● 先ずは「囲碁グループ」、名づけて「楽友囲碁サロン」
名付け親は内藤(11期)。橋本(1期)は日本棋院四段の免状を持っている。力碁。最近私の負けた2局は共に石を取られた。彼は楽友三田会の「歩こう会」にも入っており、例会では毎回20キロ以上歩くそうだ。とにかく元気!
中浜(5期)。岡田先生のご指示で、先生宅で指揮法を勉強した本格派。碁も本格的で慎重派。でも碁の場合、慎重は消極性につながる。直観に従って伸びのび打った方が良い結果が出る。当人にそう言ったら「最近それは感じている」とか。四段近しだね。
長谷(7期)はグループの名幹事。もしこの男がいなかったら、このグループは無かった。昨年、初段の免状をもらった。努力家で、地元の囲碁グループに所属する傍ら、ご当地の男声合唱団「ひびき」で歌ってもいる。
峰岸アッチャン(8期)、全くの初心者。家に碁盤2面あるのが碁を始めた動機。メンバーの指導宜しきを得て順調に伸びている。彼女については声楽の才能を紹介しておきたい。彼女が高1の時の合宿で、私は発声練習を指導した。驚いたことに、伸び伸びとした高音がどこまでも出る。ハイEになった時、それ以上必要ないし、怖くなったので止めた。後で聞いた話だが、東敦子さんをイタリーに送り出した音楽家の神父さんに、彼女もイタリーに勉強に行くことを勧められ、親に話すよう言われたそうだが、言わなかったらしいね。
9期の三沢と渡辺。共に東大を二浪して塾に入ってきた。先ず三沢。街道歩きに熱心だ。既に「大山街道」「東海道」「甲州街道」を踏破。今年は「日光街道」に取り組んでいるとか。碁は反発型、素直の正反対。と言っても下手じゃない、ウッカリすると負かされる。ある時私は言いました。「君はもっと素直な性格にしないと上達しない」と。その時の彼の答えがふるっている。「素直な性格に改めます」だと!余裕があるね。ケイオーボーイの典型。東大に行かなくて良かった!
片や渡辺。囲碁5段の免状を持っている。性格は負けず嫌い。少々形勢が悪くても頑張るし、もっと悪くなっても投了しない。私は彼の趣味を聞いて納得した。登山と山スキーだって!私にとっての合唱と同じで、趣味の領域を超えた感じ。山スキーというからには、登山も冬山でしょ。冬山で諦めたら待っているのは死だよ!頑張り通す以外ない。「頑張り通す」、碁もそれ、立派だね。
富樫(10期)はネギの旦那、高校時代はサッカー部の俊足ウィング。当時得点を競い合った逆サイドのウィングは今の碁仇きだって。親友だね。碁は力碁、後半に強い。幹事の長谷がライバルで、良い勝負をしている。
内藤(11期)、碁は筋がよく才能がある。家が近いので9期の渡辺がお師匠さん。今や師に迫る勢いがある。形勢が悪いとすぐ投げる。お師匠さんと正反対。性格は反抗的。大先輩の私も時に無視される。
渡辺(9期) 橋本(1期) 三沢(9期) 中濱(5期) 峰岸(8期) 富樫(10期) 長谷(7期)
内藤(11期) 長谷川(1期)
・・・とまあ、こんなメンバーで毎月第2、第4木曜日、下北沢の「下北沢囲碁会館」で碁を楽しんでいます。参加を希望される方、メンバーにご一報ください。⇒ 楽友囲碁サロン
● 次は「マージャン・グループ」
筑紫(1期)。高校時代、ダントツのソリスト。岡田先生に芸大受験を勧められた第一号。第二号が若杉弘。しかし、筑紫は中学時代に歌い過ぎて声帯を痛めたことを自覚していて受験せず、同期の伴有雄(故人)と共に、楽友会のリーダーとして頑張った。私が彼に一番感心していることは、合唱団にボイス・トレーナーが必要だと考え、それを実行したこと。当時、専任のボイス・トレーナーのいた合唱団は聞いたことがなかった。だいたい指揮者か先輩が片手間にやっていた。ヒョットしたら筑紫は合唱団に専任のボイス・トレーナーを置いたパイオニアかもしれない、と、彼から頼まれて女子高生のボイス・トレーナーを引き受けた私は思っている。
