りに出る。確かこの辺りにも、鎌倉十井があったな ・・ 鉄ノ井(くろがねのい)。通りはさすがに人が多い。大石さん(この日のガイド役―鎌倉市手広に在住)、さすがにこの辺りをよくご存じ。小道をスイスイと通り抜け、私達を目的地に向けて案内して下さる。段葛を横断し、小道に入り、旧大仏次郎邸を通り抜けて東勝寺に向かう。雨は完全にやんだ。

滑川の東勝寺橋を渡り、鎌倉幕府終焉の地、東勝寺跡、腹切りやぐらに到着。11時20分。ここは新田義貞に追われた14代北条高時が自害したといわれるところ。

私達は今来た道を戻り、滑川の少し上流にある「紅葉山やぐら」に向かう。ここはかつての執権北条氏邸があったところ。小町通りや、八幡宮の喧噪とはうって変わった静謐の地だ。ここから先ほど渡った東勝寺橋が見える。虹のような弧を描く東勝寺橋の姿は、滑川の最も美しい景観を見せてくれるところの一つだろう

注:やぐらとは
鎌倉地方にしか見られない特殊な埋葬方式。墓地を作る平地が少なかった鎌倉では、まわりを取り巻く山の山腹に穴を掘り、その中に墓をつくった。

私達は寶戒寺の門前を通り、金沢街道を「岐れ道」まで行き、その先を右に折れる。大御堂橋を渡ると、そこは田楽辻子(でんがくずし)の道。釈迦堂切り通しに向かう。お昼に近いのに寒い。気温は7〜8度ぐらいではないか。空はちょっと明るくなってきたようだが、まだまだどんよりとしている。けっこう過酷な「行脚」を私達はしているのかもしれない。しかし、みんな元気だ。おしゃべりをしながら歩く、歩く、歩く。


釈迦堂切り通し

さほどの時間もかからず、到着。12時00分。この切り通しは先ほど注で書いた「七切り通し」の中には入っていない。鎌倉の外の地域とを結ぶ切り通しではないからである。

凝灰岩を削ってつくられたこの切り通しは鎌倉の歴史そのものを感じさせる。

来た道を戻り、再び田楽辻子の道。報国寺はすぐ近く。ここは竹の寺で有名だが、大石さんのお話では「苔」もとても美しいとのこと。ちょっと休憩し、旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)へ。お昼頃に合流予定の田村陽子さんから電話が入る。12時30分、我々が華頂宮邸に到着してほどなく、田村さんはすーと入ってきて私達と合流。

ここで、昼食をとる。

13時00分、午後のウォーキングを開始。10分ほどで浄妙寺に。ここは鎌倉五山第五位の寺。明るく開放的な寺院で他の五山とはいささか趣を異にする。

私達はここから瑞泉寺への最短コースを歩く。メンバーの疲れた様子はまだ見えない。鎌倉をよく歩く人でもこのコースを辿る人はまれであろう。こんなところにも住宅地があるのかと思われるところ、急坂を登っていく。登りきったところから、普通に歩いていたら見逃すような、おやっと思われる山道に入る。今までのアスファルト道路とはちがう土の道、足が滑る。誰も足を取られないように・・・と祈る。


瑞泉寺へ向かう 山道

この急な山道を降りきったところが瑞泉寺の境内。私達はここで今日初めての寺院拝観。田村陽子(鎌倉市山崎に在住)さんは 鎌倉市民。鎌倉市役所お墨付きのお札(ふだ)(?)を提示してフリーパス。

境内はまだ梅が咲いている。


瑞泉寺

大宅壮一評論碑がある。「男の顔は履歴書である 大宅壮一」と。己をかえりみて、心が痛むなーって思っていたら、 工藤(勝史)さんが私に向かって、「男の顔は履歴書だってよ」だって。ところで、なんでこんなところにこんな碑があるの?

