今日は79回目の終戦記念日です。かっぱは4歳7か月の坊やでした。当時は朝鮮の京城(現ソウル)に住んでいました。新聞を眺めると、東京は爆撃で焼野原の写真が掲載されていました。毎日、遊んでいた公園に金網の塀がめぐらされて、間もなく駐留軍が入ってきました。
そこからジープが出てくると、子供たちは走って逃げ回りました。そのジープが、我が家の前で停まりアメリカ兵と通訳が「将校二人が日本人家庭にホームステイしたい」と言うのです。両親は申し出を受け、大尉と中尉が我が家の2階で暮らすことになりました。キャンプから夕方に帰ってきます。夕食が終わると、わたしが2階に上がって行きます。キャプテンは私を膝の上に乗せて、英語を教えました。5歳になる頃には、片言の英語で喋っていたのです。
さらに、キャンプからレコードを持って来ては私の電蓄で掛けました。ビング・クロスビーやダイナ・ショアのレコードが鳴るのです。戦時中に歌ったのは「予科練の歌」でした。「暁に祈る」はよく聴かされました。アメリカンソングは、子供の耳にも洒落て聞こえました。真似して歌い出しました。
昭和21年になってから引き揚げてきました。広尾小学校に近い所に住んでいた親父の叔母の家に同居することになりました。翌年、神田須田町に親父の店を建てて引っ越ししました。須田町には蓄音堂というレコード屋がありました。焼け跡から掘りだしてきた古レコードが並んでいました。幾らだったのか記憶にありません。
(2024/8/15・かっぱ)