慶應義塾大学混声合唱団楽友会

慶應義塾大学混声合唱団楽友会
−第58回定期演奏会−

 
日時:2009年12月16日(水) 19:00開演
場所:杉並公会堂大ホール

プログラム

1st 混声合唱とピアノのための
「見渡せば」
−明治の唱歌編曲集−
(2008年 名古屋合唱団・伊豆新世紀創造祭記念合唱団 委嘱初演)
編曲:寺嶋 陸也
指揮:栗山 文昭 ピアノ:須永 真美

2nd ドイツ・バロックの宗教曲
−シャイト、ブクステフーデ、ミヒャエル・バッハ、他−
指揮:齋藤 彬(学生指揮者) 伴奏:バロックアンサンブル

3rd 混声合唱のためのシアターピース
「星からとどいた歌」
(1987年 宇都宮大学混声合唱団 委嘱初演)
作詩:加藤 直 作曲:青島 広志
指揮:栗山 文昭 ピアノ:須永 真美
演出:しま まなぶ 照明:大鷲 良一(創光房)


第58回定期演奏会フライヤー

プログラム表紙

第58回定期演奏会雑感

編集部

楽しみにしていた現役のコンサートに駆けつけた。だが、当日売りは長蛇の列。なかなか前に進まない。何でこんなに待たされるのかと思ったら、切符売り場で名前を聞かれ、それを一々記載していた。まるで空港の検査のようで「何か危険でもあるのか?」と不審を感じた。

だが、定刻通り始まった塾歌の響きで、そんなイライラはすぐに解消された。「きれいだ!」。特にソプラノのよく揃った美しい発声による旋律、それを巧みにひきたてつつ、見事な調和で校歌としての格調を高めた下3声の、若々しいまろやかなハーモニーが見事で、一気に俗世のしがらみから解放される思いがした。

第1ステージは常任指揮者・栗山文昭氏の指揮による明治時代の小学唱歌編曲が5曲。いつもながらの実に丁寧に磨きこまれ、バランスのとれた合唱音楽の美しさに聞き惚れた。大学楽友会が92年の第41回定演からこのすぐれた指導者に指揮を委ねて早12年。栗山メソッドによる訓練はすっかり浸透して合唱の基本である発声法や音程感覚、それに「ハモる」技術は著しく進歩したと思う。団員の人たちも実によく歌いこんでいて、指揮者の指示に敏感に反応して歌っている・・・。

だが、実は終わり近くなって少し眠気を催した。似たような静かな曲想が続いたせいか、あるいは年寄りを安らかな郷愁に誘う最初からのやさしい意図があったせいか、老生はいともたやすくその誘いに乗せられた。<明治時代の子供たちも、やはりこんな風に歌ったのだろうか>と想いながら・・・・・

第2ステージは一転ドイツ・バロックの世界。それはシャイトの2重合唱編曲版に始まりJ. M. バッハ、J. C. バッハ、J. L.バッハそしてブクステフーデ迄の作品を辿る楽旅として構成された、真に意欲的な6曲のモテット集であった。

先ずはこのプログラムを見ただけで目をみはる。近年珍しい宗教曲で、全て楽友会初演の曲ばかりである。しかも、プログラム解説のページに「学生団体として共に演奏を致します『バロック・アンサンブル』の皆様に感謝の意を表します」とだけ記された、管弦楽グループを加えての協演である。それを学生だけでこなしたのだから、それだけでも十分称賛に値する。かつてない、むしろ時流に抗した前衛的ともいえる挑戦であった。

選曲・指揮は斎藤彬君(4年生)で、仄聞するところによるとその塾内アンサンブルの指揮者も務めていたという。恐るべき逸材が楽友会にいたものだ。

余談にわたるが、このプログラムには「慶應義塾コレギウム・ムジクム・オーケストラ&合唱団」の演奏会2010年1月13日/日吉・藤原記念ホールのチラシが挿入されていた。曲目は「ハイドン:『天地創造』第1部他」となっている。慶應義塾にもいつの間にかバロック音楽ないし宗教音楽を志向する塾生団体が芽生えていたことを知って、いささか複雑な感懐を抱いた。

それはそれとして演奏も素晴らしかった。メリスマ唱法に少しぎこちなさを感じたが、日頃なじみのない曲を、ドイツ語でよくこなして演奏していた。全員楽譜を持ってはいたが、それを見るのはごく稀で、互いに他声部を聞きあう余裕をもって歌っている様子がよく分かった。アンサンブルの皆さんの演奏も、欲をいえばチェンバロの助奏がほしかったが、これがアマチュア学生団体の演奏かと耳を疑うほどの好演だった。

今回あえて大バッハの曲を採りあげなかったのは、後輩たちにその栄光ある技を託した、粋な計らいだったかと思う。今後に期待すること大である。

さて注目のメイン・ステージは、このところ恒例となったシアター・ピースで「星からとどいた歌」という演目である。全体を10編の詞と音楽でつないだ、かなり長編の合唱劇である。それを途切れなく、随所にアドリブのセリフも交えながら演じきった皆さんの努力とエネルギーに讃嘆した。

それは一種のマス・ゲームで、どこかに破綻が生じたら全体がダメになる。ところがそれがない。人間のやる事だから、時にはトチルこともあっただろう。けれどそんなことは問題ではない。全体的によくまとまって、アマチュア学生とは思えないほどの演技力と合唱で聴衆を飽かせなかった。さぞ後の乾杯がうまかったことだろう。

だが、率直にいってどうもこの曲種にはなじめない。柴田南雄の「追分節考」他いくつかの作品を知ってはいるが、何れも話題提供の域を出ない。チームワークを高めるには絶好の曲種と思うが、新しいジャンルであるせいか台本そのものが未熟である。今回の作品も、22年前の作曲当時にはそれなりの意味ある台本だったかもしれない。が、今では労すること多くして得るところの少ない内容と思えた。

ラフなストーリー展開は<公害によって星は姿を消し、世界は原・水爆によって破滅に向かい、人々は自分の穴にたてこもって互いに無関心。遂には互いに「さよなら」をいう>といったSF映画もどきの話だが、あまりにも陳腐なせりふ回しで夢も希望もない。詩的にも音楽的にも、また時代を風刺する演劇的主題としても興ざめである。

今では都心部にあっても、目をこらせば星の瞬きをとらえることができる。紅灯の巷にいてはムリだが、その気になればどこでも見える。天候が悪ければムリだが、晴れれば見える。人間とて、人類史とてみな同じ。決して「さよなら」とはいわない人たちがいる。問題は人の心の向かいようであり、星は常に無言で存在しつづけている。

急に現実に引き戻され、オバマ大統領へのノーベル賞やCOP15のことを考えながら帰路を急いだ。寒風吹きすさぶベランダに立つと、いつものように無数の星がきらめいていた。(オザサ/12月16日)

   

団員数推移
団員数
S
A
T
B
合計
第36回(87年)
1年
9
7
6
6
28
2年
4
6
5
6
21
3年
8
6
3
5
22
4年
8
6
7
7
28
総数
29
25
21
24
99
第57回(08年)
1年
7
4
10
5
26
2年
2
4
2
4
12
3年
5
3
5
4
17
4年
5
6
1
4

16

総数
19
17
18
17

71

第58回(09年)
1年
4
6
3
4
17
2年
9
4
8
5
26
3年
2
4
2
4
12
4年
5
3
4
4

16

総数
20
17
17
17
71
資料:定期演奏会プログラム「団員名簿」より