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座談会「畑中夫妻を囲んで」抜粋

時:51年7月
所:高校音楽教員室(日吉)
出席者:畑中良輔(バリトン)、畑中更予(ソプラノ)、村田武雄(大学教授・音楽評論家)、青山三郎(伴奏ピアニスト)、岡田忠彦(会長)、瀬名貞利(数学教諭)、音楽愛好会員(男子10数名/女子2名)、卒業生2名
司会:松延貞雄(2期)
編集:進藤重行(卒業生)
速記:進藤重行、笠川貞夫(2期)、楠田久泰(2期)

司会: では只今より諸先生をお囲みしての座談会を開きます。日頃疑問に思っていることとか、色々な意見とかをどしどし発言してください。

○: コンコーネの勉強の仕方についてお教えください。

良輔: よくコンコーネを3カ月で上げたなどということを聞きますが、それではいけないのですよ。コンコーネっていうものは一生やっていなければ。50番を始めから終わりまで、ブレスだけ気をつけてやり、次は唱法だけ気をつけてやるというように、一貫した練習をするのが良いようですね。50番だけで沢山、それ以上やる必要はありません。といっても、今の声楽科で完全に50番歌える人はおそらく少ないことでしょう。
コーリューブンゲンは全部完全にやる必要がありますね。

○: コーラスの人でも同じですね。

良輔: 勿論です。僕が始めについた先生なんかひどいもので、コーリューブンゲンが歌えないと殴られたり蹴られたり…

更予: 私なんかもひどくて…音をはずすと「あなた未だ分からないの!」ってにらみつけるから、こっちもじっとにらみ返していると、先生の方が「そんなに強情なら、まあ大丈夫っ!」てね…(笑)。今の先生は手をとるように教えるので、私たちが10年がかりで習ったことをすぐ教えてしまうようですね。色々なことを教える代わりに、生徒の方では結局は解らずに終わってしまう。とかく今の若い人たちは先生を批判して、自分で苦労せずにとれるものだけは学びとってしまうようにみえます。物事を簡単にやってしまうのですね。芸術というものは絶え間ない努力から出来上がるものなのですから、馬鹿の様でも良いから同じことを繰り返しくりかえしやっていく必要がありますね。ことに音楽なぞは、一生やり続けていなければ進歩しません。

瀬名: 歌は難しい。やさしい様でもね。第一自分の声は自分では分かりませんからね。

更予: 音楽を本当に楽しもうとする感受力を養うことが大切です。音楽は作る人ばかりでは成り立たず、それを聴く人がいなければ芸術としての価値はありませんね。ですから一人でも多くの人が良き聴き手となることが必要です。それには好きということが何より大切ではないでしょうか。

村田: 皆さんストコフスキ夫人の本をお読みになりましたか?その中で「良く聞くことは何よりの進歩である」と云っているのですが、この言葉は全てに通用すると思います。

△: 学校での音楽活動は合唱が一番いいでしょうか。

村田/良輔/更予: 一番良いようですね。

更予: 合唱をやっていくには個人差をなくすのが一番大切です。声なども全体と調和できるような。

×: 独唱と合唱では発声法に違いがありますか?

良輔: もちろん。

更予: 他人の声をよく聞くことが大切ですね。自分の声を殺して全体に合わせるように。

良輔: 自分の声が大勢の声とハーモニーした時の楽しさは何とも云えませんからね。

更予: 今の教育法では読譜力がつくわけですね。

岡田: いや、そうでもないですよ。第一、小学校の教育が悪い。

更予: 何故でしょうか?

村田: 都会中心のデータに基づいて机上の空論のみを押しつけるので、地方の先生ではとても教えることができないから、結局実績が一つも上がらないということになるのです。

更予: 教える先生によっても随分違いますね。

良輔: 地方が低いとは限りませんよ。岐阜の山奥で非常に熱心なグループがあって、講習会や合奏会などを開いて、とても熱を入れていますよ…要は情熱の問題ですね。

村田: ピアノがないから何も出来ないなどと云うのは一寸おかしいですね。学校では校長が問題ですよ。

瀬名: その点慶應は?

村田: 0コンマいくつかでしょうね。皆さんの世論で解決すべき問題ですけど。

更予: 今までどのような活動をしてきましたか?

村田: 岡田さんの実績(今までの演奏会行事等の項目書を更予氏に渡す)。

更予: メムバーはいつも同じですか?

△: 毎年卒業と新入りで、少しずつ変わってはいきますが、今でも大学生も来ています。

更予: あら、大学生の方もいらっしゃってるの…(笑)いつもだいたい同じだと伸びますよ。中で一人くらいさぼっても良いなどと云う心をもった人がいると、いつまでたっても進歩しませんからね。本職のコーラスよりかえって素人の方がきれいなことが多いです。要するに気分の問題なのですよ。ですから本当に気心の合った人が集まってやるコーラスはいいですね。本職の人はテクニックは確かに巧いです。その場を繕ったりする…例えば放送合唱団…自分たちの演奏会は真面目にやっても私達の独唱に伴奏する時などは義務的で、気分が悪いですよ。結局コーラスというものは一人ひとりの声ではなく、一人の指導者についているという気でやらなくては。

○: 素人としてやっている内は楽しいでしょうが、玄人となってしまうと音楽に追われる苦を感じませんか?

