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「楽友」第2号(1951年8月25日発行)より

合唱祭参加感想文


第7回合唱祭、中央大学講堂  1952/6
指揮:岡田忠彦先生
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合唱祭に出演して

松延 貞雄(テノール・高3)

6月23日は、愛好会を創立した私達先輩の重要メンバーを大学に送り出してから始めての、その後の成果発表の日であった。

朝早くから三田に集まって最後の総仕上げをした時には、他がどんな具合なのか、会場がどうなのか全く知らなかったので、しごくのんきにいつもと変わりなく、ただいつもより少し暑いかっこうで練習を終わった。私が普通部生時代に学生音楽コンクールに出演する前、感じた様な身体のゾクゾクする様な興奮はどこにもなかった。

御茶ノ水から中央大学の講堂に着いて、その会場がコンクールでは、関東の中等学校代表に選ばれた時の会場であったことを想い出しても、心臓の弱い私がさして興奮もしなかったのは、この発表会の性質がコンクールの時ほど緊張したものでなく意識されていたからであろうか。

講堂の中に入り、殆ど満員の中に席を得て座る間もなく、私達は一番始めの演奏だと云うので早くもかり出された。左手の廊下に待たされることしばし、その間、立てかけられた台の様なものの土がワイシャツにつくのを気にしながら、別に普通と変わりなくしていられるのは我ながら中々感心と思ったものである。普通部生の時は自尊館の小舞台から同じ普通部生に奇声を聞かせるときでさえ、変にイライラして、下級生が余計なオシャベリをするのが気にかかったものだが、今では自らいらぬオシャベリをする様に進化?したわけである。

さて、ここから狭い楽屋裏の部屋を通って舞台に出たときに、私は始めて“本番”という感じになった。この上に立てばいくら入る順序が悪かった、オシャベリが多かったといった所で仕方がない。あとは実力を出すように努力するだけである。

相変わらず私は背が高いというので、一番後に並ばされる。そこは非常に歌いにくい。殊にあの舞台は中央に映写用の幕が張り出していて、私はその前に立たされ、せっかく前に考えておいた立派な列がくずれてしまった。ピアノと幕との間が狭いので、その間の者は殆ど楽譜を身体に抱いてしまって見ることが出来ず、自信のない歌い方をしなくてはならなかったというわけであった。

私はこの時に正面を向いていたのであるから、相当場内の事を知っているはずであるのに、ただむやみと人がいて、何となくざわついていたのを憶えている位なのは、結局アガッテいた為であろうか。

岡田先生が指揮台に立たれ、ソプラノ・アルトを近づけ様と合図されたのに、反応が少なくわずかに端が前進しただけだったのは非常に不味かった。チョッとした合図でサッと前進してキレイに整列する様に、特にソプラノ・アルトは気をつけて勇敢にならなくてはいけない。それから楽譜ばさみを左手に持っていたり、始めから広げていたり、左に抱えていたり、右に持っていたり種々様々だったのは、これも不味い。一寸注意しておきたかった。

演奏はみなさん少々アガッテいたためであろうか、声がいつもほど出ていなかったし、ひびかなかったように思われた。

パッとフラッシュがたかれたのを憶えている。そして左手からぞろぞろと舞台を降りて席に着いたわけである。これで私達の発表は終わった。

演奏の感想であるべきものが、その感想がひどく少ないのは、私が舞台で歌っている時に、とてもあそこが良かったここがこうだ等と憶えているほど冷静でないことを示しているのであって、その方はより冷静な合唱に経験をお持ちの先輩諸兄にお願いする次第である。

私がそれから1時間ほど聞いた所では、高校生だけの合唱団が他になかった為もあったが、出来ばえは私達よりも良かった様に思えた。しかし出来ばえは結局問題ではない。私達の間では、皆が一致してより美しい合唱をするように努力することが大切なのであって、4月、5月、6月と一生懸命に練習した結果を、立派な合唱団に伍して発表できたことで充分であろう。

ただ練習するだけでなく、あれだけの舞台に立って合唱すれば、自分たちの欠陥がどんなものか徐々にわかって来るものである。これを知って練習でなおす様に努力することが私達の活動の目的の一つであろう。

声をきれいにしたい事、もう少し動作を整頓したいこと、歌が合う様にしたいこと等々、今度の会で、1年生諸君もいろいろと考えられたと思うので、これからの練習がより楽しく、意義あるものとなるだろうと思っている。私達をここまで引っ張って下さった岡田先生に対して、心からお礼を申し上げ、これからも出席率のもう少し良い愛好会の練習を、楽しく続けたいものだと思う。


合唱祭に出演して

久保木 徹(テノール・高2)

