その他の趣味・同好会

「昭和の日」に思うこと


飯田武昭(6期)


「昭和の日(4月29日)」というのが元々の「昭和天皇誕生日(祝)」だったと、毎年のように思い出すのは、殆どの我々の世代人の感傷的な感覚かも知れない。

思い出す「昭和の情景」は人それぞれ、又、その時々によって違って当たり前だが、今年の「昭和の日」に偶々思い出したのは新規開店したスーパーの商品棚に並ぶ各種の「飲料水」と「缶ビール」のことだ。  


(新規開店のスーパー)

私が、初めて飛行機で外国へ行ったのは昭和38年(1963年)からの1年間に西ドイツへ滞在した時だった。日本では空気と水とはタダ(無料)で、どこででも飲める物であって、水に金を払って生活するなんて、何たることだと思っている人がほとんどだった。当時、ヨーロッパへ出張に来る日本人とレストランに食事に行くと、注文しないと何も出てこないのを訝って、殆どの人は先ず私に向かって発する言葉は「何故、先ずテーブルに水を持ってきて注文を取らないのか?」という習慣の違いからくる質問だった。理由が理解できた日本人は漸く、飲み物の注文に入ろうとするが、“昼間だから水にしておこうか”となったとする。注文取りに来たフロイライン(Fraulein)又はヘア・オーバー(Herr, Ober)、つまりウエイター又はウエイトレスから、“mit Gas oder ohne Gas” と必ず質問が来る。つまり、水(Wasser)は分かったが、「ガス入りかガス無しか」という2者選択をしないとWasser(水)の注文が決まらないのである。日本ではガス入りの水などは当時は殆ど飲まれていないので説明すると理解した人は、「それでは、ガス無し」とやっと注文が終わる。私に限らず、少々、ドイツ慣れした輩は“Mit Gas”と何となく注文するようになっていた。これらの日本からの来客との会話の中で、必ずと言ってよいほど出てくるのは、「ドイツでは水より、ビールの方が安い」という話題だった。一般には当時でも航空機内で出されるミネラル・ウオーターはフランス産のEvianが高級でVittel etc.はやや落ちるイメージを持ったものだ。

その後、60数年経った今日の日本のスーパーマーケットの飲料棚には、所狭しと各種ビールとミネラル・ウオーターが目白押しで、先日、買って初めて飲んでみた≪新!All FREE(ノンアルコール≫(サントリー)まで入れると、最早、日本でも安いのはビールかミネラル・ウオーターか分らない状態になっている。

つまらないことを思い出した「昭和の日」だった。

  

  

飯田さん
小生、ドイツのことは全く知りません。しかし、4月29日が昭和天皇の誕生日であることは、昭和生まれの小生としては、死ぬまで忘れないでしょう。では、また。 菅原

飯田さん
まぁ欧州では水よりのワインの方が安い、ご婦人でもランチ時に一本取って呑んでいますね。しかし、最近ガス入りの水が健康によいとかではやりだしたとか。小生も買って飲んでいます。

菅原さん 
その昔は、紅白饅頭を学校でくれましたよね。そうか、天皇誕生日を遺すために「昭和の日」にしたのかGWの為に遺したのか。まぁ、昭和100年の内殆ど過ごした我々は「アッソー」の天皇ですかね。

奉安殿で白手袋の校長先生がうやうやしく巻紙の「教育勅語」を読みましたね。そしてアメリカの政策でPTAも今や解散。昭和は遠くなりにけり。
なーにも知らんボンクラより ではマタマタ。 船津於菟彦

ガス入りの水(炭酸水の事だが、何故かドイツでは炭酸水とは言わなかった)は、当時から健康に良いとのご託宣でドイツ人は好んで飲んでいました。今は日本人も水分は健康上で必要だから適当に摂取する習慣ができていますが、当時は「喉が渇くから水を飲むのに、ガス入り(炭酸水)では飲んだ気にならない」と、大方の人が言っていて、私に文句を言われているような気分でした。実際にドイツの水道水は強度な硬質で、やかん(当時は湯沸かしポットなる便利な物は無かった)でお湯を沸かすと1〜2か月で、水道水に含まれているカルシューム分などが固まって大きな石灰石となり、カランカランと大きな音がするほどでした。

関連して思い出すのは昭和38年(1963年)当時、ハンブルグへ行くには伊丹空港(現在の大阪空港)から、LUFT HANZAと日本航空が毎週各2往復ずつ、アンカレッジ(給油)経由で直行便がありました。その後、確か1990年代にハブ空港という考え方が航空業界に取り入れられて、ドイツならフランクフルト、オランダのアムステルダム、パリ、ヘルシンキ等へ先ず行き、そこから乗り換えて目的地に飛ぶことになって、どちらが便利な時代か分からなくなってしまいました(思い出しましたがハブ空港のハブは自転車の車輪のハブ・アンド・スポークが語源でした)。

ついでに思い出した、その昔流行った「ハブの港」という歌、歌謡曲と思ったら野口雨情作詞、中山晋平作曲、藤原義江歌の歌謡曲とは違うジャンルの純粋の日本の歌でした。こちらのハブは「波浮の港」と書きます。  飯田武昭

ところ変わって時代変わって、私は今、炭酸水しか飲めません。因みに、私が移住した2007年頃はアメリカであまりアイスコーヒーが認知されていなかったという衝撃も思い出しました!それこそ、どうでもよい話ですが  アメリカ在住の某氏

そうだ。当時はアンカレージ経由で、行きに帰るときのお土産のウィスキーを依頼しておき、何て言う事遣りましたね。其の後モスクワで給油何て言う事もあり、一回は給油しないと飛べない。今どうなったか知りませんがソ連とか北朝鮮の上を真っ直ぐ飛んだこともありますね。

帰りは偏西風に乗ると一時間以上予定より早く着いたり色々でしたが、今は北極圏周りですかね。また、機内での販売が愉しみですが今は無いですね。KLMでミノックス3 5のカメラ買いました。楽しみが減りましたね。  船津於菟彦

  


編集部 6期の飯田さんが「キネマの会」のお仲間との「書きみごっこ」を送ってきました。

かっぱは「4月29日(祝)」を「昭和の日」なんて言ったことがありません。今日もカミさんとの話の中で「天皇誕生日」と言っていました。古いのでしょうか・・・?

平成時代の天皇誕生日は12月23日でしたが、退位して祭日はなくなり平日になりました。

(2025/5/6・かっぱ)