ザザこと佐々木(3期)。私が高3の時、塾校の音楽愛好会員は、岡田先生のコネでN響の定期演奏会に、国立音大生にまぎれて合唱団の一員として出演させてもらった。曲はベートーベンの「荘厳ミサ曲」。指揮はクルト・ヴェス。これは難曲!中でも大変なクレドのフーガを岡田先生は一人ずつしごいた。その時、高1のザザが一人だけ最後まで歌いきった。岡田先生の笑顔を覚えている。ちなみに、その翌年は同じ編成でバッハの「マタイ受難曲」を歌わせてもらった。ザザは音感が良いし人柄も良い。が、マージャンは憎い。慎重な性格だからすぐ下りるので振り込まない。そして突然大きい手で上がる。そこで計算すると、トータルでいつも勝っている。彼は長年のライバルだ。
小林(10期)。彼がメンバーに加わった時、筑紫と私は「大丈夫か?」と心配した。だがこれは、先輩としてのおごりに発する過小評価だった。第一戦、小林トップ、ビリ筑紫。第二戦も小林トップ、ビリ私。第三戦も負けた!それはさておき、小林はOSF合唱団創設以来の名幹事。付き合って分かったけど、とても面倒見が良い。皆に信頼されるのは当然で、ナイス・ガイだよ。
オキヨこと井上清(4期)。彼は定期的に「食事会」をやろうと提案してくれた。昔、カルテットを組んでいたザザを加えた3人、名づけて「三爺会」(ちなみにカルテットの残る一人は6期の島田)。学生時代、オキヨの家に何回泊めてもらったか、数えきれない。おふくろさんが私専用の歯ブラシを用意してくれたほど。彼の人柄について女房が上手いことを言った。「オキヨさんって、あんな良い男なのに、なぜあんなに面白いのかしら」と。彼は能力が高い。泊まり込んでいる私と遊びながらも医学部に入った。医学部のくせに体育会ボート部に入り、エイトのレギュラー!欠点はスッポンポンが好きなこと。私はマージャンに負け、罰ゲームで何回も大森の夜をスッポンポンで走らされた。オキヨと二人三脚のこともあった。脚の長さが違うから大変だった。彼はスッポンポンで走っていて警察に捕まったことがある。「君、学校はどこだ」「明治です」。それでセーフ。良き時代でした。
小笹(4期)。閑な私に「原稿を書け、書け」とうながす男。古い付き合い。もう60年以上も前の話だが、彼は自由が丘、私は駒沢と家が近かったので、よく自転車で遊びに来た。ヨーク覚えているのは気温38度で東京の最高温を記録した日、彼の家でマージャンをやったこと。昭和20年代末の事だからエアコンは未だ無い。扇風機は我々が独占した猛暑の中、汗だくで接待してくれたおふくろさんに感謝! 彼に感心したこと。OSFの初代指揮者として振った時、曲が難しくてついていけないことがあった。すると彼は「後ろからやろう」といった。私は他にも同じ経験をした。故・前田幸市郎先生がバッハの「ロ短調ミサ」を振った時、難しくてついていけない我々に、「後ろからやろう」と言われた。二人に接点はない。こんど小笹に意味を聞いてみよう。
● 昨年は私にとって大厄年でした。潰瘍性大腸炎で2回、計4か月入院。肺炎で2か月入院。やっと生還した私を、あたたかく迎えてくれた友人たち。彼等の一端を思いつくままに書きました。そして改めて思いました。楽友会、楽友三田会はなんと良い団体か、と。諸氏、これからも宜しく!
(2017年3月)