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ハノン
 

岡田 忠彦


突然、後ろからポンと肩を叩く人があるので、振り返ってみるとニコニコ笑いながら、O先生が、「大変ね・・・ひとつシッカリやってくださいね・・・」と、出演を待つ合唱団員で混雑した廊下を、楽屋裏への急ぎ足で、くぐり抜けながら、呼びかける様に、私におっしゃった。

O先生とお会いしたのは何ヶ月ぶりかのことだったが、またこの演奏会の翌日にも、音大の方で、偶然お目にかかり、久しぶりにお話しする機会があった。「偶然」というのは妙な言い方なので、音大の時間割では、毎週必ずお会いできるようになっているのだが、ご多忙のため、私が音大に出る時間には、早く講義を済ませてお帰りになったり、また旅行の為、休講であったりして、中々お会いする機会に恵まれなかった。
この時、私は日吉の授業を済ませて、遠路、約一時間半の電車の旅を、音大の教員室のソファーに、疲れを休め、Y先生やK先生達と熱い麦茶を飲みながら、雑談をしていた・・・。そこへO先生が教室から帰ってこられ、一寸とドアーから顔を覗かせ・・・、私の顔を見るなりいかにも重要な、急用でもありそうに・・・

「岡田君一寸・・・」

と云いすてて、教員室にはお這入りにならず、急いでドアーの外に出て行かれた。

私は、他の先生との雑談を、早速切りあげて、O先生の後を追って、廊下に出たのだが、先生の姿は見えない・・・

そうだ・・・今日は教育科のレッスンがあると云うことを聞いているから、さては、それに私を何か手伝わせよう・・・との心算ででもあったのか・・・。ともかく先生の部屋へ行ってみれば、先生も居られ、その要件も分かるに違いない。あの面持ちだと余程変わったことがあるだろうと、不安のうちに・・・先生のお部屋に足を運び、恐る恐るドアーを開けて見ると・・・既にレッスンを了えた学生が、2、3人頭を突き合せて何か話しあっている丈で、一向に先生らしい人影は見当たらない。再び廊下に出て、あのご様子では非常に急を要する様だったが、まあ教務へ行ってその所在を伺うのが一番の近道だ・・・と急いで廊下を引返し、教務課のドアーを開けてみると部屋の真中にある大きいテーブルの前に、デンと腰を降し“ズーズー”と音をたてて、無中になって、モリモリと“もりそば”を美味しそうにやって居られる先生を、漸く発見した。

そうすると、私が「先生何か御用ですか」と申し上げる前に、

「岡田君!そばを一杯食べないか・・・」

意味深長に、深刻な面持ちで、さも重要な要件でもありそうに、さて、これは只事ではないぞ・・・何か一仕事あるらしい、と意を決して探し廻り、漸く探し当て、いきなり

「そばを食べないか・・・」では・・・・・

あいた口が塞がらないままに、私もその御好意に従って、そのあいた口の中へ、有難くそばを流し込んだ。

そこで、ここに久方ぶりに落ち着いた気分で、慶應高校合唱団について・・・、又他のお話をする機会を得た。で、そのお話の内容は・・・。お疲労の体に、一時の食欲を満たし、打寛がれ、やがて―

「君のとこは、中々熱心にやっている様だね、昨日は素晴らしかったよ」

「・・・・・」

「よくもあれだけの曲を、高校の人に出来たね・・・(次は傍におられる先生方に向かって)音大でもあれだけにやるのは、たいへんなことですよ・・・・・」

私はもう恥ずかしくて何とも口が廻らない。すると丁度脇に座っておられた、昨年「天地創造」の独唱をして頂いた、横田先生が、

「あそこの人達は、家庭の環境がよく、そして音楽的に恵まれた家庭の人たちが多いですからね・・・」

「・・・そうですね・・・」

と私は云ったきり、益々言葉に窮していると、O先生が、

「何時頃からあの練習にとりかかったの・・・」

「・・・そうですね、5月の始め頃からだったでしょう・・・」

「はあ・・・それでね(「それだけの短期間で」の意)、じゃ1週間何回くらい練習したの・・・」

「混声では、1週1回土曜の午後か、日曜の午前中にやったのですが・・・男子は日吉、女子は三田と分かれて学校がありますから、私達も学生達も、混声の練習は、相当困難な状態なのです。それに今年度から私が三田の方へ授業に行っていませんから、どうしても女声の方が練習不足になり勝ちで、可愛そうでした・・・。ですから結局合唱(音楽)が好きで、又たまの日吉での練習に来る勇気があり、またその時間のある人だけに女声はなってしまう状態ですから・・・これが玉川(学園)の様に、同じ場所に男女が居れば、もっとうまく行くのですが・・・」