良輔: 音楽的な喜びは感じますが、やはり専門的なことに追われますね。呼吸とか発声とか…大きくなると段々悪くなるようで、声をつくろうとする。日本の音楽は自然の響きから遠ざかっているのですね。無理にノドをしめつけて、ノド自慢のような発声法と本来の発声法と、どっちが良いか解らない錯覚に陥ってしまって…僕は今それから抜け出ることに努力しています。あらゆる声楽家の悩みでしょうね。まあ理想的な歌い方を夢に描きながら歌っているような次第でね、やはり苦労の方が多いようですかね。

 人間として与えられた正しい声の出し方を守っていくのですね。昔の中国人の纏足が我々にとっておかしいように、日本人のつくり声は外国人には不自然に聞こえるでしょうね。またそれを聞き分けられるような耳をつくることが第一です。ノド声の声楽家が今は通用していますが、あれではいつまでたってもインターナショナル音楽のレベルには達しませんよ。僕なんかも未だに勉強中です。日本と外国とでは発声法からして全然違うからね。昔日本一と云われた長坂先生が、フランスに行って先生についた最初の時に「アー」と声を出したら、たちどころに“Non”とやられた。何回やっても“Non”なんですね。そこで仕方がないから個人教授をやめて、そこに来る他のお弟子さん達の歌うのを聞いて気付いた通りの「アー」を自然に出すと「それだ」と云って握手をされたそうです。根本的に違うのですよ、方法が。

村田: 妙に作ったノド自慢声もそうだが、童謡歌手でも地声で歌っていますね。軍歌の歌い方を強制されたためだと思いますがね。地声でやったらそれこそバリトンはEが出ないし、テナーも恐らくGは出ないでしょう。それに地声では変に下がったような音に感じる。「トゥランドット」を聞いたのですが、舞台裏で歌った子供のコーラスなんか抑えつけられたような声で、嫌だなーと思いましたが、聞いている人全部がそう感じるようにならなければならないと思います。

更予: 耳で聞いて自然なのが一番良いのですね。変に気どらない。…身体じゅうどこにも力が入らず楽に出す声が美しく響くのです。その人にとって一番出しよい音がある。それから段々上・下へ延ばしていく。その次に鏡で見ると気がつきますが、口の開け方がいけないですね。全部開けっ放しにして、自然な声を出していければ、段々美しい声が出ますね。自分の出しやすい声域でやるべきです。

△: 個人的な音域は先天的ですか?

良輔: まあそうでしょうね。ただS・A・T・Bは、声域ではなく音色で分けなければいけません。


編者注:
● 「楽友」第2号(51年8月)の「お知らせ」欄に次の記載があります。<7月7日(土)。日吉の高校の小講堂で、音楽愛好会主催のポピュラー・コンサートがありました。これは村田武雄先生の解説でバリトン畑中良輔氏、ソプラノ畑中更予氏の独唱、青山三郎氏のピアノ伴奏で行われたものである。曲目は「かやの木山」「からたちの花」他20数曲、最後に全員で「野バラ」を合唱し、なごやかなこのコンサートを散会した>。この後に、上記の座談会が催されたものと思われます。

● 当時は手頃なレコーダーなどなく、速記係を務める会員がいたことにご注目ください。原本は約2万字相当の長さで、清書したり編集したりするのは大変な手間だったろうと思います。しかもそれを、クーラーもない猛暑の最中に仕上げ、印刷し、約1カ月で全員に手渡した情熱と集中力に、深い感謝と敬意をおぼえます。
● とはいえ、あまりの長文で、ここに全てを転載することはムリなので、編者の判断で、今もなお有益な、全員に関心があると思われるお話のみを、抜粋して転記しました。
● なお「音楽界の日野原重明」といわれ、多くの著名な音楽家に慕われる畑中良輔氏は、今も現役としてご活躍中で、07年2月には「青の会」の85歳の記念コンサートでは更予夫人と共に、美しいお声と指揮ぶりを披露されました。慶應義塾との縁も深く、特選塾員として長年にわたりワグネル・ソサィエティー男声合唱団を育て、150周年記念コンサートでもタクトを振られます(12月7日)。米寿を迎えられた更予夫人は、今でこそソロ活動をなさいませんが、国際的ソプラノ歌手の釜洞祐子氏をはじめ、多くの二期会の後進の指導や詩の朗読、イタリア語文献の翻訳等に力を注いでおられます。
● また、高名な音楽評論家でもいらした村田武雄(1908〜97)先生は、別項(記念文集「楽友会命名の由来」のページ)でご紹介した通り、大学の教養課程で「音楽」を講じる傍ら、ワグネル・ソサィエティーの部長や顧問を歴任され、楽友会にも、特にその草創期に、種々の薫陶を授けられました。

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