楽 友 画 廊


 15年目の絵 


田中 久夫(8期


60才で絵を描き始めて今年で15年になります。15年目の絵から順に昔の方に向かって計8枚の絵を紹介させていただきます。

@ からEはすべて上野のアートスクールで描いたもの、FGは、武蔵野美術大学の通信教育課程の卒業制作です。


@  人物 F30 (91*71cm) 油彩・筆 2016年

モデルさんは黒い長袖の服を着ていた。その服が気に入らなかったので、絵の上では少し脱いでもらった。人物画はバックをどう作るかが考えどころ。モデルさんは、広い部屋の真ん中でポツンと椅子に坐っているだけ。

A 人物 F30 油彩・筆 2016年

スクールは週一回で、人物は4週間で完成させる。終わった時、先生の講評がある。

講評は「顔がヨワイ」だった。ヨワイとはどういうことですかと聞くと、存在感がヨワイということ。スクール全体の展示会が年一回あり、それに出そうとして家で修正しようとしたが、モデルさんがいなくて想像でするのはむずかしい。過去のデッサン帳を見ていたら、わりに目鼻立ちのはっきりした鉛筆スケッチが出てきたので、それに首から上をすげかえた。裸婦の場合、バックを野外にするとやはり違和感あり、色の面を組み合わせてバックとした。


B 静物 F30 アクリル絵の具・ナイフ、一部筆 2015年

ナイフとは、刃の長さ8cm位のペインティングナイフ。置かれた物の前後の位置関係をはっきり出すことに努めた。


C 静物 F30 アクリル絵の具・ナイフ 2014年

塗り絵のようにならないようにするため、モノの片側をわざとくずしている。


D 静物 F30 アクリル絵の具・ナイフ 2013年

アクリル絵の具はすぐ乾くので、塗った後すぐ、絵の具を塗り重ねることができる。

ナイフだとうまく形が作れないが、そこがかえって面白い。彫刻か、木版画を作っているような自由な感覚がいい。


E 人物 F30 油彩・筆 2013年

上野のアートスクールに通い始めたのは、絵を始めて2年半後、2003年から。

楽友会・一期の橋本曜さんから紹介されたのがきっかけ。橋本さんもこのスクールに以前、通っていたそうだ。

曜日によって先生がかわり、ぼくは一人の先生に13年間教えていただいている。
その先生は生徒をほめない、いや、酷評するというのが評判で、やめていく人も多い。
上野で習って9年目で初めてほめられたのがこの絵である。


F 「ジャズダンス」 M100 (97*162cm) 油彩・筆 2008年

G 「ヒップホップダンス」 同上

FGは、武蔵野美術大学造形学部油絵学科(通信教育課程)の卒業制作。

いまだからはずかしさを抑えて白状すると、2003年から一年半、ジャズダンスを習った。がんが見つかってやめたのが惜しい。若い仲間がステージで演ずるジャズダンスをかぶりつきで鉛筆書きした。そのステージの続きで別のグループがヒップホップダンスするのも書いた。

激しく動くのを2〜3秒で1枚書き、ページをめくってまた1枚、これを続けて80枚くらいクロッキー帳(絵の雑記帳)に書いた。

この中から何枚か選んで組み合わせ配置し、絵にしたものがFGである。

原画は一筆書きのような鉛筆の線である。これをどのように面に置き換えてその面に色をつけて全体を絵にしていくか、ということに苦労した。

(2016/4/25)


編集部 いつのことだったか忘れたが、OSFの何かの集まりの時にキャンバスらしきもの風呂敷だったかに包んで抱えている姿を見た。彼とは普通部の同期だったが、油絵を描くという趣味があったのかとびっくりした。

それを思い出して「楽友」のギャラリーに田中画伯の絵を掲載しようと言っていたのがやっと実現した。暫く前に自分で撮った写真をjpgファイルにして2枚添付してきた。デジカメの写真というのはなかなか本物の色が出にくく、美術写真を撮るのは何十万円の高級カメラでないと無理なところがある。それもストロボは色が飛ぶので無用である。

そんな注文を付けて撮った写真をプリントしたものを送ってと注文した。その写真を見ながら一枚ずつ出来るだけ近い質感を出すように、画像処理のプログラムを使いながらカラーバランスを調整してアップしたものです。中々満足いくところまで出来ていません。そのつもりでもっと素晴らしい本物を想像しながら眺めてください。(2016/4/25・かっぱ)