寺の最も奥まった所に夢窓国師作といわれる庭園がある。40年前、私が学生のころ、まだこの庭園は復元されていなかった。私は裏山から降りて来て今ある庭園のあたりを通って、瑞泉寺に入った記憶がある。あのころは彼女とよく鎌倉を歩き回った。(個人的なことです・・・ ね)

瑞泉寺の山門を出て、私達はいよいよ今日のウォーキングの最終地(建長寺、八幡宮)に向かうべく、足を運ぶ。少し足が重そうかなと思われるメンバーも見うけられるが、みんな頑張っている。永福寺(ようふくじ)、大塔宮(鎌倉宮)を通り、日本の三大天神に数えられる荏柄天神社へ。14時30分。筆の供養塔「絵筆塚」があり、多くの漫画家による河童の絵が刻まれている。


筆の供養塔「絵筆塚」

私達のウォーキングは出来るだけ人通りの少ない道を歩くことを旨とする。源頼朝の墓への道も観光ルートとは違う裏道を歩く。裏道を歩く時にその土地の雰囲気がしみじみと伝わってくることがある。 ほんの短い距離だけれど、ここの道もその一つだろう。

鎌倉五山のうち、円覚寺、浄智寺、壽福寺、浄妙寺の四つの寺はすでに訪ねた。残るは建長寺。これから辿る道も観光ルートにはない道。西御門(にしみかど)、横浜国立大付属小学校・中学校のグランド脇を通り、北の方角に向かって歩く。里見ク(惇)がかつて住んでいた住居を通り過ぎ、しばらく歩いて、二つに分かれた道を左に入る。坂が急だ。ものすごい急坂だ。それでも道の両側には民家が建っている。一歩あるくたびに反対側、南の方を振り向くと風景が変わる。 これぞ胸突き八丁。みんな頑張っている。もう少し、もう少し。南の方角、先の方に海が見え始める。きつい、きつい。あと少し。みんな頑張っている。あと少し・・・
  
やっと着いた最高地点、ここは建長寺の裏山だ。いわゆる鎌倉の代表的なハイキングコースとなっている半増坊のコースとは違うところ。
 

境内に入るところで橋本さんが、「この花、何ていうのかなー?」

私、「よし、椿さんに聞いてみよう」すぐ携帯で写真を撮り、彼女に送信。(今回、椿さんは参加予定だったのだけれど、花粉症がひどいということで、参加を取りやめていた)
 


建長寺境内に入りそこからの山道は下りに。そこは深山幽谷の地(ちょっとオーバーかな)。まさに建長寺の裏手一番奥まったところ。しばらく歩くと回春院の建物が見える。小川が流れている。三椏(みつまた)の花が咲いている。また雨がぽつりぽつり。


回春院の三椏

さすが、建長寺は鎌倉五山第一位、境内が広い。しばらく歩いて、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な建物が立ち並ぶところへ。私達は天井に千手観音坐像を見守る白い龍が描かれている法堂へ入り、しばし、その迫力にみとれる。ここから、メンバーはいくつかのグループに分かれる(何故そんなことをしたか? 興味のある方は、この日の参加メンバーに聞いてみて下さい)。そこから、方丈の裏の名園(夢想国師作の庭園)を訪れたメンバーもいたようだが、多くはほどなく、拝観の出入り口を通って、建長寺の外に出た。16時00分。

椿さんから、先ほどの紫色の花は「ツルニチニチ草」です、とメールが届く。

巨福呂坂洞門(巨福呂坂切り通しは現在通行ができない。その代りの現在の通り道)を歩いて、鶴岡八幡宮へ。山あり谷ありの道を歩いた影響でしょうか、さすがにメンバーの足取りは重い感じ。 八幡宮は先ほどの「紅葉山やぐら」あたりとは違い、観光の人々も多く、にぎやかだ。石段の上、本宮のところで、小休憩。階段を下り、段葛を二の鳥居まで歩き、この日のウォーキングを終了。金行さんは打ち上げに寄らず、帰路の道へ。残り16名は小町通りにある居酒屋「小町通り」に入った。

三門 康男 記(09/03/22)