演奏会場を後にして、ホテルにチェック・イン、しばし休息の後、夕食は地元の客演の皆さん達も含め、ホテルの宴会場で打上げ会。橋本会長の開会の辞では、皆さまに今年も再会できて、「喜色満面」の4文字が我々を若返らせてくれる、長く続く交流こそが地元を元気付けてくれると感謝の言葉を頂きました。
また、池田さんの所属するカトリック鷺沼教会の松尾神父様(お茶っこ当番サポーターとして参加)からも、「若い方々に東北の被災地に一泊でも良いからともかくも現地に行って、出会いの経験をして、復興支援のお手伝いをしていらっしゃいと励まして支援をしている。コーロの復興支援の活動についても、池田さん始めコーロの皆さんが、長く継続して行かれる様、期待している」とのお話がありました。
更に、「コーロと、この福島県の諸団体を結び付けて下さっている、二本松市在住の柳沼千賀子さん(福島やさい畑活動の代表者:風評被害に悩む福島県の農作物を首都圏などに持参して出向いて販売する支援)に深く感謝します」とのご紹介をされました。柳沼さんはこの二日間にわたり自家用車でコーロに随行して受付などの支援もして下さいました。
各グループの自己紹介やアドリブの演奏が続き、果ては相馬野馬追の盆踊りを全員で踊り始めるハプニングもあり、打上げ会は最高潮に達し、最後は、コーロの「Everytime
We say goodbye」、そして全員で「今日の日はさようなら、また会う日まで」の大合唱で、再会を期して、お開きとなりました。
コンサート 終わりて夜は 親睦会 相馬盆唄 輪になり踊る
池田さんが抱えている袋は、橋本会長から贈られた、鳴いている鈴虫
・第2日(9月23日)
朝8時前にホテルを出発、渋佐海岸方面の上渋佐地区の慰霊碑に向かう。佐藤行政区長(住民はゼロの行政上の区長さん)がバス車中で説明をして下さった。コーロは昨年は、上渋佐よりもっと海に近い下渋佐地区の慰霊碑にお参りをしたが、上渋佐地区はそこより内陸部に入った地区ではあるが、十数メートルの高さの津波は内陸3Kmまで押し寄せて来たので、上渋佐地区の38戸も津波で消滅、15名の高齢者の方々が犠牲となられた。
はじめに、渋佐海岸の防潮堤まで行って防潮堤の修復工事状況を見た。堤はまだまだ未完成で、その向こうに嘘のように穏やかな太平洋が見える。この静かな海を千年に一度と言われる大津波が襲ったのだ。そして海岸からUターンして、昨年度お参りをした下渋佐地区の慰霊碑と八坂神社を車窓から遠望し、黙祷で遥拝した。橋本さんはこの地区にご自宅があったが、跡形も無い。その後、内陸部に少しだけ戻って、上渋佐地区跡に今年建立された慰霊碑に到着。8名の方が黒い紋付袴の正装で、法螺貝による歓迎の礼奏で出迎えて下さった。法螺貝では7音階の音が吹けるので、色々な儀式用の曲がある、とも伺った。
献花、慰霊碑文の朗読、法螺貝の鎮魂の奏と、全員合唱による聖歌等で慰霊の献奏を行い、松尾神父様と一緒に、「東日本大震災被災者のための祈りU」を全員で唱えて犠牲者のご冥福を祈りました。法螺貝の送奏の曲が響く中、慰霊碑を後にして郡山市にと向かった。
朝まだき 紋付き袴の 奏者らの 慰霊の法螺貝 天に響けり
上渋佐 震災慰霊碑に 額づけば 村消えし地に 秋風渡る
一般道で浪江町を通過。ここは帰還困難地区のため、無人の立派な街並みが続く。何ともやるせない光景である。町を過ぎて暫く進むとバリケードがあり、「ここより先進入禁止の」の検問所があった。
仕方無いので一般道で二本松市経由で郡山市に行くのは断念し、高速道路でいわきJCTまで一気に南下、磐越自動車道で郡山市を目指した。まだまだ除染作業は進んでいないのだ。地図で見ると、福島原発から浪江町までは北北西に帰還困難地域が20Km以上も細長く続いている。風の通り道であることと、集落が盆地になっており、汚染した放射能が滞留しやすい地形であるかららしい。帰還困難地域、居住制限区域、避難指示解除準備区域、そして避難解除区域と分類されているが、隣接している町村でも分類が変わってしまう。これによって慰謝料の支払い等にも、格差を生じるケースが出てきて、被災者の皆さんの間にも、複雑な感情的葛藤があるようだ。
