慶應義塾高等学校・女子高等学校の両校楽友会

高校楽友会「第1回」定期演奏会*の頃
 

日高 好男(14期)

私の合唱経験は区立の小学5年生の時にスタートした。それは音楽の先生が、ウィーン少年合唱団をまねて20名ほどの少年合唱団を作り、杉並公会堂や日比谷公会堂での合唱コンクールに、私を参加させてくださった事にさかのぼる。

その後、日吉の普通部に入学。国語の安川先生の「コーラス部」に加わり、先生の家でのクリスマス会などで歌わせていただいた。

でも何といっても、塾高に入ってからの「楽友会」活動が、学生指揮者になった事も含め、アマチュアとはいえ、今日まで続く「課外活動」の原点となった。当時は想像さえしていなかったことだ。

その頃の高校「楽友会」は、月曜に男声合唱、水曜に三田の女子高と楽友三田会の女声陣を加えての混声合唱、そして土曜日に大学楽友会と合同のミサ曲練習というのが主な練習活動であり、演奏活動としては@毎年12月の定期演奏会で、大学楽友会とミサ曲を合同演奏すること、A秋の「日吉祭」での発表、Bそれに毎年3月の「3校校合唱サークル定期演奏会通称「3校」:早稲田高等学院の男声合唱、共立女子高校の女声合唱、および慶應義塾高校・女子高校による混声合唱の協演」に出演することが主なものであった。

高1の時の初めての「3校」では福井良太郎(12期)氏の指揮で、大中恩「混声合唱曲集「なぎさあゆめば」とか「秋の女おみな」を、高2の時には、2年前に急逝された榊原進(13期)氏の指揮で佐藤真「旅」を歌った。1年をかけて練習した集大成の活動である「3校」は、当時の僕らの高校楽友会生活で最大の「青春の想い出」であり、高校3年になった時には「いよいよ 僕らの番だ!」と、意欲的に選曲を始めたものである。

と、その時、岡田先生この後しばらく、「岡忠」という愛称を使わせていただきますがわれわれに「来年(65年)は『3校』は無しにする。大学との合同演奏も無い。従って『3校』に代え、高校だけで、初めての『定期演奏会』をもつことにした!」と宣言された。

晴天のヘキレキである。特に学生指揮者として、自分の高校楽友会での最後のステージを自分なりにイメージし、思いを膨らませながら「夢」を描き、「どんな曲で皆を感動に導こうか?」と思案していた私としては、何の前触れもないこの一方的な「岡忠」の指示にあぜんとした。大学楽友会との宗教曲演奏を経験した同期の友の、「あのオケ付きで歌う感動が、もう自分達には味わう事ができないのか」という何ともいえぬ寂しさも、「岡忠」への不満、怒りを一気に増幅させた。

3年生を代表し、私はなんども多分 授業をさぼって?音楽教員室に「岡忠」を訪ね、「何とか『3校』をやらせて欲しい」と掛け合った。その頃の自分の日記を見てみると「岡忠」への不満が毎日のようにデカイ字で書かれており、「純生」な青春の日々が昨日の事のように思いだされる。

とはいえ、何といっても会の創始者であり、部長であり、教師であり、しかも、あの頑固一徹自分のことを棚にあげていえる立場ではないがな「岡忠」のこと。生徒である私たちが何とお願いしようと聞いてもらえるわけがない。最終的にはあきらめ、仕方なく「慶應義塾高等学校・女子高等学校楽友会・第1回定期演奏会」開催に向けて船をこぎだしたのである。

しかし、それまで先輩が敷いてこられたレールの上を走っていただけのわれわれにとって、自らの手作り演奏会をもつことは大変なことだった。会場探し、演奏会を埋めるだけの曲の選択とその練習、考えただけでも気の遠くなるような作業であった。まず八方手をつくしての会場探しが始まった。そして新宿厚生年金会館の小ホールを押さえた。次いで、高校のマンドリン・クラブに賛助出演を頼み1ステージ、同学年の男声指揮者に頼んで1ステージ、そして私が混声の愛唱歌集とシューマンのア・カペラ「ロマンスとバラード」の2ステージを指揮することで、何とか合計4ステージの「コンサート」の形を整えることができた。

