慶應義塾楽友会クロニクル
「楽友」の消長

ホームページ開設にあたり、過去の資料をあちこち探しましたが、その殆どが散逸し、一時は入手不可能と諦めました。ところが、幸い岡田忠彦先生ご夫妻がこれ等を大切に保存しておられることが分かり、拝借することができました。次の表はその内の「楽友」全28冊の概要です。曲がりなりにも楽友会の年代記が書けるのは、すべてこの「岡田文庫」のお陰です。

現存「楽友」一覧表(岡田先生所蔵本)
楽友
発行
頁数
文数
特徴(左=研究論稿数/右=会員外寄稿数/右端=広告点数)
創刊号
51/3
76
43
4
活動報告、モーツァルトの鎮魂曲・村田武雄
10
0
第2号
51/8
74
63
15
畑中良輔夫妻他、専門家との交流報告多数
12
11
第3号
52/春
84
49
13
音楽評論、楽曲アナリーゼ、ドイツ語発音表
2
0
新・創刊号
52/11
106
53
10
ハイドンの四季・皆川達夫、男声初合宿(鶴岡)・演奏会特集
2
0
新・2号
53/3
98
43
7
運営方針、発表会随想・反省、2期生卒業特集
2
8
新・3号
53/11
80
33
4
フォーレのレクィエム・皆川達夫、混声初合宿(翁島)特集
12
8
53/12
20
24
0
第2回発表会特集号
4
1
第4号
54/5
70
23
4
ハイドン研究・中野博司、発表会、運営状況
1
8
第5号
54/12
82
30
2
堀口大学研究・馬場邦夫、第2回翁島合宿・演奏会特集
6
5
第6号
55/4
56
24
6
会友大学卒業記念文集、運営方針・施策説明
1
19
第7号
55/11
82
22
0
運営組織の仕組説明、花巻合宿・演奏会特集
6
15
第8号
56/7
94
23
7
アメリカ音楽史・中野博司、楽曲解説・細田道夫
4
17
第9号
56/11
50
18
2
楽曲解説・伴/楠田、第3回翁島合宿・演奏会特集
3
13
第10号
57/5
58
27
2
音楽美学・中野博司、定演・卒業生特集
1
13
第11号
57/11
46
10
7
音楽美学(続)・同上、定演特集
0
12
第12号
58/6
38
11
5
芸術論、宗教音楽史
0
10
第13号
59/4
34
10
0
4期生大学卒業特集(座談会)
0
5
第14号
59/8
22
7
1
レパートリー解説・大野洋
0
0
第16号
60/7
36
18
1
新入生向け楽友会案内
0
0
第17号
61/7
48
9
8
モーツァルト特集、ミサ聖祭、ラテン語解説
0
0
第18号
61/11
80
23
2
楽曲解説・伴有雄、10周年記念座談会・定演特集
4
1
第20号
62/10
56
19
2
楽曲解説・長部正、舟山幸夫、山内彦太
0
0
第21号
63/5
50
22
0
新・規約説明(大学・高校楽友会組織分割)

0

0
第22号
63/11
74
31
2
活動報告・市川昭、中浜鉄志、日野原万里子
0
0
第27号
67/2
44
41
0
12期生・卒業生特集号
0
0
第28号
68/2
40
29
0
13期生・同上
0
0
第29号
69/3
38
28
0
14期生・同上
0
0
第41号
81/4
20
15
0
26期生・同上
0
0
欠本: 第15、19、23~26、30~40、42号以降

▼ 頁数には表裏の表紙を含みません。また、右から2行目にある「会員外寄稿数」とは教職者や校外関係者からの寄稿数を意味します。なお表紙の題字や挿絵は、最初の2号が会友・抱勇雄君、以後の殆どは高校美術科教諭・毛利武彦先生のデザインによるものです。大きさは概ねB5判、印刷・製本はすべて外注ですが孔版方式時代のもので紙質が悪く、ことに50年代前半の「楽友」は、戦後事情を反映し、触れるのも怖いくらいに劣化しています。

▼ 創刊号は51年に塾高を卒業した同期生責任者:進藤重行・十合啓一諸君による編集で、後記には将来への期待をこめて次のように記されています。「これからは全会員の協力によって、音楽愛好会を発展させるとともに、この会誌も立派に育てあげてください。卒業生一同、心からのお願いですクロニクル・楽友会前史3及び4項参照」。

▼ これを受けて早くもその半年後に、第2号が発行されました。これには筑紫武晴、伴有雄(1期)、川島修、楠田久泰(2期)、若杉弘(3期)他、高3から1年生までの11名が編集者として名を連ねました。それは創刊号が同期生という、横のつながりの結束で編集されたことに対し、縦の結束で応じた意思表示と思われます。真に当を得た対応で、ここに文字通り「全会員の協力」による「立派」な「会誌」の規範が成立しました。

