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前稿に続いて1979年の名簿です。表紙が変わりました。「三田会」と入りました。2年前の名簿には「三田会」の文字はありません。楽友三田会が組織されたのは1966年のことです。不思議ですね。 35年前の名簿は何を語ってくれるのでしょう?ちゃんと違うことを語ります。 このページはお1人、ボイストレーナーが2年前の今井さんから重田さんに代わっています。 次ページは大学の現役幹事・委員です。 大学楽友会の名簿が10ページまで続き、高校・女子高の役員に移ります。 高校生のページが3ページあります。 現役の名簿(慶應義塾楽友会)が先に書かれています。 ここから、楽友三田会の名簿になります。楽友会の名簿に初めて「楽友三田会」という名称が出てきたと思われます。ミスプリントがあります。S38年卒豊岡守紀が「豊田」なっています。変なもの発見してしまいました。 代表幹事には各学年から幹事が出ています。ここではS30年卒からS54年卒までがあります。X期と書かれていません。ところが次のページから「X期」の表現が出てきます。 77年の名簿で「第1期生 30年卒」と書かれていた最長老のタイトルが再び「第0期生 30年卒」となりました。名簿作成にあたった担当者は長老の学年に苦肉の策で「第0期」とすることの了解を得たことになっています。 しかし、長老たちは腹の底では異を唱えたことと思います。「ゼロ期なんて聞いたこともねぇだろう?」と。 一方、慶應義塾楽友会を創部した31年卒の人たちは再度「1期生」に戻りました。 以下、前名簿の期とは1期ずれて、現在の名簿の期になっています。 どうしても「X期」と「期」に拘った結果、変なことが起こったわけです。卒業年だけあれば十分だと思うのはカッパだけなのでしょうか。カッパはS39年卒でも結構ですし、1964年卒でも結構です。私は管理工学科という新しい学科に進みましたので、ここでも1期生から「X期生」という呼称が併用されています。みんな「ん期生」がお好きですねぇ。いずこにも最初の卒業生に「1st」の拘りがあるのです。そうすると自動的に「1,2,3・・・」となります。 その結果、いつの時からか「0期」はやめて「会友」となったのです。私は「会友」なんて呼ばれたら頭から湯気が出ます。「楽友会のお友達だから『会友』と呼ぶのか?」って聞きたくなります。長老の皆さんが可哀そうです。この人たちが岡忠さんと楽友会の礎である音楽愛好会を創部してくれたのです。もし、カッパがこの学年だったら「今からでも変えろ!」と怒鳴ります。 最近、高校・女子高楽友会のOB/OG会が開かれるようになり、名簿の整備も進みつつあります。日高達1期生以前の卒業生を全部「会友」にしようとしています。「会友」はやめてくれー!!それも「期」に拘る結果であります。名簿を印刷するときにはXX年卒にしてください。 以上が大学楽友会卒業の楽友三田会員でした。 高校・女子高楽友会を卒業して楽友会を離れた人たちも「楽友三田会」に入ることができます。その規約が次のページからあります。第4条以下の会員資格をご覧ください。 若くして亡くなった楠田さん(クッチャン)が新名簿編纂の責任者だったようですね。クッチャンのお別れ会は遥か昔のことになりました。この10年後だった。 最後に索引がつけられた。最初はアだ。旧姓青柳さんと同姓だが別人の青柳さんが入部した。昭和30年代半ばだろう。入って間もない4月だった。顔が雪焼けしていて真っ黒なお嬢さんだった。確かFくん(8期)だったか、誰だったかが「あなたスキーは何級?」と聞いた。 「一級です」 Fくんはひっくり返った。黙ってしまった。彼女は最後まで楽友会にいなかったと思う。その頃、N兄さんは蔵王高鳥の壁(今はない)をウェーデルンで滑り降りたというツワモノだった。懐かしいなぁ。(2014/5/13) ■■■■■■■ |
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