合唱祭の時の感想を書いてくれと頼まれたが、どんなことを書いてよいのか分からない。

あの日は朝三田で練習をして皆で中央大学の講堂へ向かったが、始めの内はどうせ大した合唱祭じゃないのだろうと思っていた。いざ着いてみると方々の学校やら会社の人達がたくさんいるので驚いた。それで僕は自信を失ってしまった。僕みたいに練習も時々サボったりして、いいかげんに歌っていて、こんな公のところへ来て果たして歌えるのかと思った。

だが今更止める訳にも行かないので皆んなと一緒にステージに上がった。運悪く一番前に出されてしまい、観客席を見る事も出来ないで目のやり場に困り下をむいていた。先生の手が上がり勢いよく歌い出す。間違えたら恥だと思うと思い切って声が出ない。しかしだんだん落ち着き、歌えるようになったがその時はもう終わりの方であり、何一つ満足に歌えない内に終わってしまった。この時程、自分が練習を怠ったことを後悔した事はない。ただ僕は皆んなの歌に引ずられていたに過ぎない。

今度9月だか10月にレキエムをやるそうだが、今度はしっかり練習をして立派に歌いたいと思います。


合唱祭をかえりみて

今橋 昭子(ソプラノ・高3)

新緑の初夏を迎え、私達音楽を愛する者のコーラスの集い、合唱祭が、男女年齢をとわず多くの学生や勤労者を集めて行われた。

去年始めて、男子高校の方々と声を合わせてから、もはや1年余を経た私達の合唱団、そして又、この春新しいエネルギーともなるべき1年生の方々も多く迎え、心を合わせて、美しいハーモニーをつくり出そうとして来た私たちだったから、今度のような合唱祭は私たちの練習の成果をふりかえり、反省してみるのに良い機会だったと思う。

これは私個人の考えに過ぎないかもしれないが、去年の丁度今頃、日比谷で行われた合唱祭の時よりも、ずっと楽な気持ちで固くならず、力一杯歌えた様な気がする。歌の出来、不出来は、歌った自身の私たちではわからないが、去年の様な大きなミスをしなかっただけでも、コーラスに対する私たちの心の持ち方が少しでも成長したと思いたい。

他の多くの合唱団の歌を聞いてみると、それぞれの曲に対して何となくゆとりがあり、よくかみこなして歌っていると思った。勿論、全部そうだったとは思わないし、又事実、私たちが聞いても、少し音程が変だなと思う様なのもあったが、私たちの合唱団の場合、皆んなとても一生懸命にがんばったが、なんとなくまだぎりぎり一杯のところで、ゆとりがない様な気がした。

急に高いところをめざすのは、かえって進歩をおくらすことになるだろうが、しっくりとした、それでいて若々しい美しいハーモニーを生み出す様に、声と共に心も合わせて行きたいと思う。それにはどうしても、女子の力をもう少し増して、男子とのバランスをよくとって、より楽しいコーラスの雰囲気を私たち自身で、私たち自身の為に作っていかねばならないと思う。

今度の合唱祭に参加して、いくらかでも今後の私たちのコーラスの練習にプラスするところがあったらと思う。


合唱祭に際して

小島 初子(ソプラノ・高2)

三田でコーラスを練習してから中央大学講堂へついたのは10時一寸すぎだった。もう入口には合唱に出る方や聴講者達がぞくぞくとつめかけていた。中へ入ってみると程よいお席はあいていないので、私達は後の方の悪いお席へ腰掛けた。少したつと出る用意をするのだというので時計をみたら10時半頃だった。私たちは第一番目でしたので聞く人達の態度が落ちつかなく、場内がなんとなくざわめいていて一寸歌いにくい感じがした。

しかしコーラスを歌いだしてからは、ただ夢中で歌ってしまって、あっというまに終わってしまった様な気がした。どこが悪かったかよかったか等全然わからなかった。だが今日に限って失敗した等ということもなく、私達が練習した結果築き上げられた実力は、十分発揮できたと思った。私達の実力では合唱祭の時以上の良い合唱を望む方がまちがっている。私達の実力を高めるには、ふだんからもっと練習しておく必要があると思った。

外のコーラスは私達より沢山歌った所が多かった様だ。私達も練習する時間をより多くして、もっと沢山合唱すればよかったと思った。私達のこれからのコーラスの練習に対する希望としては、発表ばかりのための練習でなく、かたくるしいりくつはぬきにして、合唱の美しさ、楽しさ等というものを十分に味わいながら、楽しく合唱をやる事です。今度の合唱祭に出るための練習は、私にとっては大変楽しいものでしたが、これからはもっともっと楽しいものにしたいと思います。

外のコーラスのは都合が悪かったので途中までしか聞けませんでしたし、お席が悪い所で傍の通路を往来する人のくつの音で、思う様な鑑賞ができなかったのが残念でした。


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