▼ それにより①年2回発行②独立採算制頒布制、広告費収入による低価格化③研究・楽曲解説重視という骨格が定まりました。そして、それに肉付けをし、「楽友」を楽友会員相互のディベート、研鑽ないし親睦に不可欠な会誌に育てあげ、定着させたのが松延貞雄君2期/高3~大3までの4年間/新・創刊号~7号でした。

▼ そのお陰で「楽友」は皆に愛読され、次号発行が待望される会誌となったのです。しかし、原稿と資金集め、そして編集作業には血のにじむようなご努力があったようです。たまたま同兄と筆者は、勤務先が指呼の間にあったため、卒業後もよくお会いして様々な苦労話を拝聴しましたが、その真摯で熱い楽友会への思いに心うたれたものです。


松延家での1期生追出しコンパ(高3~大4年生/56年3月/4列目右端が2期/大3・松延貞雄君)
(クリックで拡大します)


▼ その思いは斎藤成八郎・福井幾(5期)によるコンビ編集者(8~13号)から、長谷光男(7期/14~16号)、更には塚越敏雄(8期)、森村真澄(9期)、大野洋、佐多光昭、小嶋由岐(10期)、太田武、栗原節子(11期)といった諸君へと、順調に受け継がれていきました。

▼ ところが、「岡田文庫」を見る限り、63年11月の第22号を境に、急に欠本が目立つようになりました。それは60年代半ばから激化した全国的学園紛争の影響や、岡田先生との緊密な関係が薄れつつあったことを思わせますが、約3年を隔てて27号~29号(69年3月)までの3冊が現存しているので、少なくとも毎年1回は「楽友」が発行されていた、と類推できます。

▼ そして、再び長期の欠本となりますが、唯一、兼子伸彦(27期)、星野純子(28期)両君の編集になる41号(81年4月)があるので、その空白の11年間にも11冊の発行があったもの、とこれまた類推可能です。しかし、内容的に27号以下は「卒業生特集」に特化されていることから、その後は次第に「楽友」は存在意義を失い、いつのまにか忘れ去られてしまいました・・・。

▼ これはあまりにも一面的な見方で、事実はその後も長く刊行され続けたのかもしれません。むしろ筆者は、そうであることを切に願い、その情報や反論を鶴首して待つものであります。とはいえ、もしも上述の推測が「当たらずといえども遠からず」なら、それは真に憂うべき状態である、といわざるを得ません。

▼ かなり昔の恐ろしいSF映画を思い出します。題名は忘れましたがアメリカ映画で、未来の管理社会を描いたものでした。人々は必要なことしか教えられず、情報は完全に管理され、図書館は封鎖され、個人の意見や感情は抹殺され、人々は一見豊かに暮らしているように見えますが、夢も希望もなく、刹那的な快楽に溺れていきます・・・。

▼ 現在の楽友会がこのような状態にあるとは思いません。しかし、もし自由に学習し、意見交換できる「楽友」のような場がないとしたら、いずれはこの映画が予見したような暗黒時代に陥るのではないか、と危惧しています。

▼ 文書情報は、換言すれば「ことば」を文字として記録し保存した情報は、人類にのみある貴重な無形の資源であり資産です。これを軽視・無視するところに真の文化や伝統は育たず、創造的発展もありえないことは歴史が証明する事実です。皆さん、情報を発信しましょう。そして、それを文書化して残す慣行を復活させましょう。

▼ 「考える人」として、塾生・塾員として、音楽を愛する者として、楽友会員として、個人として、全体として、何を思い、なぜその曲を選び、どのように歌い、何を表現し、何を得たのか。それ等を心の軌跡として、ぜひこのホーム・ページ「楽友」に寄稿してください。それこそが貴重な「楽友会」の共有資産となり、未来の心の糧となるのです。

Coda:天界から声あり。「あい変わらず挑戦的だね」―マッチャン松延さんの声です。「いや、先輩のお気持ちを代弁しているつもりです」「ウフフ、僕ならもっとソフトに書くよ」「すみません。いろいろと至りませんで・・・」。そこで目が覚めました。誰もが敬愛した「楽友」誌育ての親、マッチャンが突然他界されたのは96年8月のことでした。あまりにも早い別れに呆然としました。でも、マッチャンが若き血を燃焼させた「楽友会」と「楽友」は、今も、皆の心にそのあたたかい息づかいを伝えてくれている、と信じています(1月11日)。

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