追悼文集

豊岡守紀君(8期)を偲んで

舟山 幸夫(8期)

楽友三田会8期の貴公子、バリトンの豊岡君が1月17日に亡くなりました。ここ数年、体調不良で「楽友三田会合唱団」「OSF合唱団」も休会していました。それでも「MMC」「OSF」「羅漢」等の演奏会のほか「新年会」「歩く会」等には足を運んでくれ、あの優しい笑顔を見せてくれていただけに、突然の訃報に大きなショックを受けたのは私だけではありません。

彼は高校一年から「楽友会」に参加し、60年以上の合唱活動をしてきました。あの人柄同様ソフトな声でバリトンの中心として活躍してきました。
 

私は大学一年の時に「楽友会」に入れていただきました。小学校から合唱をやっていて、大学入学と同時に入団しました。当時は、慶應の合唱活動といえば「ワグネル」との印象が深かったのですが、それまでずーっと混声合唱をやっていたので、いいサークルを探していたところ、日吉の並木路で上級生が「混声合唱団楽友会へ!」との勧誘をしておられ、入団を決めました。

それからの60年以上の付き合いでした。当時「楽友会」は高校と大学が一緒に活動をしていたため、豊岡君も高校時代から続けて楽友会に在籍していました。我々は、いわゆる「外部入団」それでも20人近くが入団したと記憶しています。でも、やはり高校時代からのつながりは深く、練習後の飲み会(まだ未成年でしたのでコーヒー)やハイキングなどの会合でも高校からのメンバーが中心で、外部入団者は多少疎外感を持っていたようで、多数のメンバーが離れていきました。

結局4年まで続けたのは10人。うち外部は林(濱岡)さん・森本(佐々木)さん・池内君と小生の4人でした。内部は女子高からの門野(峰岸)さん・村田(片柴)さん・平塚(河村)さん・塾高から塚越君・高木君・豊岡君の10名が昭和38年3月に卒団しました。これも「楽友会」の一つの歴史でしょうか。そうした中、特に同期の面々とは豊岡君・塚越君・高木君それと工学部へ行った若山君・戸張君・藤川君・田中君等と親しく付き合うことができました。もちろん上級生も大事にしてくださいました。

1年では「フォーレのレクイエム」、2年では「フランクの荘厳ミサ」、3年は10回記念で「モーツアルトのレクイエム」、そして4年には「モーツアルトの戴冠ミサ曲」を岡田先生の指揮で歌いました。特に4年では外部入団者として初めての指揮をやらせていただき、「シューベルトの混声合唱曲集」を3年のパトリ(森村・日野原・土井・山内の各君・ピアニストの鳩山さん)をはじめ多くの皆さんから叱声・激励を頂き、何とか成功させました。その時も豊岡君から色々とサポートしてもらった事が思い出されます。

卒業後はしばらく離れ離れになりましたが、偶然彼の勤務先(日新運輸倉庫)と小生の勤務先(三菱油化)とが取引があり、時々アルコールを飲みながら仕事の話をさせてもらいました。彼の人柄から人事部で活躍しておられました。

小生が東京に帰任した時に、彼から「MMC」への誘いがあり、それがきっかけで「MMC」のほか「OSF」、「羅漢」でも一緒に歌うことができました。また筑紫・長谷川両先輩から「楽友三田会会長」の役目を口説かれ豊岡君に会長を引き受けてもらい、小生と濱岡さんが副会長としてサポートしたのも、今では楽しい思い出です。

彼は大変な愛妻家でしたが数年前に奥様をなくし、ご子息と同じ敷地内で生活をしておられましたが、彼の性格から「子供に負担をかけたくない」と言って、一人で頑張っておられました。でも、大変なアルコール好き。練習の後の「飲み会」にはほぼ皆勤でした。一方「歩く会には」ほとんど参加し健康管理に勤めておられただけになおさら残念です。今回、同期の高木君からの情報をもらい若山君に連絡して「楽友」に訃報を掲載していただきましたが、実に数多くのメンバー・仲間から問い合わせをいただきました。これもひとえに彼の人柄がなせる業と思っています。

心からご冥福をお祈りします。合掌      楽友三田会8期 舟山幸夫

  


編集部 豊岡君の訃報を舟山君から連絡を受け、「まさか」が「本当」になってしまったと、信じたくない「訃報」を掲載しました。8期の誰かに「追悼文」を綴ってもらわなければとアクションをとろうとしているところに、舟山幸夫君から追悼原稿が届きました。有難く掲載させていただきます。

筆者の楽友会在団中の定演演奏曲名が書かれています。懐かしい想いです。「楽友会演奏会の歴史」がクロニクルにあります。是非、ご覧ください。(2020/2/3・わかやま)


次の稿