追悼文集

三宅健一君を悼む


中濱 鐡志(9
期)



三宅 健一君(1987年9期同期会)

9期同期の三宅健一君が2013年2月22日に亡くなられました。食道がんの手術後は順調に回復されていると聞いていましたので、その訃報に接し一瞬耳を疑いました。

昨年の楽友三田会合唱団第20回定期演奏会には元気な姿で聴きに来てくれて、ドイツ・レクイエムについて「素晴らしい演奏だったよ」とあのいつもの笑顔で話してくれたばかりなのに。

その時は手術で声帯を痛めなかなか声が出ないというので、私の母も甲状腺がんの手術で声が出なくなったもののその後の訓練で元に戻ったから、「きっと回復するよ、また一緒に歌おう」といって別れたのが彼と会った最後なのです。

三宅君は大学から楽友会に入り私と同じセカンドテナーなので練習の時はよく並んで歌ったものでした。
 

私は卒業後40年ほどコーラスから遠い生活をしていましたが、三宅君はその後も横浜合唱協会を中心に音楽活動を続けていました。横浜合唱協会はバッハを中心とした古典をレパートリーとしていて、時々三宅君からチケットを頂き聴きに行きましたが、いつも素晴らしい演奏をするレベルの高い合唱団で、彼はその中核メンバーでした。

私が10年ほど前コーラスを再開した折、三宅君に一緒に歌おうよと誘ったのですが、練習日が土曜日で重なるということでなかなか実現しませんでした。また三宅君は会社の仕事も重責を担い、激務の真っただ中にありそれどころでないという時期もありましたが、2010年に入ると仕事からもようやく解放され、また横浜合唱協会からも離れていましたので、再度お誘いし楽友三田会とのつながりが再び密になったのです。

一昨年の2011年の4月には楽友三田サロンの恒例の花見会では横須賀在住の三宅君の案内で衣笠山の桜と海軍料亭「小松」での会食、6月には同期9期の湯西川温泉旅行、また、歩こう会にもたびたび参加し、懐かしい仲間と楽しい交流を一気に高めたのです。

11月には定期演奏会で「戴冠ミサ、ドイツオペラ、水のいのち」を一緒に歌う予定でしたが、9月の練習の休憩時間中だったか、三宅君から「食道にがんがみつかり手術するのでコーラスはしばらく休む」と打ち明けられたのです。私は「手術は成功するよ、また一緒に歌おう」としか言えなかったのです。

その手術も無事成功し、歩こう会に再び参加するようになり、昨年の4月には外堀、内堀を20キロほど皆と一緒に歩いたほどに体力は回復していたのです。

三宅君はご存じのとおりの長身痩躯の紳士で、物静かで控え目で、温和で懐深く気品があり、本当に心温かい素晴らしい友人でありました。音楽についても極めて造詣が深く、知識も豊かでありましたが、そのことはおくびにも出さない本当に謙虚な人でした。

バッハをこよなく愛し、自ら選んだ曲が斎場に流れていましたが、三宅君の人柄そのものが顕れている曲ばかりでした。管弦楽組曲3番G線上のアリア、フルートとチェンバロのソナタロ短調BWV1030、管弦楽組曲第2番、マタイ受難曲の終結合唱です。

そして三宅君の希望でモーツアルトの「アヴェヴェルムコルプス」を奥様のピアノで参列者が合唱したのです。三宅君の在りし日を参列者それぞれが想いながら、また篤い友情に感謝しながら、静かに心をこめて歌ったのです。(2013/3/3)

  

2011年の三田サロンお花見会の報告は三宅君が書いてくれました。

⇒ 三田サロンお花見会