という内容であった。忠友会として、翌年の活動をどうしたものかと思っていたところだったので、この手紙は、私の背中をみごとに押した。早速、小笹さんに「AGFCに『忠友会』として参加したいが相談したい」というメールを出した。小笹さんが日高さんや深井さんに転送し、日高さんから一度会いたいという話になり、忠友会は阿波田、亀井、楽友三田会は小笹、日高、深井というメンバーで日高さんの会社で7月14日に会った。
忠友会の今までの経過や高校楽友会OBOG懇親会の計画などを話す。日高さんが第1回高校定演卒業者として支援を惜しまない、深井会長も次回AGFC実行委員会で話をして頂ける、ということになった。
暑い夏が続く中、9月から、高校楽友会OBOG懇親会の参加募集案内を、知り合いの方のメールでの勧誘で開始。店から言われた最低40名は集まると予測をしていたが、何人参加するか心配していていたら、10月11日、日吉キャンパス内のファカルティ・ラウンジでの初めての高校楽友会OBOG懇親会は、楽友会創立(音楽愛好会)時代の方から大学1年生まで、60歳以上も年齢差のあるOB/OG130人が集まり、食べ・飲み・歌い大いに楽しんだ。60歳以上の年齢差あるが、歌うと不思議に一体感がでる。12月初め、自宅近くの五反田文化センター音楽ホールを6月25日で予約し、岡田先生に早めにその日を空けて頂き、曲目もご相談した。1月中にAGFC実行委員会に、同期の近藤敏康さんと初めて参加(以後近藤さんには最後までお世話かけました)。楽友三田会の方々とも初めてお会いした。
他のグループとの調整で「浜辺の歌」と「行こうふたたび」を曲目に決め、1月末新年会で、岡田先生に候補曲の楽譜と練習候補日などの資料をお渡しした。
楽譜をお渡ししたら、「<行こうふたたび>は早めに楽譜を見たいと思っていた」というお話が奥様からあった。ピアニストは高校楽友会出身者がよいということで、日高さんのご協力で平岩政子さんに2月末決定した。練習会場もスムーズに決まり、後は練習と思ったら、3月11日・東日本大震災。職場以外に合唱関連で、4月から7月まで自分が運営関係するコンサートが3つあり、日程がかぶらないように調整していたのだが、4月9日のワグネル・オムニバス・コンサートが23日に延期となり、その準備にも追われ、4月17日の忠友会初練習の勧誘はできなかったが、初日は黄君弟さん(高校1年)や日高さんなど含めて20名近い参加があった。
4月23日のワグネル・オムニバス・コンサートが終わり、次の6月5日のコンサートの準備や練習に追われている間に5月22日、2回目の練習日になった。最初はソプラノがいない状況。最後は10数人となったが、女声が足りない。次回、6月12日は岡田先生の練習だ。なんとかしたいと思っていたが、気がつくと6月5日に別のコンサート。やっと終わって6月12日の岡田先生の練習になったが、参加人数は20人に満たない。このままでは大変と思い、メンバーが同期の女性の募集をしてくれた。そして6月25日には、五反田文化センター音楽ホールで、亀井君が勧誘した現役塾高校生も含む25人の参加者でいい響きを楽しみながら、岡田先生には1時間練習して頂いた。最後の数十分は、その日はじめて参加した人も多くいるのに、皆が一つとなったよい演奏だった(ホール録音していたが、なかなかいいレベル)。
後は、女性の人数だ。日高さんが楽友三田会合唱団から女子高楽友会出身者のトラを13人勧誘。当日の練習を追加しようということになり、亀井君が会場確保してくれた。高校9期の博多さんも、同期や前後の世代の方を勧誘。卒業以来の方が数人参加してくれた。今回、不参加の方からも、次回は参加したいとの返事をたくさんもらいました。紆余曲折の末、本番は43人で岡田先生指揮で歌いました。その日はじめての人もたくさんいるにもかかわらず、高校楽友会出身者は岡田先生が指揮すると不思議に先生の棒に順応した素晴らしい演奏になった。

AGFC 忠友会(指揮:岡田忠彦) 2011/7/2
コンサート後の懇親会は高校10期土屋さんが自分のお店「銅鑼」を出血大サービスで提供してもらい、遅くまで美味しいお酒や合唱を堪能しました。こうして、たくさんの方のご支援でステージが無事終わりました。「忠友会」発足のきっかけは「
慶應讃歌グランド・コンサート」の楽友三田会の「青春讃歌」を聴いたことだし、更に、今回初めて楽友三田会の仲間として受入れて頂いた。楽友三田会の方々に感謝しています。
「忠友会」としては来年も岡田先生の指揮で歌う機会を企画したいと思っていますので、高校楽友会OBOGの方は是非ご参加ください。(2011年7月)
追記:2014年年末、PCファイルを整理していたら、この原稿を見つけました。AGFCが終わり、この原稿を書いて準備したが、長文になりすぎたので、没。今、改めて読むと、この時の思いやたくさんの方と知り合ったことが、その後の活動に繋がったと思いました。これからも「青春讃歌」の輪が広がることを期待し、私もその一助を担えればと思っています。(2015年1月)
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