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「楽友」への期待

有馬大五郎


樂友会第1回演奏会の楽屋にて,YWCAホール 1952年12月26日
後列:筑紫武晴、長谷川洋也、川口健、伴有雄の1期生諸君
前列:堤治子(女子高教諭)、岡田忠彦、内藤ひろ子(国立音大教授)、有馬大五郎(初代会長)の諸先生

深刻な勉強もしないくせにKO老若ボーイは社会人としてドンドンのしていく。深刻な気持ち、その相貌など彼等にとっては甚だ汗臭く、所詮人生にとって余計なものだとこの種の人間は教える。

この世界から出てきた日本人の音楽家は他の専門でチョイチョイ見受けられるようなシャッチョコ張り、裃、扇子がない、音楽のあらゆる分野でサラッとした仕事をしていく、KO伝統の強みさえ感じられ、見上げた人たちである。

私が「楽友」へ期待するものはここにある。音楽界と云ふところは、ことの外、人間の気持ちに渋滞、執着の多いところである。それがなければやっていけないかのような様相を呈することさえある。ことに戦に負けてから、芸道の人が音楽プロパーの仕事から離れて、いくら喋っても、いくら理屈をこねてもよい、その口の大きさに制限がなくなった。表面自由そうにみえて実は恐ろしく聖者不渋滞の世界を失いつつあることは些か心配事である。

「楽友」はこんな現象に調子をあわせるようなものとなったのでは困ると思う。先輩からもらった身上はそれと正反対のものであることを忘れてはならない。そうして「楽友」でなされる仕事がすべて若い人が社会人になる準備行動であってもらいたい。

合唱でも合奏でも自然音の中に自分自身を見出し、隣人の存在を識っていく。そのうちに舞台に立ったときそれが合奏であらうが、独奏であらうが、自分たちと聴衆との距離がいかに大きいかを先ず発見することができるであろう。その距離をどうして狭めていくか、おしまいに聴衆の心と堅い握手をするにはどうすればよいかを学ばねばなるまい。実はこのことは日本人全体として未解決の問題でもあるのだ。

しかし健康でファインな神経を必要とするこの仕事は、KOボーイにうってつけでありませう。他の人間や動物と違って、音楽家や学者というものは距離ができれば喧嘩をしたがる。「この人が」と思う人がやるのである。やはり人間と人間との距離ということを軽視した結果である。

これは「楽友」の同志はよく観察して貰いたいことである。そうして、重ねて言うが、その行動が一生を通じての社会生活の基礎をつくることとなるようにねがっている。

「楽友」新・創刊号(52年11月)


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