今は昔の合唱団は、学生の「慶應」だけであった。だから慶應の合唱団は日本一であり、僕たちは日本一の合唱歌手であった。胸を張って、えらそうに、何回となく、銀座を往復したものだ。尤もその目的は判然とせぬ。
近頃のこの「僕たち」「わたしたち」もその通りであって、東京の楽界を、今日でもえらそうに、肩で風を切って歩いている。慶應の青年音楽家が、一年に一回集まって何かをやる。その内容を論ずる前に、このスマートな青年たちへの期待の大きさは、昔も今も変わらず、それに驚くのである。
まあ、音楽会がすんだら、また、銀座を往復するんだなァ。えらそうに。
第16回定期演奏会プログラム(67年12月3日) |