慶應義塾高等学校・女子高等学校の両校楽友会 

慶應義塾高等学校女子高等学校 楽友会

第50回定期演奏会

2014年3月21日(祝)
藤原洋記念ホール
 

楽友会の前身、音楽愛好会が産声を上げたのは1948年、三の橋の高等学校においてです。次の年に日吉が返還され移転しました。大学に進学する1952年の卒業生が岡田先生の下で高校生と一緒に合唱活動を続けることになり、高校から大学までの慶應義塾楽友会ができました。しかし、1964年に高校と大学の活動が分離されました。それから50年が経ちました。

一時はまったく行き来が途絶えた時代がありましたが、楽友三田会でいえば20期代の人たちは自分たちの子供が高校生の親たちです。彼らが高校楽友会をオール楽友会の輪に近づけてくれました。HP「楽友」の編集部はこの傾向を支持し応援していきます。

考えてみればこの60有余年の楽友会の歴史は必ずしも穏やかなものではありませんでした。特に高校においては部員の極端な減少があり、部活動の存続さえ危ぶまれたといいます。われわれはそんなことつんぼ桟敷に置かれていました。それを思うと、この日を迎えられたのは奇跡的とさえ思えます。

この記念すべき定期演奏会を迎えた高校生たちが50年、60年経った時、楽友会が慶應義塾の中に続いているのでしょうか?楽友会100年の計を考えるのは大げさだとは言っておられません。


♪お祝いの言葉

岡田 忠彦先生(楽友会創設者)

第50回定期演奏会の開催を迎えられ、お慶び申し上げます。

昭和23年(1948年)慶應義塾高等学校新設の年「男声合唱団音楽愛好会」創立、2年遅れて女子高等学校新設、渡辺先生のご協力を頂き、混声合唱団となり、その後「楽友会」と改め、65年になりました。私としても感慨深いものがあります。当初から音楽を愛する気持ち(こころ)、情熱は並々ならぬ生徒の集まりでしたから、それは今も変わらず脈々と受け継がれていることと思います。恵まれた音楽環境の中ではぐくまれた感性を大切にいつまでも歌いつづけて下さい。


「50年のうたごえ」

日高 好男(高校1期)

第50回定期演奏会おめでとうございます。私が第1回の演奏会で指揮をさせて頂いてから、「半世紀」が経ったと思うと、感慨ひとしおです。練習が終わって、夕陽の中、銀杏並木をハモりながら日吉駅まで帰った記憶が昨日の様によみがえります。高校2年までは、大学生や他の高等学校と演奏活動していましたので、自分達が3年生の時に単独の演奏会を持つ機会を与えて下さった岡田忠彦先生の英断があったからこそ、今日の第50回定演があるのだと思うと、先生への感謝でいっぱいです。これまで楽友会の歴史を支えて来て下さった部長先生や多くの先輩諸氏への感謝を忘れずに、これからの50年の楽友会の歴史を、あなた達の楽しい歌声と共に立派に引き継いで行って頂きたいと思います。


「『青春讃歌』を歌い始めたころ」

阿波田 尚(高校13期)

第50回定期演奏会おめでとうございます。高校2年12月に岡田先生指揮で「青春讃歌」の初演を聴いた。翌年、日吉祭でのワグネルオケとの協演、さらに第13回定期演奏会のアンコール曲でも岡田先生にお願いして、「青春讃歌」を歌った。それから38年間、「青春讃歌」は歌い継がれています。高校楽友会OBOGも 2009年から毎年、岡田先生指揮「青春讃歌」を歌う活動を続け、今では、数百人という大きな輪に広がった。「青春讃歌」という共通の歌があったからこそ実現した事だと思います。これからも歌い継がれていく事を、期待しています。


「高校楽友会の絆」

亀井 淳一(高校16期)

約20年前、「今年が最後の定演になると思います」と現役。あの頃は部員が10名ちょっとで存続が危ぶまれていた。約30年前の定演プログラム、「いつか女性が混声の指揮を」と。今は女子高生が当たり前に混声を振っている。時代は変化しているけれど、実は、やっていることはあまり変わらない。昨秋、卒業生が日吉に集まった。80歳代から高校生まで、一緒に歌えば皆、等しく高校楽友会に戻る。誰かが言った「皆、楽友会を共有しているのだから同じ文化を持っている」。昨今の現役の隆盛を本当に嬉しく思う。これからもずっと‘仲間がそろったら皆で歌って’欲しい。第50回定期演奏会開催を本当に誇らしく思う。心からおめでとう!


 

撮影:阿波田尚


編集部より 「青春讃歌」の詳細記事は本サイトの記念資料集にあります。

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