
「楽友会」命名の由来と歴代会長
名誉指揮者 岡田 忠彦
楽友会の前身、音楽愛好会時代に会の機関誌「楽友」は51年の春までに第3号を発刊していた。
この頃SP盤で、コロンビアより戦後初のH.V.カラヤン指揮する、ブラームスのドイツ・レクィエムの大アルバム(片面3分余り)を発売、これを皆で繰り返し聴くうちに、このウィーン楽友協会合唱団を目指した、わが合唱団の新たな組織づくりとして高校・大学、そして当然、将来の三田会を含め、わが機関誌の名称とウィーン楽友協会を重ねてその名を「慶応義塾楽友会」とし、希望に満ち1952年6月29日発足し、このたび50周年記念演奏会を迎えたのである。 |
|
- 歴 代 会 長 -
就 任 |
ご氏名 |
初代 |
1952〜 |
有馬大五郎*1 |
第2代 |
1954〜 |
平岡 好道 |
第3代 |
1956〜 |
鷲巣 尚 |
第4代 |
1958〜 |
荒木 良治 |
第5代 |
1964〜 |
小竹 豊治 |
第6代 |
1972〜 |
増井 健一 |
第7代 |
1983〜 |
中野 博司*2 |
第8代 |
1996〜 |
土居 範久*2 |
|
この歴代会長と最初の合宿でお世話になった穴沢養一*3、ご懇篤なご指導を戴いた村田武雄*4、渡辺恵美子*5、川島二郎*6の諸先生に深甚な感謝を捧げます。なお、有馬先生からは、第16回定期演奏会までプログラムにメッセージを頂いたことを付言いたします。
編集部注: この一文は「慶応義塾楽友会50周年記念誌(02年)」巻頭の「挨拶」から転載したものです。
*1. 有馬大五郎氏は岡田先生と楽友会にとって忘れることのできない大恩人。塾文学部を卒業後ウィーン大学に学び、帰国後NHK交響楽団の初代事務長、副理事長を歴任。また国立音楽大学の初代学長として令名をはせ、音楽学者、音楽教育家そして声楽家とし八面六臂の活躍をされた音楽界の重鎮。初期の演奏会には欠かさずお出でくださり、皆の励みとなった。また、N響定期の「第9」演奏会に出演するという、得難い機会を与えてくださったのも同氏である。その巨体は「楽友会50周年記念誌」9ページの写真中央に、ひときわ鮮やかである。
|
*2. 中野、土居両氏は共に楽友会出身。中野博司(2期)氏は文学部教授で「ハイドン」研究家として有名。土居範久(9期)氏は塾工学部教授を経て現在中央大学理工学部情報工学科教授。
|
*3.
穴沢養一氏も草創期に恩顧をこうむった恩人のお一人。会津音楽協会長も務める医師として、また塾生の父として楽友会初の合宿(現在は国の重要文化財に指定されている、福島県翁島の天鏡閣)や、会津若松市公会堂での演奏会実現にご尽力いただいた。
|
*4. 高名な音楽評論家として知られた村田武雄氏は、大学で教鞭をとるかたわらワグネル・ソサイェティーの部長を務め、さらに楽友会前身の音楽愛好会にも、楽曲解説などさまざまな形で肩入れしてくださった。
|
*5. 渡辺恵美子氏は女子高の音楽教諭として「ポッポちゃん」の愛称で親しまれ、合宿にはお子様連れで参加された。後年はドイツ・コラールの研究に没頭し、「ルターからバッハまでの200年」という名著を刊行された。ご尊父は「青銅の基督」の著者として有名な長与善郎氏。
|
*6. 川島二郎氏は、大学時代にワグネルのオーケストラや男声合唱団で大活躍。後に塾監局長を経て理事に就任。楽友会が大学文化団体連盟に加盟するときに種々ご指導いただいた。川島修(2期)氏厳父。
|