かくして、何とか高校楽友会だけの「第1回定期演奏会」を成功させる事ができたのだが、今更ながらに、よく無事にできたものだと思う。そうでなくとも大学進学のことで忙しいわれわれ3年生が、とにもかくにも目まぐるしい1年を乗り越え、この初体験の難題を克服したのだ。そのお陰で、われわれ高3同期の絆は、それまで以上に堅固なものとなった。大学の楽友会に進んだ者はバリトンの稲川と大橋両君以外にいなかったが、今でも 同期会には皆が集まる。 

今、こうして当時を回想すると、岡田先生ここから急に「岡田先生」に戻りますが、「お前たちならできる」、とわれわれの学年を見こまれたからこそ、この産みの苦しみを伴う「第1回定期演奏会」を託してくださったものと理解できる。今では50何回にならんとする「『高校楽友会の定期演奏会の初回』をやった」という自負が、「岡忠」といい合ったあのほろ苦い想い出に重なり、とても貴重な青春の想い出となっている。その意味で、私たちを信じ、高校楽友会の重要な転機を託してくださった岡田先生に、改めて感謝したい。

「岡田先生、本当にありがとうございました!当時、生意気いって食ってかかった私たちをお許しください!!どうもすみませんでした、そして、どうもありがとうございました!!!」。「あの素晴らしい想い出は、いつまでも私たちの胸に残っております!!!!!」。(09年3月)



*編集部注: 

@ 1965年3月27日(土)18時30分開演。 於:新宿厚生年金会館小ホール

A 筆者に送ってもらったプログラムには、この歴史的演奏会に出演した全員の名が記されています。転記してその栄誉を称えたいところですが、スペースが足りないので陣容をご紹介するにとどめます。

出演者数
S
A
T
B
合計
3年生
4
4

4

5

17

2年生
6
4
9
7
26
1年生
5
4
2
4
15
合計
15
12
15
16
58

B 当プログラムには、瀬下良夫高等学校長と村井実女子高等学校長による祝辞の他、両校楽友会部長から次のご挨拶が掲載されていました。

岡田 忠彦

この度、初めて高等学校と女子高校楽友会の混声合唱の発表会を迎えることになりました。

発展途上にある生徒のことですから、なかなか技術上困難を伴いますが、楽友会はこの生徒達と大学楽友会が一体となって組織しておりますから、そのような技術上のことも、この一貫教育を通して伸びてゆくのです。この若アユたちの新鮮な、生きのよい声がホールいっぱいに響き渡ることと思います。

渡邉恵美子

慶應義塾高等学校の第1回定期演奏会を迎えることになりました。第8回まで毎年続けてきた早稲田高校、共立女子高校との3校合同演奏会は、3つの性格と事情のちがった学校が提携してゆくことに事務的なむつかしさが多く、これ以上続けてゆくことは無理な点が多いので、今年からそれは解放し、改めて慶應の日吉の高校と女子高校の楽友会の第1回定期演奏会をここに開くことになりました。

日ごろ勉学に追われている高校生たちが、その余暇に熱心に練習に励んだ努力の結晶を皆さまに聴いていただこうと、会員全員張り切っております。もちろん音楽の専門学校の学生ではありませんし、練習条件にも苦しい点が多々ありますから、あるいは高校生の演奏として最高のものとは云えないかもしれません。 しかし、全員の真によい合唱に対する真面目な態度と熱意、こうしたグループの一員として高校時代を過ごすことの意義の大きさを理解していただければ幸いに存じます。

今日を第1回としてこれから毎年続けられていくでしょう。会員一同よい伝統を作るべく、常に努力が必要ですし、また、してゆくことと存じます。どうぞあたたかいお心もちで見守ってくださいませ。そしてよい合唱に対する若い純粋な熱意に、ご声援と拍手をお贈りいただきたく存じます。

以上