秋風の 野山に積まれし 放射性物質の山 シート被りて
迂回後、高速道路を利用したので、11時には予定通り本日の演奏会場である郡山市音楽・文化交流館「ミューカルがくと館」に到着出来た。Music
& Culture 楽都館の愛称である。郡山は戦後昭和27年には交響楽団が結成された音楽の都であり、日本のWienであるという市民の誇りが込められたネーミングとの事。
午後1時開演。約180名もの大聴衆で客席がほぼ満席、郡山は初めての演奏会にも拘わらず、予想外のお客様のご来場に、演奏側も力が入る。
この演奏会は客演が2団体、カトリック郡山教会聖歌隊と、ハーモニカのアンサンブル・エコーズである。郡山市での演奏会は、「コーロ
うたごえ チャリティ・コンサート」と銘して、「音楽都市こおりやま市民音楽祭」参加行事として登録、チャリティー・コンサートは、郡山教会の復興支援活動を献金先とした。
お客様は仮設住宅の方をバスで送迎することはしなかったので、ご高齢者は少なかった。いつものオープニング後、日本抒情歌曲に入る。一曲毎への拍手のタイミングや長さも整然とした感じで、なるほど、ここは楽都だと感じる。
客演のカトリック郡山教会聖歌隊が「マリアへの祈り」「来なさい 重荷を負うもの」の聖歌と「水のこころ」を、隊長鈴木さんを始め15名の女声コーラスで清楚に歌われた。
コーロのドレミの歌には最後の方で、ウィーンフィルのラデツキー行進曲のように、聴衆から自然に手拍子入り、「楽しい歌ね」の感想が聞こえて来た。
また、客演のハーモニカのアンサンブル エコーズは男性6名、女性2名の総勢8名のこじんまりとしたグループであるが、バスやコードの特別なハーモニカを含んでおり、しかも第1パートでは音域の異なる3種類ものハーモニカを持ち替えつつの高度な演奏で、「高原列車は行く」など懐かしいメロディーを、楽しく奥行きを持って聴かせてくれた。
コーロの「MI-YO-TA」「大地讃頌」の追悼と希望の歌2曲の後、合同演奏に入った。
モーツアルトの晩祷から、Laudate
Dominum(主をほめ讃えよ:詩編117)と、フォーレの鎮魂曲から、In Paradisum(天の国へ)の2曲が、郡山教会聖歌隊の鈴木隊長のソプラノ・ソロを入れて、美しくも荘厳に歌われた。最後に、古木シスター作の「いのち」を合同合唱。演奏会プログラムの表紙に副題に書かれている「福島の復興と平和を祈って」に相応しい歌の連続、最後に、みんなで歌おうの曲目を会場と一体となって歌った。
聖歌隊と 合同演奏「いのち」の曲 「生きて、生きて」と 切々
歌う
これで終わりと思われそうになった時、指揮の池田さんが「アンコール曲を忘れていました」とJokeのように切り出し、チャプリンのSmileをサービスして、盛大な拍手のうちに、郡山市での演奏会も無事に終了した。
「楽しかった!」と 笑顔で帰る お客様 見送る我らも 心満ちたり
演奏会後、茶話会。そして会場の前庭で、池田さんから郡山教会の信徒代表の平さんに、当日の献金として集まった51,000円余りを、今後の郡山教会の復興支援活動にお役立てくださいとご挨拶してお手渡し、無事、チャリティー・コンサート終了。
連休最終日で交通の渋滞が心配されだが、既に帰省からのリターンはもう前日で終わっており、順調に帰京できた。今回も心に残る素晴らしい二日間の演奏旅行でした。
コーロの皆さま、サポーターの皆さま、これからも東北被災地区の方々が、心まで救われる日まで、共に支援していきましょう!
震災で 家族とふるさと 失ひし 福島の人に 寄り添ひゆかむ
完
2015年 コーロ・エスプレッシーヴォ
福島演奏旅行参加者
団員参加者: