
会誌「楽友」の目的
伴 有雄
昨年、本会を巣立った先輩の手によって、会誌「楽友」が誕生してより、はや第3号の発刊を見るにいたった。「楽友」発行の動機は、勿論、音楽愛好会の発展を願う、先輩諸士の止み難い熱意によるものだが、一段と、会員諸君の本誌に対する理解と、積極的協力を促す意味において、改めて、その意義なるものを考えてみたいと思う。
我々は、等しく音楽を愛好し、共同生活を楽しむ同好の士であると共に、探究心と向上心に燃え立つ、若人である。従って、常に意見を交わしあい、音楽的向上、各人の密接な結びつき、各人の人格の向上を図るのは当然のことであるが、かなりの人数を有する本会においては、全ての人が互いに理解しあうことはなかなか困難なことである。それを補うところに会誌の意義があり、使命がある。このような意義と使命を担う「楽友」は、会員一人一人のものであり、本会の性格と傾向を表すところの偽りなき姿なのである。
「楽友」に対する会員の態度は、先ず、ざっくばらんであり、真剣でなくてはならぬ。素直さと真剣さのないところには、批判も進歩も生じない。虚栄心による自己装飾、卑俗感による駄洒落や誤魔化し等は極力避けるべきである。重ねて云えば、あくまで個人の心の底から出た言葉であり、精神でなくてはならぬ。我々学生の同好会誌は、会員の積極的な意見の交換と、会員の団結を図るための手段であらねばならない。それによって、音楽を愛好する純粋な感情を盛りあげ、一方に於いては、社会の縮小とも云うべき団体生活の向上と、個人の人間的成長を目ざし、ささやかながらも、我々の純粋な精神が、現在の混乱した日本を切り開き、平和国、文化国たる日本を背負って立たねばならぬ青年として、いくらかでも貢献する処があれば、この「楽友」の意義と目的は最高のものとなるであろう。我々にはその位の情熱があってしかるべきではなかろうか。
編者注: これは音楽愛好会時代の「楽友」第3号(52年春発行)に載った巻頭言です。執筆者の伴有雄君(1期)はこの年に大学に進学し、学生指揮者として男声合唱の指導をする傍ら「楽友」編集長も兼務しました。文学部卒業後に西ドイツのデットモルト音楽大学からウィーン国立音楽アカデミー指揮科に学び、同校を首席で卒業。70年にウィーン楽友協会ホールでウィーン・トーンキュンストラ管弦楽団を指揮してデヴュー。一躍有名になり、帰国後は各地のオーケストラを指揮して多くの音楽ファンを魅了しましたが、85年7月、52歳の若さで急逝されました。同期の筑紫武晴君(当時幹事長兼女声指導者)と共に、楽友会創設の双璧となった一方の旗頭です(参照:「楽友への期待」に、両君の写真も載っています)。
|