「いやいや全くお恥ずかしい次第で、玉川なんか、同じ処へ居て、また学校から女声は全校生徒参加することにしていますが、それでも練習というとサボる奴が居るのでね・・・君の処など、そんな悪条件にも拘らず、あれ丈のものをやっているのだから、大したもんだよ・・・実に熱心なものだなあ・・・」

私は「はあ・・・はあ・・・」と云う丈で、何ともその返事に困っていたのですが、恐らくこれを読まれる、皆さんは、何処か・・・脇の下の方でも、ムズ痒くなる思いでしょう。

声のバランス(各パートの頭数も)から云っても、練習の度数から云っても、昨年の“グローリア”程練習の機会がなかったし、私として今年度のは、冷汗ものだったのですが、この様な先生のお褒めの言葉を頂いては、全く恐縮の外なかったのです。

事実、私もそうですが、恐らく皆さんも、あの曲のもつ、厳粛美、壮大な美しさ、等から未だ余程、距離があったと思いますね。では何故先生程の、深く高い、鑑賞眼をもって居られる方が、極限の賞讃をされたかと云うと、団体的な、合唱、合奏は、全員一人一人の、熱意と云うものがその根本で、その点に於いて、演奏ぶりからして、皆さんのその熱意溢るるものを賞讚されたので、決して我々は“ウマかった”のだと思ってはなりません(まさか、そんなことを思う人はいないでしょうが・・・)。併し私も、大部分の皆さん達の熱意には、決して他の合唱団の人達に負けるものではなく、却って、非常に抜群だと思っています。これがなければ“ウマクなりっこ”ないのです。これこそ凡人には、代え難い貴重な財産であり、その生命です。“よりウマク”なり“より高い音楽美”を味わうには、これをなくしては“ウマさ”も“音楽美”も、吾々から遠くなって了います。

会の今年の本格的活動はこれからで、今迄はそのトレーニングの様なものでした。今年度の皆さんのメンバーが何処まで、その活動の実をあげ得るか、それは、熱意の程如何にあります。私と皆さんと、どちらがその熱意が旺盛であるか、競争になりそうですね。そうです。皆さんの熱意の程を示す一番よいバロメーターの一つは、あの練習係君の常に持っている、練習の出席簿です・・・。

熱意の有無、程度はその意欲だけでなしに、実行の影を実証されて初めて分かり、また、云えることです。だから平常の練習に、そのすべては懸かっていると云ってもいいでしょう。先生のお褒めの言葉に、今後とも背かない様、すべてに万全を尽して、音楽美の究明に、ともに進みましょう。

阿佐ヶ谷の仮住ひで・・・・・

原注(O先生=岡本敏明氏、関東合唱連盟常任理事、くにたち音大教授、玉川大教授)


編集部注:
1 「楽友」第2号(1951年8月25日発行)より原文を尊重し、原本掲載のママ・・を転記。

2 表題「ハノン」は何を意味するのでしょうか?ピアノの教則本ではバイエル、ツェルニー、ハノンの3種が有名でしたが、その中でハノンは巻頭に著者ハノン氏の「この曲集にある60曲の練習曲を毎日繰り返し練習(約1時間)するように」という注意書きがあり、反復練習の重要性が特に強調されていました。そのことから岡田先生は、この題名に練習出席の大切さを込めておられた、と編集人は愚考しました。

3 岡本敏明先生については当ホームページ「年代記(Chronicle)」中の「楽友会誕生」の項をご参照ください。その記事中に、当時の高校生(出演者)に寄せられた直接のお褒めの言葉も掲載(「熱火を打ち出す音楽」)してあります。

4 岡田先生の本文中には明記されていませんが、この記事は、現在の東京都合唱連盟が毎年6月に開催している「合唱祭」に出演した際の記事で、上演曲はヘンデルのオラトリオ「メサイア」の掉尾を飾る大曲「アーメン・コーラス」でした。

5 事のついでに、「楽友」第2号に載った高校生たち4人の感想文も転載しておきます。何れもご当人の当時の筆致である原文を尊重し、ママ・・転記しています。(2013/11/22・オザサ)

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