その他の趣味・同好会
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思い出のニュー・ヨーク
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今回はニュー・ヨークのウィンドウ・ディスプレーを中心に店舗装飾などいくつかの画像をご覧頂きます。店舗の住所を付記しておきます。最近は銀座や御堂筋でもビル全体をブランドのテーマで覆い尽くすこともよく見かけますが、NYでは比較的築年数がたった古いビルのイメージを活かしながらブランドを訴求する飾り付けが多いように思われます。 ◆ 世界でもダイヤモンドのショップとしてはトップクラスの ハリー・ウインストンから始めましょう。 Harry Winston,718 5th Avenue
◆ 続いては 赤がブランドイメージをつくっているカルティエです。 Cartier, 653 Fifth Avenue ◆ MIKIMOTO と PIAGET と BULGARIが入っているクラウン・ビルです。
◆ 次は Versace、647 Fifth Avenueです。
本題から少しはなれますがジャンニ・ヴェルサーチェ氏がフロリダに所有していた別邸の写真です。彼は1997年この別荘の玄関前で亡くなっています。撮影は2006年時点でのホテル運用されていた時期のものです。(貴重映像) The Villa Casa Casuarina
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◆ 次は、米国人が憧れと尊敬をいだく職種、ヒーローである消防士のグッズを販売しているショップです。9.11では多くの消防士が犠牲になりましたが、市民の消防士への尊敬の念は日本では想像できないほど高いものがあります。 FDNY New
York City Fire Department
◆ 続いては紳士用品のショップ、紳士靴として知れる アレン・エドモンズ です。 Allen Edmonds, 24 East 44th Street
◆ 続いてはトランプ・タワーに入居するグッチと隣のビルのアルマーニです。 5th Avenue トランプビルに入居するグッチと横のビルのARMANI GUCCI、
725 Fifth Avenue (Trump Tower 1F)
◆ トランプ・タワーの正面入口(撮影は2012年12月) エントランス周りがGUCCIが借りている部分。 2020年7月にはトランプ・タワーの目の前の歩道に“BLACK LIVES MATTER”の文字が黄色のペイントで描かれるなど、ビル前は非常に警備が厳しくなっているそうで、コロナの影響もありビル内テナントの集客力が落ちているとのことですが、GUCCIはこの場所を継続して使用しています。
次は百貨店のディスプレーです。 Saks Fifth Avenue, 611 5th Avenue ◆ 次は高級百貨店バーグドルフ・グッドマンです。 写真は、“THE BG FOLLIES OF 2012” HOLIDAY WINDOW DISPLAYと題したものを偶然に撮影することが出来ました。 BG FOLLIES とは Bergdorf Goodman 版の FOLLIES、FOLLIES とは1930年代のヴァオードヴィル・レヴュー Ziegfeld Follies, コレオグラファー(振付師)、監督のBusby Berkeleyによるハリウッドのミュージカルで知られ、また1971年初演のミュージカルのタイトルともなっています。 音も映像もあまり良くないのですがyoutubeで当時の上演の一部が編集されている映像が見つかりましたのでリンクを紹介しておきます(英語です)。 https://www.youtube.com/watch?v=wUFSmj16h_w Judy Garland、Barbra Streisand、Liza May Minnelli など、歌も踊りも舞台もこなせる女性スターが生まれてくるアメリカの大衆芸能のすごさがこのFOLLIESでもわかります。
この窓装飾について触れておきます。 Bergdorf Goodman社のシニア・ディレクターの職にあるヴィジュアル・ディレクターで窓装飾デザイナーのDavid Hoey氏が企画したものです。窓装飾の芸術家のことを英語では” Window dresser”と呼びます。衣料や装飾品小物やマネキンを使用して流行を演出する仕事としてジャンルが確立されていますが、ジョルジオ・アルマーニやサルバドール・ダリなど他の分野で有名となった作家などが職業として経験しており、多面的な才能を必要とする仕事です。写真のDavid Hoey氏のこの “THE BG FOLLIES OF 2012” HOLIDAY WINDOW DISPLAYは別途、写真集として出版されています。 ウィンドウ・ディスプレーとマネキンと科学 杉田玄白による「解体新書」のことは歴史で学ばれているでしょうが、アパレル業界などで使われているマネキン(仏: mannequin)の日本での歴史を少し紹介させていただきます。日本のマネキン製造の拠点は京都市でした。ノーベル賞従業員を生んだ京都の島津製作所が近代・現代の日本のマネキン製造の源流となっています。創業家の人が、医学・科学教育の教材として人体模型を製造したのがもととなっているのです。この会社の子会社がディスプレー用にマネキン製造を手掛けたのです。東京美術学校を卒業され武蔵野美術大学の教授もつとめた向井良吉という彫刻家(兄は住居が世田谷美術館分館として保存されている洋画家の向井潤吉)が事業に参画し、七彩(ななさい)工芸<現、七彩>という会社がつくられ、この会社で技能を身につけた社員が後に日本にマネキンを広げていったわけで、その人達の中には美術大学で学んだ人も多くいたとのことです。私事で恐縮ですが、私が勤務したことのある会社が今から48年ほど前に、この七彩工芸と合弁で小さな会社を設立したことがありました。中央官庁から天下ってきた人の役員職位のために作った会社だったのですが、ご当人は事業センスを持ち合わせておらず事業は全く進展せず、すぐに休眠会社となり、肝心の元役人はいつの間にやら退社して、会社は解散となったことがあります。本来の設立目的のための活動は、新規にファッション全体に進出しだした別の会社がフォローをして、現在に至っているようです。 また島津製作所のマネキン事業から発展した分野の一つには医学教育、医療施設での標本作成があり、島津を基とする標本制作会社は世界でも有数の会社となっています。 マネキンの製造や、店舗への納入と設置は、設置場所が百貨店などの建築物、飾るものはファッショ衣料などですから、ファッション・デザイナー、先行試作するアパレルの社員、店舗の企画運営者など折衝する関係先が多岐にわたり、入念な準備と高度な技量が要求される商業美術、工作技術でもあるわけです。現代日本が得意とする自動車産業における、運転者・同乗者スペース、車内空間と空間を作る材質をどのようにして造っていくかと似通った仕事でもあります。どちらかというと”柔らかく、軟弱”と思われがちなファッションの脇役のマネキンですが、マネキンがあって初めて商品が生きてきて消費者の歓心を買い、商品が消費者に渡って商品に価値が生まれるということはとても興味深いことです。 次回は、NYのネコや橋を紹介させて頂く予定です。 2021年12月1日 ◆ |
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